第36話:乙女ゲーム的展開よりも国際問題を危惧する自認モブ令嬢な彼女
「殿下、そのだらしない表情をどうにかしてください」
「はぁ!?自室でくらい良いだろうが」
「兄上、殿下は例のご令嬢とやっと進展されたのです。臣下として温かく見守りましょう」
「はぁ、公務の合間を縫ってまで毎日のように会っておいてやっと名前(幼名)を呼ばれた程度で喜んでいるとは。以前の殿下が知ったら鼻で笑うでしょう」
「恋とは人を変えてしまうものなのですね」
「ルヴィエール兄弟は、息をするように俺の尊厳を削ってくるな」
帝国から護衛兼側近として付き従っているレヴェンタール兄弟――冷静沈着な兄のラファエルと、至極真面目な弟のアロイスーーの会話に頭を痛めつつ、ディートリッヒはソファーの上に寝転がった。
昨日、レヴェリアに幼名である『ディーダ』と呼ばれた余韻が、未だに彼の口角をだらしなく引き上げさせているのだ。
彼の中ではいつの間にか、元々絶世の美少女であるレヴェリアの姿が、さらに儚くか弱く触れれば折れてしまいそうな可憐な令嬢に映るようになっていた。笑顔を見ればキラキラ輝くエフェクトすら見える有様である。
(あんなに可憐な令嬢にアピールされて、よくアステリアの公子たちは全く靡かなかったな。ベルクロア公女の心理掌握の凄まじさが窺える)
かつて自認ヒロインとして乙女ゲームの『攻略対象』たちに接触し、『スチル』という謎の概念を得るために四苦八苦していたレヴェリアを思い出す。
その内容は馬鹿げていたが、彼女のそれらに対する熱意は本物だった。
かつての彼は面白がりつつ、そんな熱意に絆され手を貸していたものだが。
(……よくよく考えたら彼女の言っていたスチルとか言うやつ、『密着』とか『お姫様抱っこ』とかとんでもない内容だったな!?今考えると一度も成功させなくて正解だった……!)
恐ろしい事実に思い至ると共に、彼の明晰な頭脳にひとつの閃きが舞い降りた。
(というか俺も攻略対象であるなら、ルシウス王子たちと同様にヒロインとのイベントが何かしらあったんじゃないか?自主的にヒロインを降りたとは言え、縁自体は健在のはず。むしろ、それを再現すれば『攻略対象』である第三皇子としての俺とのフラグが立つのでは?)
ディートリッヒはガバッと身を起こし、キラリと目を光らせた。
早速実行に移すべく、レヴェンタール兄弟と共に護衛として部屋に待機している黒髪の寡黙な男に声を掛ける。
「ヴェルナー、君は確か彼女と週に数回鍛錬しているな」
「はい。レヴェリア嬢とは、アステリアのフェリクス殿、リュカ殿と共に手合わせをさせていただいておりますが」
「近日中に、彼女を個別の鍛錬に誘うことは可能か?」
主君の唐突な命令に、ヴェルナーが怪訝な顔をする。
「良いか、手加減や遠慮はいらない。全力で彼女に挑んでくれ」
本来理解出来ないはずのメタ的な認識を知り、それを柔軟に解釈するだけの高い知能を持つ彼だからこそ思い至った論理。
まさかの攻略対象(隠しキャラ)本人による自身のスチル回収が始まるのであった。
***
数日後の放課後。校舎裏の裏庭に、木剣が容赦なく打ち合う音が響いていた。
「ハァッ!!」
「やるわね、けどまだまだ……っ!!」
ディートリッヒの命により、手加減なしの全力の斬撃を叩き込むヴェルナー。しかし、相対するレヴェリアは真剣な表情で木剣を構え、帝国騎士である彼の猛攻を驚くべき集中力により弾き返していた。
(ヴェルナーと同等に打ち合っているだと!?あの細腕で屈強な男の打ち込みを受け止めるには驚くべき精度の魔力補正が要るはずだ。物理防御が得意とは知っていたが、まさかこれほどまでとは)
「ふむ、シュタイン男爵令嬢の剣術を初めて拝見しましたが、あれほどの腕前とは。騎士団への就職を考えるのはもはや適材適所と言えるでしょう」
ラファエルが冷静に分析する横で皇子は予想以上のレヴェリアの潜在能力に驚いていた。
(しかしこれでは一向に手を差し伸べる瞬間など来ないじゃないか……っ!!)
