二
森川一郎は、アパートから少し離れた家に住んでいた。アパートの管理は他に任せていたらしく、自分はもっぱら、家賃の回収を行っていたそうだ。
家はそれなりに大きく、悠々自適とした生活を営んでいるのが見てとれた。
「いやぁ、彼にはほとほと困らされていたんですけど、まさか死んでしまうなんて……。」
森川一郎は、残念そうに言った。外見は、優しそうなおじいちゃん、という感じで、そんな気性が荒そうには見えない。
「何度も何度もすいませんね。これでも、捜査の一環なんで。」
「いえいえ、そんなの構いませんよ。刑事さんは一刻も早く、犯人には捕まえてください。」
彼は、穏やかそうな表情をずっと浮かべている。彼が、今の一番怪しい容疑者なのか? どうも、そんな風には見えないのだけど……。
まぁ、外見で決めてはいけない、というのはある。怖そうに見えた人が優しかったり、または逆のパターンであったりという話は、よくあることだ。
「森川さん、ちょっと質問いいですか?」
「はい、いいですよ。」
そういえば、彼女は刑事でないのに、こんな聞き取りをしてもいいのだろうか。確か、アニメみたいに実際の事件に探偵が首を突っ込むことは出来ないはずだ。
それとも、凛さんが度々言っている、私は特別扱いされている、というのが意味があるのだろうか。
「あなたと加藤智彦さんとの関係はどんなのだったのですか?」
「ただの管理人と住居者ですよ。だから、家賃の回収の時には会うだけで、そんなに親密にはしてませんでした。」
「はぁ、なるほど。では、あなたが加藤智彦さんの亡骸を発見した状況を教えてください。」
「はい、昨日はちょうど家賃回収日だったんで、アパートに向かいました。それで、いつもは智彦さんは最後にしてたのですけど、居留守を使われないように最初と最後に行こうと思いまして、一番初めに扉を叩きました。しかし、返答がなかったので、後にしたんです。大体、九時ぐらいだったと思います。それで、他の人のところを回収した後に、もう一度行ったのですけど、まだ応答がないんです。確か、このとき、時間は十時ぐらいでした。周りの住民から、彼が出ていってないことは聞いていたので、それで電話を掛けたのです。それでも出なかったので、変に思ってマスターキーで開けたら……って感じでした。」
「そうでしたか、ご協力、ありがとうございます。あ、それと最後にいいですか?」
「はい、何でしょうか?」
「趣味か何かってありますか?」
「そうですねぇ、町内のサークルでテニスはやってますけど……それがどうかしました?」
「いえ、大丈夫です。少しだけ、ストレスを溜めてないかなと気になりまして。行くよ、二人とも。」
「では、捜査、頑張ってください。」
僕らは、森川一郎の所を後にした。だが、森川一郎の家を出た瞬間、凛さんはこう言った。
「アパートの住人の話を少しだけ聞いていくわ。」
―――――――――――――――――――――――――
「で、次の向かう先の、河本かんなについてだけど。」
僕らは、アパートを後にすると、二人目の容疑者、河本かんなの所に向かっていた。
「おい、ちょっと待て。森川一郎はどうなんだ?」
「どうって、何が?」
「怪しいか怪しくないか、だよ。」
「ふん、そんなにすぐに分かるもんですか。せっかちな男は嫌われるわよ。」
「甘いな、俺が好きなのはあんただから、問題ないさ。」
「そうね。私、海崎浩介って人間のことが、世界で二番目に嫌いだから、今さら関係ないわよね。」
「おい!? そんな中途半端だと、余計に信憑性あるだろ!?」
目の前の二人が妙なコントを繰り広げていた。案外、あっさり海崎さんカミングアウトしちゃってるけど、凛さんも凄いスルースキルだよな……。
それはともかくとして、あの、森川一郎という男が、犯人であるということはあるのだろうか。話を聞く分では、そんな気はしない。あまり、印象で決めつけるのはよくないと思うのだが、彼はそんなことをするような人ではないと思う。
……まぁ、こんなこと、一人で勝手に思っていても、あまり意味のないことだけど。
「で、次の、河本かんなって女は、どんな人か分かってるの?」
「全然だ。人間関係と被害者が殺害された日にあった人間ということで上がっただけだ。」
