鉄組壊滅作戦1
その日、娯楽の聖地・秋葉原は騒然としていた。
とあるメイドカフェで、爆薬を身体中に巻き付けた男が店員を人質に立て篭もったのだ。
この店の常連客だった男が、その店員に恋をした事から全ては始まった。
彼は、生まれてから女性とは全く縁の無かった自分に対し、いつも優しく接してくれる彼女が好意を抱いているものだと勘違いをしたのだ。
そして、彼女を執拗に付け回した。いわゆる、ストーカー行為を働いたのだ。
悩んだ彼女は、警察に相談した。当然、男は警察当局から厳重注意を受ける事となったが、その出来事が彼の凶暴な闘争本能に火を点けてしまった。
彼は、聖地・秋葉原の有りとあらゆる『知識の泉』を駆使し、自作の起爆装置と爆薬を自らの身体に巻き付け、お目当ての女性店員を人質にメイドカフェ店内に立て篭もった。
事件現場となった店舗から半径200メートル圏内には退避命令が敷かれ、その周囲を武装機動隊が固めている。
この現場の陣頭指揮を執るのは、若干24才にして『警視庁広域犯罪対策本部長』の肩書きを持つ女傑、神崎茉里華警視である。
茉里華は、作戦指令車内でモバイルパソコンのモニターに向かって話し始めた。
「剛田剛だな?私は、この現場の指揮を執る神崎だ。私の声は聞こえているな?」
茉里華のモバイルパソコンは、メイドカフェ店内のセキュリティシステムを通じてスピーカーと監視カメラに連動している。
犯人・剛田は、目の前の監視カメラに視点を合わせた。
『う……うるさい!お前達警察が、僕達2人の仲を引き裂こうとしたから悪いんだぞ!』
剛田には全く反省の色が見えない。それどころか、起爆スイッチをカメラの前でちらつかせ、挑発行為を楽しんでいる。
剛田が身体に巻き付けている爆薬は、人質を含め半径100メートルを吹き飛ばす程の威力があると思われる。そのせいか、剛田は警察よりも自分の方が優位に立っているものと考えている様だ。
理由はどうであれ、人質の人命を最優先に考慮した結果、警視庁上層部が下した決断は、犯人・剛田の『射殺命令』であった。
既に狙撃班は、犯人が立て篭もる店舗を中心に四方から取り囲む様に配置付けされていた。
彼等、4人の狙撃手達は、サーモスコープを装着し、約300メートルの距離から黙々とライフル銃で狙いを定めている。
サーモスコープは、標的が壁等の死角に入った場合でも、その体温を感知し確実に仕留める事を目的とした狙撃班特有の装備品だ。
『各自、1発で仕留めよ!2発目は無いものと思え!』
PEPT(警察官専用携帯端末)を介した茉里華の言葉が、狙撃手達に緊張感をもたらす。
茉里華の言う通り、1発で仕留め損なえば、犯人は躊躇う事無く起爆スイッチを押すに違いない。
狙撃手達は、サーモスコープを凝視しながら引き金を引くタイミングを見計らっている。
一方、剛田は、人質の女性店員を右腕で抱え込み、左手に握り締めた起爆スイッチをわざと見える様に頭上に翳した。
その瞬間、1発目の特殊貫通弾が壁を突き抜け、剛田のこめかみを僅かに掠った。
「……ッ!?」
剛田のこめかみから一筋の赤い血が流れ落ちる。
更に、アルミ製の窓枠に接触した為に弾道が逸れてしまった2発目は、カウンターテーブル上の花瓶を撃ち抜いた。そして、3発目と4発目は、戸棚の中の皿とコーヒーカップを粉砕した。狙撃は失敗した……。
「お……お前等、ぼ……僕を殺そうとしたのか!?ふ……ふざけるな!みんな、死んじゃえぇぇぇぇ!!」
逆上した剛田は、茉里華が懸念した通り、起爆スイッチを握った左手親指に力を込めた。
『万事休す!』と、誰もが思ったその時、一筋の閃光が剛田の左手親指を一瞬にして削ぎ落とした!そして、親指を失った左手から抜け落ちる起爆スイッチを更なる閃光が撃ち抜いた!