当てが外れてギリッと奥歯を噛み締める主君を見かねて、ラファエルが冷静に指摘する。
「殿下、このままでは彼らの剣術をただ見物するだけになってしまいますよ」
「やむを得まい、我々も訓練に加わろう。魔力補正の精度は俺の方が上だ。直々に打ち負かした上で手を貸してやろうじゃないか」
「御意」
帝国の黒い鍛錬着に身を包んだラファエルとディートリッヒは、さも今来ましたとばかりの顔をして歩み寄ったのだった。
「やぁやぁヴェルナーではないですか。裏庭で剣術を?ちょうど良い、本日は殿下も剣術の稽古をなさるとのことなので、我々もご一緒して良いでしょうか」
アロイス同様のシルバーアッシュの髪に、紫色の切れ長の目を持つ美男子ラファエルが、いつもの軍師然とした様子でヴェルナーへと声をかける。
その後ろに佇む皇子はまさに帝国の至宝と呼ぶにふさわしい威容であり、二人の並んだ姿は、そこだけ特別な光のエフェクトがかかっているかのような、まるで乙女ゲームの美麗スチルそのものであるかのような光景だった。
「ディートリッヒ殿下!」
打ち合いを中断したヴェルナーが膝をつく。
その表情には命を受けた臣下としてまた一人の武人として、レヴェリアを打ち負かせなかった悔しさも滲んでいる。
「ヴェルナー、ご苦労だった。少し休んでいろ」
ディートリッヒは鷹揚に頷いて臣下を労うと、ゆっくりと一歩前に出た。
「君がヴェルナーたちが世話になっている、ブランシェール男爵令嬢か。私たちも剣術鍛錬、ご一緒しても良いかな」
ディートリッヒが微笑みながら、レヴェリアへ向き合う。
(嘘でしょ!?帝国の第三皇子がなんで裏庭なんかにいるのよ!?)
レヴェリアは学園内でほとんど姿を見せないはずの皇子の出現に驚愕すると共に冷や汗を流した。
「先ほどの勝負、君はヴェルナーと同等に打ち合っていたね。普段私は彼とばかり鍛錬しているから、たまには他の、同じくらいの実力者と打ち合いたいと思っていたんだ。お相手をお願いしても?」
美しき皇子の金灰色目が真正面から彼女を捕らえる。
乙女ゲームの頂点に君臨する『隠しキャラ』特有の凄艶なオーラと、他国の皇族という絶対的な重圧に、レヴェリアの顔からサッと血の気が引いた。
(ぎゃーっ!!美し過ぎて恐れ多いわ!!というか万が一皇子を傷付けてしまったら国際問題に発展しちゃわないかしら!?いや、仮にそうなったら一介の男爵令嬢なんて秘密裏に暗殺されてしまうかも……!!かと言って断ったら不敬になりそうだし、どどどどうしたら良いと言うの!?)
ディートリッヒが内心で(徹底的に打ち負かしてなんなら保健室へ運んでやる……!)と闘志を燃やす一方で、レヴェリアの頭は超現実主義的な危機管理意識が国際問題への発展を恐れて警鐘を響かせていた。
「さあ、剣を構え「おーっヴェルナー、レヴェリア!!修練場に居ないと思ったらここで鍛錬してたのか!」
チェックメイトとばかりに言い放った言葉に被ったのは、天真爛漫なフェリクスの声であった。
その後ろにはいつもの鍛錬仲間であるマルクスと、偶然連れ立った様子の白い鍛錬着に身を包んだアステリアの第二王子ルシウスの姿があった。
「うおおっ!!マジか!!ディートリッヒ殿下がいらっしゃるとは!殿下の腕前はヴェルナーからよくよく聞いております!ぜひ俺と鍛錬してください!!」
「!!(ピーン)フェリクス様、殿下は剣術鍛錬のお相手をお探しだそうです!ぜひお相手して差し上げてくださいっ!!」
レヴェリアはこれ幸いとばかりに、好戦的な大型犬の背中を物理的な盾としてぐいっと前へ押し出し、自身はササッと安全圏へと退避した。
「それでは私はお邪魔にならないよう、こちらでお暇しますっ!!」
「あ、おい」
「ディートリッヒ殿下、貴殿とこのような場所で会えるとは光栄です。ぜひ私ともお手合わせ願えないでしょうか」
これ幸いと光の速さで立ち去るレヴェリア。
そして、年上の他国の王族に対して完璧な礼節をもって挨拶を交わすルシウス。
(……どうしてこうなる!!)
残された男たちは、甘いロマンスなど微塵もない、ひたすら汗臭くむさ苦しい高レベルな剣術特訓を繰り広げたのだった。




