鉄組壊滅作戦18
総介が、屋上へ辿り着いた時には、眞吾が乗るヘリコプターは、既に離陸した後だった。
その操縦桿は、《S》が握っている。
総介に続いて、茉里華も屋上へ辿り着いた。
眞吾は、上昇するヘリコプターの中から2人を見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべていた。
「総介、ハンドレールガンで撃ち落とせ!」
総介は、首を横に振った。ハンドレールガンのバッテリーは、既に切れていたのである。
ヘリコプターは、茉里華達が呆然と見上げる中、更に上昇を続けた。
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「残念だが、アンタの役目はここまでだ!」
ウルフ=ザ=キッドが、ライフル銃の引き金を引いた。
ライフルの弾丸は一直線に操縦桿を握る《S》の側頭部を貫いた。
その瞬間、コクピット内は鮮血に染まった。
コントロールを失ったヘリコプターは、暴れ馬の如く、グルグルと回転しながらビルの屋上へ落下したのであった。
総介は、咄嗟に茉里華へ覆い被さり、共に身を伏せた。
ヘリコプターは、爆発こそしなかったが、辺り一面に残骸が散乱しており、機体はその原形を止めてはいなかった。
「序だから、奴も始末するか?」
ウルフは、背後に立つマスターの顔色を伺った。マスターの眉がピクリと動いた。
「近い将来、彼と勝負をする時が来る。必ずな……」
企業広告を掲げた飛行船は大きく旋回すると、ウルフとマスターを乗せたまま、空の彼方へと消えて行った……。
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「……終わったのでしょうか?」
「うむ……」
意外と呆気ない幕切れに、茉里華と総介は顔を見合わせた。
「18時15分を以て、本作戦を終了する!」
茉里華が、PEPT(警察官専用携帯端末)で全警察官に告げた。
鉄眞吾の墜落死により、鉄組壊滅作戦は終了したのである。
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現場では、約500人の警察官を動員して、ビル内の捜索が行われていた。
『35階の階段付近にて、《K-team》メンバー、牧田清晴及び城島一の身柄を確保しました』
『ヘリコプターの残骸から、鉄眞吾と《K-team》メンバー、沢野孝と思われる遺体を発見しました』
捜査状況が、茉里華の所に絶え間なく入って来る。
そして、茉里華と総介の2人は、エレベーターで地下へ向かっていた。
不意に茉里華が総介にハンカチを手渡した。
「……これは?」
「顔ぐらい拭いて行け」
総介の顔は、返り血と煤で、赤黒くなっていた。
総介が顔を拭き終わった時、茉里華の頭が目の前にあった。
「まだ、拭いていろ!」
茉里華は、総介の胸板に顔を埋めている。
「……ありがとう。本当にありがとう……」
そう言うと、茉里華は何事もなかったかの様に総介から離れた。
すぐに、エレベーターは地下3階へ到着した。
そして、ドアが開いた……。
「総ちゃーん!」
入院している筈の聖理奈が、パジャマ姿で松葉杖を付きながらヒョコヒョコと近付いて来た。
その奥のミニバンからは、美里亜も降りて来た。
「聖理奈さんに美里亜さんも、どうしてここに?」
「聖理奈さんが、どうしても行きたいと言うので、茉里華姉様に許可を頂いたのですよ」
総介は、茉里華がエレベーターの中で、『顔を拭け』と言った意味が、今ようやく分かった。
「迎えに来たんだよ、総ちゃん。一緒に帰ろ」
