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夜の闇に飲み込まれなほどに煌々とした光を灯している夜華亭。その隣りにひっそりと建つ別館。
ここは従業員達の居住区になっており、さらに最上階は支配人の私的エリアになっている。
その中の一室大きく取られた部屋。天蓋はまだ下ろされていない寝台の上にアイシャは転がっていた。
寝台の脇には脱ぎ捨てられたであろうウィッグとドレスが散らばっている。
報告にやってきたシャーレはため息をつきながらそれらを拾い廊下にいた下働きのものに手渡す。
「アイシャ様?いつまでも情けない声を出さないでくださいまし」
熱を出し、目を回し、倒れたゆえ運ばれた彼は体調の悪さではなく、己の不甲斐なさで死にそうになっていた。
「ロゼリアとの時間...授業も...」
「はいはい。情けないことに中断されましたねー。かっこ悪いですわねー」
「情けない...かっこ...わる...うぅ...」
看病しているシャーレは自分の主のこんな姿を見るのは初めてだった。
今まで経営関連は全て彼の弟が行っており、年に数回しか見たことの無いアイシャ様は冷静で、頭の回転も早く、無表情。
支配者に相応しい立ち居振る舞いだった。
だが数年前にロゼリア嬢について探るよう頼んできた時から、彼も人間だったんだと理解した。
そこからはもともとの恋愛話好きもあって、何だか愛着が湧いてなんやかんやと協力していたが...。
「そんな、ロゼリアから官能小説出されたからって興奮しすぎじゃありませんか?」
「か!?違う!!!あれは参考書だ!!!!」
「参考書でしたらそのまま授業を進めたらよかったんじゃありませんこと?」
「できるか!あ、あんな...単語...ロゼリアの口から...うわぁぁ...」
こんなに情けない人だったなんて驚きだわ。呆れながらも冷たい水を用意してサイドチェストの上に置いておく。
布団の中で丸まっているアイシャ様の顔は見れないがきっと真っ赤になっているだろう。
「し、しかも!ロゼリアから、閨で..!む、むね...!」
「はいはい、わかりました。なのでそれ以上興奮しないでください。このままな状況でしたら報告せず帰りますよ?」
「待ってくれ!聞きたいから!ほ、ホントちょっとだけ待って欲しい!」
「...あら?もしかして手伝いいります?」
「...いらない。...ただ後で声をかけるので今は部屋から出て行って欲しい...」
あら?これは...軽い気持ちで問いかけたがまさかの状況?
足早に廊下に出てドアを閉める。
過去に何人もの女が彼に迫ったり、教育のためと女を送り込まれていたが全く反応しなかった。
「俺に跡取りを期待しないで欲しい」
そう言っていたアイシャ様が?
もしそうであれば公爵ご当主様達にも報告しなければ。
「息子の様子を報告して欲しい」
これも私の任務ですからね。
数分後、ドアの中から呼び鈴が聞こえそっと中に入ると、ベットの上ではなくソファーに腰かけているアイシャ様がいた。
「シャーレ、報告を」
何しれっとしてるのかしら?と思いながらもそっと空になっていたコップを片付け暖かいお茶を用意する。
「まずリゥから。本日例の彼へとタウンハウスに手紙を送ったと報告を受けております。あと一緒に子爵家についての報告書も預かっております」
「...仕事早いな」
「ロゼリアのことが相当気に入ったのでしょう。話を通しに行ったらとても張りきっていましたよ」
張り切りようが酷かったのは別に報告しなくてもいいだろうと割愛する。
ロゼリアがアイシャ様の想い人で、でも婚約者ありという情報は私たちの仕事柄知ってはいた。
だが、その婚約者と良好では無いし、その婚約者の方が最低の部類に入る人間だと昨日本人の口から聞いたのだ。主のため、気に入った女の子のためやる気満タンと言ったところだ。
「報告書は...やはり彼女は子爵家夫人からは嫌われているみたいだが、何故か当主から何度か庇われているのか?」
「そのようですね。以前婚約破棄書を持参した母子を窘めたのも、破棄書を無効にしたのも彼のようです」
「...当主がロゼリアに執着しているのか?」
「ロゼリアなのか、男爵家なのか、そこまではまだ分かっておりません」
「...引き続き調査を頼む。それで?」
わかっている。今の情報も欲しかったものだろうが、1番気になるのはこちらの方だろう。
それは分かるが目をキラキラさせながらこちらを見ないで欲しい。
この主はいつの間にこんなに可愛らしくなったんだろうか。
仕事中にも関わらず笑いそうになってしまったが何とか堪え口を開く。
「ロゼリアは支配人退出後、従業員のマァリ、グリシャと仲良くなったようです」
「ほう。まぁ彼女は温和で社交的だからな」
「そこで、手紙書きの代行をしていましたが」
「なんだと?彼女は俺の仕事を手伝ったあとだ。疲れていたに違いないのにそんなことをされていたのか?」
「途中で先生役になり2人に文字の書き方を教えていましたよ」
「羨ましい」
正直だ。
だがそんなに羨ましそうにするのはやめて欲しい。
威厳に関わるでしょう。
「アイシャ様?」
「...すまない。それ以外は?」
「特にありませんね。その2人から後日も教えてもらう約束をしたので支配人に妬かないで欲しいとお願いされたぐらいですね」
「ぬ...。妬くのは...仕方ないだろう」
ここにいるほとんどの人間が主人の恋について事情は知っている。言わば全員が味方状態だ。
問題が起きるはずが無い上、警備などで在住している男達には決して近づかないよう自ら警告して回るほど愛を注がれていると周知している。
皆するとしたら応援ぐらいだろう。
「妬く以前にまずはアイシャ様自信がしっかりしてもらわないと困ります」
「わかっている...が、流石に彼女のそ、そういったことを教えるというのは...精神的に死ぬぞ?」
「ですね...。今回みたいに倒れるのも目に見えて分かっていますし、少し作戦を変えますか?」
彼女と過ごす時間は減るがアイシャ様の精神衛生上、別の人が教えた方がいいだろう。
既にマァリ、グリシャには話を通してある。
初め渋った顔をされたが、倒れたあとロゼリアが責任を感じているるようだったと言えば、項垂れるように是と首を縦に降った。
「代わりにロゼリアと時間が取れるよう昼食を一緒にされたらいかがですか?」
「あぁ!そうだな!そうしよう!そうしてくれ!」
「...ご自身で誘ってくださいませ?」
そんな大問題を目の前に抱えたように目を見開いていらっしゃっても、そこは手伝い致しません。
いままで指をくわえて見ていることしか出来なかったとはいえ、自身で動くことも覚えてもらわなければ。
はっきり言ってアイシャ様は見た目も然る事乍ら家柄人柄全てよし。
いままで惚れられた女をの数も数え切れない。
ただ、初恋を拗らせ過ぎているのだ。
相手は好きではないにしろ婚約者がいる身だ。
押して押して、押しまくらないと手に入らないと理解していないのだろうか?
手多分が届かない存在だと納得して、それでも良いと人生決めてしまっていたことがさらに動きを鈍くしている原因でもあるだろう。
「アイシャ様は彼女に自分を好きになって欲しくありませんの?」
「それは...もちろんそうなって欲しいが...」
「ではご自身も努力なさいませ。好きになって貰えるよう行動しなさい」