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能島城の龍神様  作者: 木村友香里
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1.龍と娘と義弘と


 春に咲く草花の甘い香りを乗せて流れている海風の中を、泳ぐかのように、小さな女の子が息も心も弾ませて走っていた。


 時折り、心配そうに後ろを振り向いているが……。誰も追いかけてきていない事で、笑顔をこぼしている。


 ここは大海に落ちるしずくにも似た小さな小さな島なので、幼子の足でもあっという間に切り立った崖のある端にまでたどり着いていた。


 足を止めてその先に立つと、降り注ぐ太陽に小さく続く波間を白く光らせ、穏やかに、しかしどこまでも彼方へ広がる紺青の海が、目の前でいっぱいになっていた。


 女の子はやや下を向いてそのきらめく両の瞳を水面へ向ける。


 そして、首に紐でかけてある水晶のような三角柱のカケラにふれると、小さな胸いっぱいに息を吸って、高く澄んだ声を響かせるのだった。



 「われ、めーやくのもとにねがう!」



 その呼びかけの言の葉と触れた指先に反応するように、胸のカケラが淡い光を放ち出した。


 すると……、


 今まで緩やかに流れていた海面の潮風が、徐々に勢いを増してくる。さらには、女の子の下げていた髪をも巻きあげていくほど大きくなっていった——。


 この時、島の北部にある海岸の船溜まりでは、数人の水夫たちが舟の修繕やらにいそしんでいたのだが、


 「おっ? 風が……」


 急にきた覚えのない潮風に、皆が作業の手を止めて思わず顔を上げていると。



 「あーーーー! こらぁーーーーーー‼︎」



 そんなつんざいた声を残し、近くでふんぞり返って指示を出していた男がひとり、踵を返してすごい勢いで駆けていく。


 「あぁ、こりゃお姫さんの仕業か」

 「ま〜た内緒で呼んでんかな?」

 「大将も大変だわな〜ハハ」


 島に乱立する木々の間へ消えていくその背を見送った水夫たちは、珍しいほどの強風が吹き荒れる中、何食わぬ顔で作業に戻っていった。


 その一方で、崖の上の女の子が持つ胸のカケラが、一層に光を放っている。


 さらには、風だけではなく眼下の海までもが音を立て、逆流するかのように大きな渦巻きを作り出してくると……。


 やがてその下から、徐々に巨大な影が浮かび上がってきたのである。


 魚影ではあるまい。


 それは細く長く、まるで渦に巻き付いているようにうねりながら、深い深い水底より上がってくる。


 そしていよいよ、島よりも大きいのではないかと思われる黒かった影が藍色を帯びてくると、女の子は満面の笑顔でもう一度、いっぱいに息を吸って呼ぶのであった。


 「せーらん! あ〜そ〜ぼっ‼︎」


 瞬間——


 海面から途方もなく巨大な水柱が上がると、あたり一面に水しぶきを撒き散らした。


 小雨のように降ってくる海水を、きゃ〜っと笑いながら浴びている女の子は、両手をかざして空を見上げている。


 眩しさに目を細めるその視線の先には……。海面から勢いよく飛び出し、春の日差しにその深く透き通る藍色の鱗を輝かせている——



 龍の姿があったのだった。

 


 「わ〜い!」


 大興奮で手を振る女の子の頭上の方へ伸ばしたその全身が、まばゆい光に包まれてくる。


 すると、みるみるうちに小さな光の塊となってゆくと、女の子の後ろへ飛んでいき——。


 崖の上に足をつけた頃には、鱗と同じ色の髪をなびかせた碧玉のごとき瞳の、美しい少年へと姿が変わっていたのであった。


 「せいら〜ん!」


 会えた嬉しさに女の子が両手を前に走り出すと、青藍と呼ばれた龍神もまた、愛おしそうに微笑んで両腕を広げている。


 感極まった女の子はそのまま飛びつこうと、直前の距離で地を蹴ったのだった。



 がっしり!