聖理奈は病室で、テレビから流れる現場の映像を目の当たりにして、居ても立ってもいられなくなってしまったのである。
それに、総介がどこか遠くへ行ってしまいそうな気がしたから……。
聖理奈の『総介を繋ぎ止めておきたい』という願望が、彼女に行動を起こさせたのだ。
「……では、私は後処理が残っているので、先に失礼させてもらう」
茉里華は総介の肩をポンと叩き、ウィンクをして立ち去った。
その様子をジーッと見つめていた美里亜が、総介に詰め寄った。
「総介さん。茉里華姉様と、何かありましたか?」
「い……いえ、何も」
相変わらず、鋭い女性だ。
実は、美里亜は、総介の行動の一部始終を監視カメラからの映像で観察していたのだ。
総介の人並外れた反射神経と運動能力。そして、美里亜に恐怖を与える程に変貌する人格……。
全てが終わった時には、いつもと変わらぬ笑顔で『お帰りなさい』と言って迎えてあげようと心に決めていたのであった。
そして、研究対象の素材としても……。
3人を乗せたミニバンは、ビルの外で待機するマスコミの目を掻い潜り、家路へと急いだ。
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警察による『鉄組壊滅作戦』終了のニュースは、瞬く間に全国のお茶の間に広がった。
街中では号外紙が飛び交い、テレビでは予定を変更して特番を放送する局が相次いだ。
また、一部では『国家権力の名の下に繰り広げられた、体の良い弾圧紛争だ!』等と言う批判的な意見もあったが、その後の世論調査で八割の国民が『警察支持』との回答を寄せたのである。
涼音は、保護後、すぐ様病院へと搬送されたが、擦り傷と打撲以外は特に異状箇所は見られず、翌日退院した。
その涼音の横には、娘を想う父親・虎之介の姿があったという。
そして、涼音の証言から、ビルの27階と28階の間の隠し中フロアにて、軟禁されていた女性達が発見され、全員無事に保護されたのであった。
しかし、その中には涼音の母・早苗の姿はなかったという。
更に、美香の遺体が発見された26階の隠し部屋を捜索した所、複数人の血液が検出された。
この隠し部屋では、拷問や殺戮が日常的に行われており、その様子を撮影した映像が、『スナッフビデオ』として世界中のマニアの間に出回っていたのだ。
今回の警察による前代未聞の『大立ち回り』は、連日連夜マスコミ界を大いに賑わせた。
特に、『美人指揮官・神崎茉里華警視』 関連の記事が多く見られ、『現代のジャンヌ=ダルク』と称賛する崇拝者まで現れる始末だ。
その一方で、鉄組と癒着が指摘された警察官及び職員の逮捕者が数千人規模で続出した事については、警察庁長官、国家公安委員会、そして、藤堂俊介警視総監らの辞任によって、本件の幕を下ろしたのである。
しかし、これにより国民の警察不信が、更に高まった事は紛れもない事実でもあった。
今回の壊滅作戦で、総介によりダメージを受けた鉄組連合の構成員達については、全員が何とか一命を取り留める事は出来たが、脊髄等の損傷による半身不随や手足等の欠損により、日常生活に不自由を強いられる事となってしまった。
そして、司法当局は凶悪犯罪者に対してのみ適用を許されている『一審制に於いての即日判決』により、『K-team』メンバー及び親分衆と幹部クラスに対し『極刑』を言い渡し、刑は即時執行されたのであった。
これにより、長年に渡り人々を苦しめた日本最大の広域指定暴力団・鉄組は事実上壊滅したのである。
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そして、時は流れて1カ月後……。
総介は、体の半分はある大きなバッグを肩に掛けて、大徳寺邸の正門前に立っていた。