「あら、会ったというのは分かってるのね?」
「あぁ。あと、同僚の橋本雄大も、被害者と会ったらしい。まぁ、橋本雄大は午前中に会ったらしいから、あまり気にする必要もないと思うが。」
「……。」
海崎さんはそう言うが、本当にそうなのだろうか。こういうのは、どこかに穴がある、と僕は思うのだけど……。
「よし、着いたぞ。ここが、河本かんなの居住地だ。」
僕らは、とあるマンションに止まると、河本かんなの住む部屋に向かった。
―――――――――――――――――――――――――
「まさか、彼と別れると言っていたとはいえ死んでしまうなんて、思ってもいませんでした……」
彼女の河本かんなは、マンションの五階に住む、少し子どもっぽさの残した可愛らしい女性だった。
彼女は、悲しそうに顔をうつ向ける。しかし、その顔に涙はなく、彼氏が死んだというより、森川一郎みたいに知り合いが死んだみたいな感じが見てとれた。
……果たして、自分の彼氏が死んだとして、ここまで冷静に、というより、悲しまずにいることは出来るのだろうか。
「あの、海崎刑事。犯人は……?」
「すいません。今、捜索中なのです。」
「ということは、私も容疑者の一人なのですね?」
「はい、誠に残念ですが。」
河本かんなは、軽く顔をひきつらせると、またうつ向いた。一挙一動に悲しみは伺うことが出来る。だが、やはり、何というか、別の感情も感じられた。
一体、彼女は何を思っているんだ?
「すいません、私、柳沢凛と申します。いくつか、質問はよろしいでしょうか?」
「はい、出来る範囲なら……。」
「まず、あなたは昨日、どのような行動をしていたのですか?」
「昨日は、大体八時半くらいに彼に電話して、買い物をしてから、二時くらいに彼と会いました。それから、二時半には部屋を出まして、それから、五時頃まで友達と遊んでました。」
「なるほど。それで、その友人とはどんな関係で?」
「彼の同僚です。ちょっと彼とケンカした時に、仲を取り持ってくれたんです。それから仲良くなったんですよ。」
「名前は?」
「橋本雄大です。」
「……へぇ。」
凛さんは、動揺を隠しきれていなかった。それはそうだ。海崎さんなんて、顎が外れんばかりに口を開いている。そして、僕も驚いた。
まさか、ここでもう一人の容疑者の名前が出てくるなんて。というか、これはまさか、共犯か?
「それは、浮気なんじゃないですか?」
「え、違いますけど。さっきも言いましたけど、橋本さんとは友達ですよ。……彼も知ってましたし。」
河本かんなは、最後の部分だけ、苦しそうに答えた。ただ、それまでの物言いは、非常に流暢なもので、ためらう様子も、罪悪感の湧いた様子もなかった。おそらく、事実なのであろう。
「別れ話を切り出したのは、どっちですか?」
「私の方です。」
「何かあったのですか?」
すると、ふっと、河本かんなの顔に、影が落ちた。何か、憂いや恐怖を含んだ表情。何か、あまりよくないことがあったことは読み取れる。
「……言わないといけませんか?」
「別にどちらでも構いませんけど、自分が不利になるだけですよ?」
「……ちょっと、デートをドタキャンされたりとか、私の誕生会を忘れてるとかあった上に、他の女とその……ホ、ホテルに行くのを目撃しまして。それで、それを言っても何回もあったので。」
彼女は、心底つらそうに答えた。それは、自分の彼氏が浮気しているのを何度も許すというのは、かなりつらいことだろう。
彼女も似たようなことをしている気もするのだが、多分、知っているか知らないか、ということであろう。河本かんなと橋本雄大は、公に出来る友達であったのだろうが、被害者の場合、浮気であったのだろう。
そして、これは、大きな殺人への動機になりうることにもなる。彼女は、森川一郎と違い、犯人らしき人物であろう。
「そうでしたか、悲しいことを思い出させてすいません。」
「はい……。」
「それで、どこに遊びにいったのです?」
「原宿を散策してました。」
「ほぅ。では、最後に。あなたは、彼を愛してましたか?」
「ちょっ、凛!!」
「……愛して…ました……」
河本かんなは、そう言うと、ようやく、一つ、二つと涙を流し始めた。僕らにはどうすることも出来ず、頭を下げると、この場を後にした。