 すると、抱き止めたその身体は太くごつごつしていて、その感触はまるで大木にでも抱きついたかのよう——。


 「あれ?」


 思っていたのと違う事で、目をぱちくりさせた女の子が不思議そうに顔を上げてみると。


 力強い目に引き締まった顔をムスッとさせた背の高い男が、こちらを見下ろしていたのであった。


 「ぎゃーーーー! 父上ぇ!」

 「こらっ、お玉! 勝手にこいつを呼び出してはいかんと言っているだろう!」

 「だあって〜、せいらんと遊びたいんだも〜ん」


 愛娘である玉が捕まったままジタバタと暴れるので、男はよく日に焼けてがっしりとした腕に軽く力を込めて抱き上げている。


 するとその横へ青藍と呼ばれた先ほどの少年の姿が立つと、切長の凛々しい瞳を向けてため息がてらに抗議した。


 「別にいいだろう、義弘。私だって暇だから玉と遊びたい」

 「神が暇とか言うんじゃねぇ! だいたいお前は人と関わるのはいけねぇんじゃないのかよ!」


 義弘と呼ばれたこの男は、目の前の龍神を子供の頃から知っているので神と言えども、もはや遠慮がない。


 「さあ。関わるのがいけないのかは知らないが、私の存在を認識できるのが今のところお前と玉なだけだ」


 「なぜだ……俺はお前との『約束』があるから見えるのかもしれねぇが、なぜ玉にだけは見えてしまうのだ」


 「知らん」


 「クソがッ!」


 それでも、玉は義弘と違って水晶のような龍神の角のカケラを持っていないと、この神の姿を認識する事はできなかった。


 「せーらんと遊びたいよぉ〜」

 「こんな得体のしれないやつとばかり遊んではいかん。俺と遊ぼう、な?」

 「やだやだ〜父上と遊んでも面白くないよ〜」


 義弘の胸に言葉の刃が突き刺さる。


 フッと笑う青藍もまた、玉に加勢してくる。


 「私も玉と遊ぶのは楽しいな」

 「ほんと? わ〜い、せーらんすき〜♡」

 「私も玉が好きだ」

 「やったぁ〜! わたし、おっきくなったらりゅうになって、せーらんのおよめさんになるぅ〜♡」


 手足をパタパタさせて喜ぶ娘の言葉に義弘はサッと青ざめると、


 「こ、こら! そんなの駄目というか、無理に決まっているだろ! ほら、返すんだ」


 そう言うなり玉の首にかかっている角を取ってしまったので……。


 「うわぁぁん!」


 号泣されてしまう。


 「そ、そんなに泣くなって、な? ほ〜らほ〜ら、うまいもんでも食いにいこう」


 義弘は必死になってなだめるが、全く効果がない。

 隣で見ている青藍が呟くように言ってくる。


 「かわいそうだろう」

 「うるせー!」

 「わあぁぁん!」

 「あぁ、よ〜しよ〜し。そんなに泣いたら干からびちゃうぞ〜」


 玉を抱いたまま頭をなでたり、ギュッとしてゆらゆらしてみたり、カエルのようにぴょこぴょこ屈伸してみたり……。


 それでもやはり、泣き止んでくれない。


 「ジジイにコマでも作ってもらうか」

 「うえぇぇん!」

 「ババアにまんじゅう、もらおうか」

 「えーん、えーん!」

 「………………だあぁ! もおぉ!」


 ついに父は、根負けした。


 「ちょ〜っと……だけだぞぉ……」


 仕方なしに龍神の角を玉の首にかけてやり、涙を袖で拭いてやる。


 すると、


 「……えへへ、ありがとぉ〜」


 嬉しそうな玉の笑顔が、たまらなく愛らしかった。


 「せーらん!」


 上半身をひねってそちらへ小さな手を伸ばすので、義弘はため息をつきながら離してやると、そのまま龍神に飛びついている。


 受け止めた青藍もまた、微笑んでいるのが気に食わない。


 さらに義弘と目が合うと、勝ち誇った顔をしてくるので小憎たらしい。


 「おい、後で酒をくれ」

 「その童姿なりで言うんじゃねぇ!」


 義弘はぷいっと顔をそむけると、やれやれと腕を組んで崖の先まで歩いてゆく。


 眼前には穏やかに水面をゆらし煌めく海が広がり、奥に横たわる島々の影を背に、いくつか小舟が行き交っている。


 降り注ぐ日差しに目を細めながら、ゆるやかにさざめく波の音で、心を落ち着かせようとするのであった。

 

 

 時は動乱続く南北朝時代。


 ここ、瀬戸内海の芸予諸島に『海賊大将』と呼ばれる男がいた。

 その名を『村上の三郎義弘』という。

 泣く子もだまる「鬼」との異名すら持ち、去る元弘の乱では北条の水軍を破るなどの軍功を残す伝説の武将。

 後世において、かの有名な村上水軍の祖との説もある豪快な男である。


 そんな義弘にも、実は家族に煩悩だった一面があるとかないとか。

 そして、そんな彼が掌中の珠のように愛してやまない娘が恋をしたのはなんと、龍神であったのだった。

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― 新着の感想 ―
第一話、読ませていただきました。冒頭の春の草花の香りを乗せて流れる海風や、大海に落ちるしずくにも似た小さな小さな島の描写が素敵で印象深く、惹きこまれました。 龍と親しげに話す玉、少年の姿になる青藍、…
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