「お久し振りです、甘井様。その節はどうも!」
メイドは、総介を快く出迎えてくれた。総介も、笑顔で挨拶を返した。
それと言うのも、今日は報酬の支払日なのである。
弁天屋物産社長の虎之介の計らいで、報酬金額は、何と破格の8桁なのだ。
総介は、以前から私服を新調したいと思い、ここへ来るまでに、何軒かの店に立ち寄って来たのであった。
そのせいか、メイドに付いて応接間へ向かう足取りも、心無しか軽い。
「旦那様、甘井様をお連れ致しました」
メイドは去り際に、総介の大きなバッグを横目でチラッと見ると、不思議そうな表情で首を傾げた。
「やあ、総介くん!久し振りだね。待っていたよ」
応接間へ入ると、虎之介が駆け寄り、両手で握手を求めて来た。
虎之介は、総介の手を引き、ふかふかのソファに座らせた。
「おーい、涼音。総介くんが来たぞー!」
虎之介は、大声で涼音を呼んだが、何も反応は無かった。
「おかしいな……。きっと、あの子も総介くんと会うのは久し振りだから、照れてるんだろう」
総介は、バッグの中からA4サイズの茶封筒を取り出した。
「遅くなりましたが、調査報告書です」
総介は、茶封筒の中から数枚綴りの報告書を取り出し、それを虎之介に手渡した。
虎之介は、報告書をパラパラと流し読みすると、うんうんと頷きながらそれを閉じた。
「約束通り、ギャラは指定の口座に振込んでおいたよ」
「え……指定口座……ですか……?」
総介はてっきり、現金で手渡されるものだとばかり思っていたのだ。だから、わざわざ大きなバッグまで持参して来たと言うのに…。
「喫茶店の女主人、美里亜さんだったな。彼女は、総介くんのマネージメントも兼務していると言うからね。……ところで、その大きなバッグは、一体何だね?」
「いえ、これは……その、帰りに食材の遣いを頼まれまして。ハハハ……」
総介は、苦笑しながら、バッグを小さく折り畳んだ。
「……では、失礼します」
「あ、総介くん。…私の右腕として、涼音の未来の夫として、ウチに来てくれないだろうか?」
総介の帰り際、虎之介は最後にもう1度だけ、総介を口説いてみた。
「……申し訳ありません。こんな僕でも、助けを待っている方がいる限り、今の仕事を続けて行こうと思っています」
総介の意志は固かった。これで虎之介は、総介に2度もフラれた事になる。
総介の退室後、虎之介は調査報告書を手に取り、読み返した。
「惜しい男だな……」
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総介は、大徳寺邸の正門前に立ち、一礼をした後、帰宅の途に就いたのであった。
「ちょっと待ちなさいよ、総介!」
勝手口の前で、涼音が待ち伏せていた。涼音とは、救出劇以来のご対面だ。
総介は、涼音の顔をジーッと見入り、そして、微笑んだ。
「涼音さん、お久し振りです。顔の傷痕が残らなくて良かったですね。折角の可愛いお顔が台無しですからねぇ」
「なっ……何言ってるのよ。バカみたい!」
涼音の顔が、見る見る内に紅潮してきた。
「……もう、帰るの?」
「はい、仕事が終わりましたからね」
「もう、ここには来ないの?」
「そうですねぇ。ご依頼があれば、また来ますよ」
「……遅くなったけど、……ありがとう。助けてくれて……」
普段から、他人に対して御礼の言葉を言わない涼音が、勇気を振り絞って言ったのである。
「はい、仕事ですから」
(む……)
「あ……あと、あの時のアレ、事故だから。他に、意味はないんだから!」
総介はしばらく考えると、両手をポンと鳴らした。
「ああ、キスの事ですね?大丈夫ですよ。気にしていませんから」
(むむ……、少しは気にしろ!)
