SS ミーナとトゲマルの特製ウエディング・パンケーキ
王立製パン学校の特別厨房は、朝から甘く幸せな匂いで満たされていた。
今日は、この学校の初代校長であるエリナと、第一騎士団長レオンの結婚を祝う、ささやかなパーティーの日だ。
主役の二人が来る前に、サプライズの準備を進めなければならない。
「よしっ。ホエイの配分も完璧、メレンゲのツノもしっかり立ってる!」
主席講師であるミーナは、腕まくりをして大きなボウルと睨み合っていた。
彼女が作ろうとしているのは、パンではない。以前、エリナがぽつりと「たっぷりのシロップをかけた、ふわっふわのパンケーキの塔でお祝いしてみたいなぁ」とこぼしていたのを聞き逃さなかったミーナによる、渾身の特製スイーツだ。
「ピキュッ! ピキュピキュッ!」
作業台の端で、厳しい目つきをした小さな『監督』が前足をパタパタと動かしている。
首元に小さな赤い蝶ネクタイを着けられた、ハリネズミのトゲマルだ。
彼は今日、エリナの傍を離れ、ミーナの助手(という名の味見係)として厨房に派遣されていた。
「あはは、トゲマル監督、急かさないで。今から魔法の銅板で焼いていくからね」
ミーナは熱した分厚い銅板に、ルルティア村特産の新鮮なリコッタチーズとホエイをたっぷりと練り込んだ特製生地を、ぽってりと高く落としていく。
ジュワァァ……という心地よい音と共に、甘いバニラとチーズの香りが立ち上る。
通常のパンケーキとは違う、メレンゲの力で限界まで膨らませた、まるで雲のようなスフレ・パンケーキだ。
「ピギィ……(ゴクリ)」
トゲマルの喉が鳴る音が聞こえた。
彼はじりじりと銅板に近づき、鼻先をひくひくと動かしている。隙あらば、焼きたてに飛びつこうという構えだ。
「ダメだよ、トゲマル。これはエリナ様とレオン団長の大切なウエディング・パンケーキなんだから」
ミーナが優しくたしなめると、トゲマルは「ピキュゥ……」と露骨に肩(?)を落とし、丸くなってふてくされてしまった。
その姿があまりにも可愛らしくて、ミーナはクスリと笑う。
「ふふっ。でもね、優秀な監督さんには、特別報酬を用意してあるんだ」
ミーナは銅板の隅で焼いていた、直径五センチほどの極小サイズのパンケーキを小皿に乗せ、その上に最高級のフォルティス産発酵バターと、とろとろの蜂蜜をたっぷりと回しかけた。
「はい、味見してみて?」
「ピキュァッ!!」
トゲマルは弾かれたように起き上がり、一瞬で小皿に飛びついた。
ハフハフと熱がりながらも、小さな口をいっぱいに開けてパンケーキを頬張る。
とろけるチーズのコクと、蜂蜜の濃厚な甘み。あまりの美味しさに、トゲマルの背中の針が嬉しそうにフリフリと揺れている。
「よし、味の保証はいただいたね! それじゃあ、一気に組み上げるよ!」
ミーナは焼き上がった分厚いパンケーキを、三段、四段と慎重に積み重ねていく。
間に挟むのは、甘さを控えた濃厚な生クリームと、南方の新領土から届いたという色鮮やかなベリーの果実たち。
そして一番上には、飴細工で作った『剣』と『小麦の穂』を飾った。戦場の鬼と、パン職人の結びつきを象徴する、最高のデコレーションだ。
「完成……! エリナ様、喜んでくれるかな」
ミーナが誇らしげに額の汗を拭うと、蜂蜜で口の周りをベタベタにしたトゲマルが、「ピギィ!(絶対に喜ぶ!)」と太鼓判を押すように力強く鳴いた。
――数十分後。パーティー会場の食堂。
「うわぁぁっ……! 何これ、すごい! パンケーキのタワーじゃない!」
会場に入ってきたエリナは、テーブルの中央に鎮座する巨大なスイーツを見るなり、両手で顔を覆って歓声を上げた。
隣に立つレオンは、そのあまりの巨大さと暴力的な甘い匂いに、わずかに眉をひそめて後ずさっている。
「……ミーナ。これは、第一騎士団の全兵士の胃袋を破裂させる気か?」
「ふふんっ! レオン団長、甘いからって逃げちゃダメですよ。これはエリナ様の夢だったんですから!」
ミーナが胸を張って言い返すと、エリナはポロポロと嬉し涙をこぼしながら、ミーナを力強く抱きしめた。
「ありがとう、ミーナちゃん! 本当に、最高の結婚祝いよ!」
「エリナ様……っ、おめでとうございます!」
二人が感動の涙を流して抱き合っている間。
レオンはふと、パンケーキタワーの裏側で何かが動いているのに気づいた。
「おい……」
そこには、トゲマルがパンケーキの一番下の層にこっそりと穴を開け、生クリームにまみれながら二度目の味見(本食い)を敢行している姿があった。
「ピ、ピキュ……(見つかった)」
「……貴様、新郎新婦より先に手をつけるとは、いい度胸だ」
レオンが腕を組み、冷ややかな視線を送るが、トゲマルは全く動じることなく、生クリームのついた鼻先をペロッと舐め、レオンに向かって「お前も食うか?」とでも言いたげに、ベリーを一粒転がしてきた。
「……まったく。お前たちには敵わんな」
レオンは呆れたように息を吐き、口角をわずかに上げて微笑んだ。
甘い匂いと、大勢の笑い声。
パンが繋いだ温かい縁は、今日もこの王都で、とびきり美味しい時間を焼き上げているのだった。




