表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
41/48

第37話 小さな大賢者は、小さな仕掛けを見つける

 普段は講義や研究で賑わう校舎も、今は人気がまばらだ。石畳の中庭では数人の生徒が談笑し、寮の回廊には乾いた風が吹き抜けていく。――だが、休暇は“警戒が緩む時”でもある。


 エルフィーナは早朝、いつも通り机に向かっていた。

 手帳の上に、細かい走り書きが並ぶ。

 ――水路点検の予定をわざと半日ずらす。

 ――書庫の索引を一行だけ入れ替え、目を引く本の棚を移す。

 ――補修申請の用紙に、誤字を一つ仕込む。


 それらはどれも大したことではない。けれど積み重なれば、“偶然”を装った形で、監視の目を逸らす仕掛けになる。


《主。随分と細かいことをする》

「細かいからこそ効くのよ」

《だが、気付かれる危険も増える》

「……いいの。見抜けるほどの相手なら、いずれにしても衝突する」


 ノワールは机の端で尾を揺らし、深くため息を吐いた。


 午前。エルは中庭に降り、休暇中の空気を深く吸った。

 石畳の片隅に腰を下ろし、手帳をめくるふりをしながら視線を流す。昨日から彼女をつけていた“影”は、やはりそこにいた。

 石像の陰で新聞を読むふりをしているが、革靴のかかとは磨耗していない――昨日の廊下で見かけた男と同じだ。


(なら、動かすだけ)


 彼女は立ち上がり、水路沿いを歩き出した。

 ちょうどその時、上級生が水差しをひっくり返し、石畳に水が広がる。足を滑らせた影が、慌てて姿を現した。

 エルは無表情のまま歩みを止めず、内心で小さく呟く。

「――《アクア・スレッド》」


 糸のような細い水流が足元を滑り、濡れ跡を一瞬で乾かした。周囲の生徒はただ「便利な水魔法だ」と思うだけ。けれど影の男にとっては、不意を突かれて現れたことが痛手だったはずだ。


《偶然を置いたな》

「偶然よ。――ただの水こぼし」


 午後。エルは図書塔の三階にいた。

 膨大な魔導書の背表紙が並ぶ中で、ひときわ古びた本を手に取る。わざと索引を間違えて置き直した本だ。

 そこに足音。昼の影とは違う別の人物――女性の補佐官が現れ、無言で同じ棚に視線を落とす。


(来たわね。……索引のズレに気付いた?)


 エルは気付かないふりをして本を開き、指先で頁を撫でる。

 魔力を込めることなく、ただ紙の手触りを確かめる仕草。

 けれどページの隅に、微かな符号を刻んでいた。

 もし誰かが後で“調べた”なら、その符号が痕跡として残る。


《まるで蜘蛛の巣だな》

「網を張るには、目に見えない糸が一番よ」



 夕刻。寮へ戻る途中、フィオナに呼び止められた。

「エル! 明日、一緒に街に行かない? 市で珍しい魔石が出るって!」

 彼女の笑顔は無邪気そのもの。けれどエルには、それが“別の情報線”と重なって見えた。


「……考えておくわ」

 淡々と返すと、フィオナは頬を膨らませてみせる。

「もう! いつもそれ! でも絶対誘うからね!」


 その背を見送りながら、エルは思う。

(偶然に見せかけるのは簡単。でも――フィオナの存在だけは、“偶然”じゃ済まされないかもしれない)



 夜半。机にランプを灯し、今日の出来事を手帳に記す。


 ――水路:上級生の失敗を利用、影一人を露出。

 ――書庫:索引のズレに反応、補佐官が確認。符号を残す。

 ――寮:フィオナの誘い。情報線と重なる可能性。


 ノワールがベッドに丸くなりながら呟く。

《網は広がっている。だが、お前もまた“糸”を張っている》

「ええ。――その先で、必ず結び目が見える」


 ランプの光が消え、夜の静寂が再び部屋を包み込んだ


街は特別市の日で、通りには屋台がぎっしりと並び、人々の声と香辛料の匂いが入り混じっていた。果物を山積みにした台車、魔石をはめ込んだ飾り、焼きたてのパンの香り――視覚も嗅覚も休まる暇がない。


「ほら見てエル! この石、光素を吸って色が変わるのよ!」

 フィオナがエルの手を引いて人混みをかき分ける。その笑顔はまるで子どものように輝いていた。


「……石なんてどこでも売ってるでしょう」

「違うの! 市の日にしか出ない職人がいるの!」


 エルは肩をすくめながらも、彼女の勢いに逆らわず付いていった。


 だが、人混みの奥で違和感があった。

 革靴の音が三つ、呼吸の乱れが少ない。普通の買い物客ではない。――監視。


 エルは表情を変えず、手に取った布を広げてフィオナに見せる。

「これ、似合いそう」

「えっ、本当? やっぱり赤がいいかな!」


 その会話の裏で、彼女は息を潜めて呪文を重ねた。


――《ヴェント・ミスティカ》(風よ、流れを曇らせよ)


 そよ風に紛れて薄い霧が通りを覆う。誰も不自然とは思わない。だが影の三人の足音はばらけ、視線が逸れた。


(……一旦切れたわね)



 フィオナはそんなことに気付く様子もなく、店先で焼き菓子を買い込んでいた。

「エル! 一緒に食べよ! これ、中にベリーが入ってるの!」

「……甘すぎない?」

「大丈夫、大丈夫!」


 フィオナが口に運んで笑顔を見せる。その無邪気さに、エルは小さくため息をついた。

(……この子が“情報源”だなんて、思いたくないのに)



 午後、二人は魔具屋へ立ち寄った。

 店先に並んだ小型の魔石灯に、フィオナが目を輝かせる。

「ねぇエル、これ学園の部屋に置いたら便利じゃない?」

「……光量が強すぎる。夜はむしろ目立つわ」

「えー、実用より雰囲気って大事なのに」


 その言葉に思わず口元が緩む。

 しかし同時に、背後の雑踏で靴音が再び重なった。


(……まだ諦めていない)


 エルは無表情のまま、棚の下に伸びる影を指でなぞる。


――《オブスクーロ》(闇よ、輪郭を曖昧にせよ)


 靴音はすっと遠ざかり、誰も気付かぬまま監視者たちは市の流れに飲み込まれた。



 寮に戻ると、机に小さなランプを灯し、手帳に記す。


 ――市:監視三。霧で分散。二度目、影を闇で曖昧化。

 ――フィオナ:接触深まる。対象としては有効。――ただし無垢すぎる。


 ノワールが窓辺から声を落とした。

《主。お前、だんだん迷ってるな》

「……任務は任務。でも――」

 ペン先が一瞬止まる。

「もし、この偶然が全部彼女に届いたら。……どうなるんだろうね」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