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あたし、マリオンに与えられた今日の仕事は、エクレールさんという女性のところに行くことだった。
詳しい内容は、実際に会ってから話したいとのこと。
そういう依頼の場合、事務所から電話して詳しい内容を改めて尋ね、答えられないようならお断りするのが普通なのだけど。
ショコたんは今回、特別に受けることに決めたらしい。
まだ内容もわかっていない依頼。
それをまだ新人のあたしに任せるなんて。
どうしてショコたんは、この仕事をあたしに割り振ったのだろう?
不思議に思って訊いてはみたものの、ショコたんは答えてくれなかった。
これからなにをすればいいのか全然わかっていない状態のため、あたしは不安を抱えている。
とはいえ、仕事は仕事。行かないわけにもいかない。
ショコたんがあたしを選んでくれたのだから、それなりに理由があるはずだ。
あたしは気持ちを切り替えて、依頼人さんの待つ場所へと向かうことに決めた。
すでに他の人たちはみんな仕事に出かけたあとで、事務処理と電話番の仕事がある主婦さんだけが事務所に残っていた。
だけど今日は主婦さんだけじゃなく、朝が弱いはずのショコたんもわざわざ社長室から下りてきて、あたしが出かけるのを見送ってくれた。
「それじゃあ、行ってきま~す!」
明るくそう言い残して、意気揚々と事務所を飛び出すあたしに、主婦さんとともに手を振ってくれたショコたん。
なんだかとっても嬉しそうに笑顔を浮かべていたのは、どうしてなのだろう?
あたしは疑問符を浮かべながらも、小走りに爽やかな朝の小道を駆け抜け、依頼人さんのもとへと急いだ。
――今日も一日、頑張ってね!
いつもの朝と同じように優しくて温かい、風の精霊さんのささやきを背中に受けながら――。
☆☆☆☆☆
エクレールさんとの待ち合わせ場所は、静かな裏路地にある小さい喫茶店だった。
裏路地にあるにしては、とっても綺麗な雰囲気。
もしかしたら、知る人ぞ知る隠れた名店という感じなのかもしれない。
ただ、その喫茶店は、若干入り組んだ場所にあった。
激しく方向音痴なあたしには、たどり着くのもひと苦労。
というわけで、あたしがドアを開けて店内に足を踏み入れたときには、すっかり待ち合わせ時刻を過ぎてしまっていた。
店内を見回すと、お客さんはたったひとりだけだった。
きっと、あの人が依頼人さんなのだろう。
「遅れてしまって申し訳ありません! えっと、エクレールさんですか?」
「あっ、来てくれましたのね。気にしないでください、わたくしもついさっき着いたばかりですから」
にこっ。
エクレールさんは温かな笑顔を向けてくれた。
でも……。
コーヒーのカップを見ると、湯気があまり勢いよく立ち昇っていない。
つまり、少し冷めてきているということだ。
おそらくは約束の時間より前に来ていたのに、あたしに気を遣ってくれたのだろう。
「疲れたでしょう? さ、そこに座ってくださいな」
「……はい」
遅れてしまったことを気にして立ちすくんでいたあたしに、エクレールさんは優しくそう言ってくれた。
素直に従い、彼女の正面の席に座る。
「マシュマリオンさん……ですわよね? マリオンさんとお呼びしてよろしいかしら?」
「あっ、はい」
落ち着いた雰囲気で尋ねてくるエクレールさんに、あたしは再び肯定の言葉を返す。
座っているからよくはわからないけど、細くてスタイルも抜群そうな彼女に、思わずあたしは見惚れてしまっていた。
「とりあえず、なにか頼みましょうか。飲み物は紅茶でいいかしら? 食べたいものがあったら、なんでも好きなものを頼んでいいわよ」
嬉々としてメニューを見せてくる彼女に、あたしは紅茶だけお願いします、と答えたのだけど。
「ふふっ、いいですわよ、遠慮なさらなくて。そうね、適当に見繕って、持ってきてもらいましょう。……店員さん、お紅茶をひとつ。あと、これとこれとこれとこれと……。以上です、お願いしますわね」
