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第42話 小さな大賢者と囁きの糸②

 学園に流れる風は、休暇を迎えたせいかいつもより静かだった。

 石畳を渡る靴音もまばらで、研究棟の廊下は妙に広く感じる。


 ――だが、エルの感覚は逆だった。

 風に混じる微かな匂い、石壁に響く靴音の“間”、誰かがこちらを観察している気配。

 その正体を掴むべく、彼女はあえて人の少ない時間を選んで図書塔に足を運んだ。



 薄暗い階段を上がり、三階の書架に指を滑らせる。

 昨夜仕込んだ標識粉は、確かに別背表紙に反応を移していた。

 つまり、誰かが“手を触れた”ということ。


 その瞬間、背後の気配が濃くなる。

 呼吸が遅れて響き、振り返るより先に声が届いた。


「……子供にしては、よくやる」


 振り返ると、そこにいたのは銀灰の髪を片目で隠した長身の男。

 黒い外套の裾が床を撫で、右腕には“第七枝”の紋章が輝いていた。


「第七枝――」

「名を刻むほどでもないが……覚えておくといい。セリウス・ヴァルト」


 声が遅れて耳に届く。不気味な違和感。

 エルは即座に理解した。音を歪める闇の魔法――。



 床に指先を触れ、短く詠唱。

「《アクア・ランス》!」

 水の槍が突き上がるが、影が揺らぎ、セリウスの身体は霞むように後ろへとずれる。


「……悪くない。だが浅い」

 彼が片手を振ると、黒い幕が周囲を覆う。

「《ノクス・ヴェール》」

 闇の帷が広がり、音も光も歪む。


 エルは目を細め、呼吸を整える。

(これは……幻惑と遮断を合わせた結界。正面突破は無理)


「《ルーメン・スパーク》!」

 光の針を放ち、空間を照らす。

 一瞬、影の隙間からセリウスの輪郭が浮かび上がる。


「面白い。だが――」

 風が裂け、鎌のような斬撃が飛んだ。

「《ヴェント・クレセント》」


 エルは土の魔法で足場を固める。

「《テラ・シールド》!」

 土壁が風刃を受け止め、砂粒が飛び散った。


「……学園の小娘にしては、なかなかだ」

「小娘、ね。――なら試してみる?」


 エルは深く息を吸い、魔力を無属性で編み込む。

 セリウスの闇結界、その“位相”をわずかに崩す。


 空気が揺らぎ、彼の結界がひび割れた。


「……っ」

 セリウスが目を細める。

 だがエルは追撃をしなかった。あくまで、彼を退けることだけを目的に。



 闇が霧散し、静寂が戻る。

 セリウスは口元にわずかな笑みを浮かべた。


「なるほど……報告通りではないな。

 ――だが、第七枝に名を刻むには、まだ幼い」


 そう呟き、影の中へと姿を消した。


 ノワールが肩の上で鼻を鳴らす。

《名を持つ者が出てきた時点で、遊びじゃなくなったぞ》

「分かってる」

 エルは黒板の残滓を見つめるように、闇が消えた空間を見やった。


「これで確かになった。帝国の“枝”は、本当に網を張ってる」


 彼女は手帳を開き、さらりと文字を走らせた。

 ――“セリウス・ヴァルト/第七枝”。


 新たな名が、敵の輪郭をより鮮明にしていった

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