勢い余った事とは言え、涼音にとっては初めてのキスであった。
「それでは、お元気で。涼音さん」
総介は、別れ際に右手を差し出し、涼音に握手を求めた。
涼音は、そっと手を重ねて握り返すと、総介の手を力一杯に引き寄せた……。
「むぐ……!」
涼音の唇が総介の唇と重なった……。
涼音の柔らかい唇の感触が伝わる。
「ふうーっ。今のは事故じゃないから、ちゃんと気にしてよね!」
涼音は、総介の唇に人差し指を当てた。
「は、はい……」
総介は、唖然とした表情だ。
「他に用がないなら、さっさと行きなさい!ほら、早く!」
涼音は、急かす様に総介の背中を押した。まるで、今の自分の表情を総介に見せまいとするかの様に押し続けた。
総介も、それを察したのか、そのまま振り返らずに一言の挨拶を口にして去って行った。
「有り難う御座います。お元気で、涼音さん」
その瞬間、涼音の瞳から、それまで堪えていた涙が一気に流れ出てしまった。
「そう……す……け。総……介。そ、総介ぇ……」
総介の姿はもう、どこにも見当たらない……。
こうして、涼音の儚くも切ない『初恋』は、終わりを告げたのであった……。
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カランカラン……
総介が、『喫茶店ひだまり』へ着いた頃には、既に日が沈んでいた。
「お帰りなさい、総介さん」
「お帰りー、総ちゃん」
美里亜と聖理奈が、出迎えてくれた。
店内には、相変わらず美里亜目当ての男共が溜まっていた。
「総介さん、ちょっと待っていて下さいね」
美里亜は、店の奥へ入ると、1冊の封筒を手に持ち、再び出て来た。
「お疲れ様でした。今回のギャラですよ」
総介は、胸の高鳴りを感じながら、封筒の中から明細書を取り出し、広げて見た。
一番上の欄には、ギャラの総支給額が記載されている。それは、総介が夢にまで描いていた8桁の数字だった。
総介の胸は、更に高鳴る。
その下からは、控除対象の一覧だ。
所得税や住民税、年金と保険も、しっかり天引きされている。
『家賃6カ月分、聖理奈が勝手に注文したアイスコーヒー、向かいのマンションの修繕費、喫茶店のテラスの窓の修繕費、ステンレス製のお盆、ハンドレールガン、チタニウム合金X製ジャケット、円月輪のリフォーム、あんぱん等々……』
そして、最後にスーパー・デラックス・ロイアル・ストレート・アメリカンコーヒーが2杯。
封筒の中には、控除金額を差し引いた手取りのギャラが入っていた。
総介が、封筒を逆さにすると、手のひらにポトッという感覚が伝わってきた。
総介は、恐る恐る手のひらに落ちた硬貨を見た。
今回の命を張った任務で、総介が手に入れた手取りの報酬金額は、500円玉が1枚だけであった……。
しかし、総介は、未だへこたれない。
今日は、警視庁からの成功報酬の受取日なのだ。
「そう言えば、今日は警視庁からの成功報酬の受取日なんですよね?」
「へー、幾らなの?」
「公庫から出るものですから、8桁までとはいきませんが……」
美里亜と聖理奈が、そんな話をしている所にフェ〇ーリの近所迷惑なエンジン音が、店の外から聞こえてきた。
総介は、期待に胸を膨らませ、入口に顔を向けた。
カランカラン……
茉里華は、店に入るや否や、総介が座るカウンター席へ一直線に歩み寄って来た。
「総介、お前が必要以上に重傷者を出してくれたお陰で、こちらは大赤字だ!」
茉里華が、総介を睨み付ける。店内に緊張が走る。
「奴等の治療費は、お前のギャラから引いておいたぞ!」
そう言って、茉里華はカウンターテーブルの上に、警視庁のマスコット『ピ〇ポくん』の貯金箱を置いた。
「……これは、何ですか?」
総介は、額に脂汗を滲ませて尋ねた。
「これが、警視庁からお前へのギャラだ!」
総介は、愕然とした。この2週間、命の危険に見舞われながらも、何とか熟した任務の見返りが、500円玉とピー〇くんの貯金箱だとは……。
「そうそう、総介さんに依頼が来てますよ」
美里亜は、携帯電話を開いた。
彼女は、『甘井調査事務所』のホームページをちゃっかりと作っていたのだ。
(い、いつの間に……)
美里亜は、ホームページへ寄せられた依頼内容を読み上げた。
「良いですかぁ、総介さん?ゴミ屋敷の掃除、迷い猫の捜索、不良中年の素行調査……。総介さん、大繁盛ですねぇ!」
美里亜の悪意のない皮肉が、総介の心を深く抉る。
「総ちゃん。私もクライアントに頼んで、仕事を回して貰うから、心配しないでよー」
「あ……有り難う御座います。ハハハ…」
総介は、笑う事しか出来なかった。笑う事で、辛うじて理性を保っていた。
カラーン……
〇ーポくんの貯金箱に入れた500円玉が、虚しく響いた……。
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『国際公認スイーパー』甘井総介。彼を『スイート・スイーパー』と呼ぶ者は、……………まだ居ない。