「……かしこまりました」
エクレールさんは店員さんを呼び、勝手に注文してしまった。
店員さんも、女性ふたりにしては明らかに多すぎと思われる量に驚いてはいたようだけど、口答えすることなく素直に注文を受け、カウンターへと戻っていく。
そして数分後、あたしの目の前には、たくさんのスイーツがところ狭しと並べられていた。
「女の子だし、甘いもの、好きでしょ? 遠慮しないでじゃんじゃん食べてね」
澄みきった綺麗な笑顔を向けながらそう言われたら、あたしもさっきの店員さんと同じように、なにも異論を唱えることなんてできなくなってしまう。
ちょっと、カロリーが大変なことになりそうだけど。
エクレールさんが、わざわざあたしを太らせようと思ってこんなことをしているわけじゃないのは、その笑顔を見れば一目瞭然だった。
だったら、素直に美味しくいただくのが一番よね。
そう考えたあたしは、お行儀がいいとは言えないけどスカートのホックをゆるめ、思う存分スイーツを味わいにかかるのだった。
☆☆☆☆☆
エクレールさんは、あたしがケーキとかパフェとかアイスクリームとかプリンとかをたいらげていくのを、ずっと笑顔のまま見つめていた。
「あ……あの、それで依頼のほうは……」
とあたしが訊いても、
「いいからいいから、まずは食べちゃって。ね?」
なんて言って微笑み返すばかりだった。
たくさん並べられたスイーツたちを全部胃の中へと流し込み、甘さにちょっとむせ返りそうにはなっていたけど、それでも大満足の笑顔がこぼれる。
さて、そろそろ依頼内容を訊かないと。
そう思って口を開こうするあたしに、エクレールさんはこんなことを言い放った。
「それでは、次のお店に移動しましょうか。今日は一日、スイーツ三昧ですわよ!」
☆☆☆☆☆
……結局今日は一日、エクレールさんの車に乗って、あたしはスイーツのお店を何軒も巡ることになった。
ちなみに、車というのは、魔法のじゅうたんのことを指す。
この国では、『ペットカー』というじゅうたんに乗って移動するのが一般的なのだ。
精霊さんが宿ったじゅうたんにお願いして、目的地まで乗せていってもらう。
だから、魔法のじゅうたんというよりは、精霊さんのじゅうたんと呼んだほうがいいかもしれない。
空飛ぶじゅうたん、というわけではなくて、道路からちょっとだけ浮いているって感じなのだけど。
それがペットカーの精霊さんの限界なのだとか。
名前をつけて、あたかもペットのように扱う人が多かったため、このじゅうたんをペットカーと呼ぶようになったらしい。
そんなペットカーでの移動を繰り返し、たくさんの店を回ったあたしたち。
エクレールさんはスイーツ三昧と言っていたけど、それだけではなくて、あたしが「ちょっとおなかがきつくて」と言ったら、「じゃあ、ゆったりした服を買いましょう」なんて言われて、服まで買ってもらったり……。
さらには、「服だけじゃつまらないわね。そうだわ、バッグやアクセサリーもコーディネートしましょう」といった感じで、いろいろと買ってもらうことになった。
いや、そりゃあ、あたしだって、さすがにそんなに買ってもらうのは悪いし遠慮したんだよ?
だけど、いいからいいからと満面の笑顔で諭されたら、結局なにも言い返せなくなってしまって。
どうしよう、まだ依頼の内容だって聞いていないのに……。
それに、依頼料とは比べものにならないほど、スイーツや服やアクセサリーなんかでお金がかかってるよ……。
困惑するあたしにはお構いなしで、エクレールさんはご満悦の様子。
そして日差しが傾きかけた頃、ペットカーはひとつの建物の前に停められた。
そこは、うちの会社と同じく五階建てで、広さとしても似たような感じの建物だった。
「さあ、最後はここ。わたくしの会社ですわ。それでは、ついてきてくださいませ」
エクレールさんはそう言い残すと、建物の入り口へと向かって歩き出した。




