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怪我が良くなるまではコニーの所で過ごす事にした。自分がどうしたいのかちゃんと考えようと思って。
二日目。朝からお兄さんの事が気になって気になってしかたなかった。夜には声が聞きくなった。頭を撫でてほしくなった。お兄さんが側に居なくてすごくすごく寂しかった。
三日目。もうダメだった。朝、ご飯を食べながらコニーにお兄さんの所に帰ると告げた。コニーは笑ってお兄さん連絡してくれた。昼には迎えに来てくれたお兄さんと一緒に帰って来た。
「どうした?疲れたか?」
ソファに座りほぅ…と息を吐いた私を気遣うお兄さんの言葉に首を横に振る。
「帰って来たなぁと思って」
正直に言うとお兄さんはちょっと驚いたようだった。目を見開いた後、すぐにふんわりと微笑んでくれた。
「おかえり」
言葉と共に唇が軽く頬に触れる。
「っ……ただいま」
慣れない行為に照れながらぎこちなく言葉を返せば今度は微苦笑が浮かぶ。
「ごめ……」
「謝らなくていい」
謝罪の言葉は途中で止められた。
「おに……」
「『お兄さん』は禁止。今度言ったら唇に口付けするから」
冗談のように軽く言われた内容に顔が熱くなる。
「…………」
「…そんなに難しいか?それとも…まさかとは思うけど…俺の名前、覚えてない…とか?」
「覚えてます!覚えてますけど…」
「けど…何だ?」
ちらっと見たお兄さんの目は真剣そのもの。
「…ずっと『お兄さん』って呼んでたから……その…恥ずかしいというか……照れるというか…………」
恥ずかしさに俯いていると頭のてっぺんに柔らかい感触。
「お兄さん?」
「言ったな」
え?あ、しまった!
慌てて顔を上げるとニヤリと意地悪く笑うお兄さん。
「あ、あの……」
耳をふさぐように両手でがっちりとホールドされて俯く事もできない。ゆっくりと近づいてくる顔にぎゅっと目を閉じる。
「…………」
「エミ…」
囁く声と一緒に吐息が唇を掠めて………。
あれ?なんか…ズレてる?
覚悟していたのに温もりは唇の端ギリギリ外側のところ。離れていく温もりにつられるように目を開けると困った顔のお兄さん。
「…ったく。そんな顔するな」
「………」
私、どんな顔してたんだろう?
宥めるように優しく頭を撫でられていたたまれなくなり俯いてしまう。
私、何やってるんだろう。ただ名前を呼べばいいだけなのに。こんなに優しく大事にしてくれる人困らせて。ダメな子すぎるでしょう。
よし!と気合いを入れる。けど、なかなか声が出なくて緊張してくる。
「………………」
だ、だめ。落ち着かなきゃ。そうだ深呼吸!深呼吸しよう。吸って吐いて、吸って吐いて……よし!もう大丈夫。
「エミ?」
不思議そうに、心配そうに名前を呼ぶ声。だけど顔を上げる勇気はなくて。お兄さんのーーカオンさんの服をぎゅっと握りしめて口を開いた。
「……カオン、さん…」
小さく掠れた声。だけど名前を呼べた事にホッとする。緊張もスッととけた。
「………」
………あれ?反応がない?
「…カオンさん?」
そっと顔を上げてもう一度呼べば目が合った途端、カオンさんは口元を隠すように手で覆って顔を反らした。
「え?」
なに?この反応?手でよく見えないけど顔赤い?
「あの……」
「…反則だ……可愛すぎる…」
呟くカオンさんの声はくぐもってよく聞き取れない。
「はい?」
訊き返すといきなり抱きしめられた。
「……可愛すぎて…タチが悪い………」
腕の力が少し強くなって体がぴたりと密着する。そのいつもと違う抱きしめられ方にドキドキしてくる。
「あ、あの……」
「黙って」
「でも……」
「いいから…」
ドキドキドキドキ。心臓の音がすごい。全力疾走した時みたいに早い。こんなに早いままだと心臓壊れちゃうかも…なんて考えているうちに気付いた。
あれ?私だけじゃない?カオンさんもドキドキしてる…?
「………」
「………」
どれぐらいそうしていたのか。やがてカオンさんがふぅ…っと大きく息を吐いた。そっと抱きしめていた腕を解いて少し体を離される。おずおずと見上げるとちょっと困った顔のまま。
「少し…格好つけすぎた」
「え?」
「悪い」
顎を持ち上げられたと思ったら唇が重なった。そっと触れるだけの優しいキス。
「…こういう時は目を閉じてくれ」
苦笑しながら言われてずっと目を開けたままだった事に気が付いた。
「あ……」
「もう一回、な」
そう言って再び近づいてきた顔に慌てて目を閉じる。さっきよりも少し長いキスが終わるとまた優しく抱きしめられた。
「…マロウドでなければ……」
辛そうに呟かれた本音。
「無理矢理…した?」
「しない」
少し茶化して訊けば即否定された。
「しないけど…もう少し強引に口説いたとは思う」
「は?」
強引に口説く?なんか意外。
「何だ?意外そうな顔してるな」
「うん。すっごく意外」
「俺はそんなに聖人君子じゃないぞ?」
ひとしきり笑うカオンさんの表情不意に変わった。
「………エミ、待っててくれるか?」
「?」
「君の世界に行く方法を探す。探して必ず迎えに行くと言ったら…君は待っててくれるか?」
「…女は本当に好きな人から待っててくれって言われたら…いくらでも待つよ……」
確か古い歌にもあった。迎えに来ると信じて待っているうちに年老いてしまったっていう恨みを詠んだ歌だったけど。
「そうか」
「そうだよ」
「………」
「………」
「……エミ。待っててくれ」
「はい…待ってます……」
頷くとまた顔が近づいてくる。約束のキスは優しくて少し切なかった。
ずっと待ってます。あなただけをずっと…
カオンさん、我慢出来るようで出来てない。