『武装機動隊、突入せよ!』
茉里華の号令で、店舗脇に待機していた武装機動隊が、一斉に店内への突入を敢行した。
剛田は、抵抗する間も無く、武装機動隊により身柄を拘束されてしまった。人質の女性店員も無事に保護された事で、この秋葉原を舞台にした人質籠城事件は、呆気なく終わりを告げた。
茉里華は作戦指令車から降りると、胸ポケットから携帯電話を取り出し、電話を掛けた。
「美里亜、ご苦労だったな。総介に伝えてくれ。『お陰で、作戦は成功した』と」
茉里華は、僅かに笑みを漏らしながら電話を切ると、再び険しい表情へと戻った。
「皆、もう一頑張りだ。頼むぞ!」
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時を同じくして、事件現場となったネットカフェから、東に1.5キロメートル程の所に立つ高層ビルの一室に、その2人はいた。
「……だそうですよ、総介さん。良かったですねぇ、茉里華姉様に褒めて頂いて!」
美里亜は、そう言って微笑みながら、携帯電話をハンドバッグの中に仕舞い込んだ。
「ははは……」
総介は苦笑した。
2XXX年。世界は、第5次世界大恐慌の煽りを受け、混沌の中に陥っていた。
各地では、テロ・誘拐・強盗・殺人・麻薬等の凶悪犯罪が横行し、民間人への被害が後を絶たない日々が続いた。
この事態を重く見た国連常任理事国の各首脳は、国連総会に於いて国際法を一部改正し、『国際公認スイーパー』という新しい国際資格制度を設け、彼らに捜査権及び死刑執行権を与えた。いわゆる、『公認スイーパー』の誕生である。
彼等は警察や司法機関と連携し、凶悪犯罪者への『死刑執行』が許されている。
彼、甘井総介は、幾多の難関を乗り越え、国際資格を取得した『国際公認スイーパー』の1人である。
突然、美里亜が何か思いついたのか、両手を叩いた。
「そうだわ、総介さん!今日は、先日のギャラが振り込まれている筈ですから、皆さんを呼んで、お祝いをしましょう!」
「何のお祝いですか?」
「勿論、総介さんの任務遂行祝いです!」
「僕のギャラで、僕のお祝いを……ですか?」
「はい!」
満面の笑顔で、美里亜が答えた。
宴会好きな美里亜に対し、「いつもの事だから」と、諦めモードの総介であった……。
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その夜、近所の大衆居酒屋で総介の『任務遂行祝い』が細々と行われた。
「それでは、総介さんの任務遂行を祝しまして、乾杯ーーっ!」
美里亜の呼び掛けに、近所から商店街の仲間達が駆け付けた。
「皆さん、済みません。総介さんのギャラでは、こんな所でしか、ご馳走出来ませんので……」
「『こんな所』で悪かったな!チッ!」
居酒屋の店主が舌打ちをした。
「総介君、今度はどんな任務だったんだい?浮気調査かい?」
商店会長が、ほろ酔い気分で尋ねた。
「企業秘密です。ハハハ……」
この商店街で総介の業務は、『甘井調査事務所』として登録している。つまり、一般的に言うところの『探偵事務所』である。
世間的に公認スイーパーと言えば、『公的な殺し屋』というマイナスのイメージが多くを占めている。確かに、公認スイーパーの周りには、血なまぐさい話が多い。それ故に、『甘井調査事務所』は公認スイーパー・甘井総介の隠れ蓑となっているのだが、最近では本業よりも探偵業の方が忙しい。
「総介君、肉屋の子猫が逃げ出して、困っているそうだ。捜してくれるかな?」
「は、はあ……」
そのほとんどが、お金にならないボランティアの様だが……。
「今日は、総ちゃんの奢りだって?」
仕事帰りに立ち寄った美里亜の妹・聖理奈が、空いた席に着くなり生ビールを注文した。
それに釣られて、他の連中も追加注文をし始めた。皆、人の奢りとあってか、全く容赦がない。
「はあぁぁぁ……」
総介は、大きな溜め息を吐いた。
『ゲコッゲコッ……』
不意に鳴り響いた蛙の鳴き声に、店内は一瞬にして静寂に包まれた。
美里亜は、徐にハンドバッグの中から携帯電話を取り出した。
それは、美里亜の趣味なのか、お世辞にも清楚な彼女に似つかわしいとは言えない着信音に、一同は失笑せざるを得なかった。
電話の相手は、茉里華である。
『美里亜、私だ。今日の飲み会には、出席出来そうもないのだが……』
「事件……ですか?」
『うむ、済まんな……』
「では、次回のお祝いの時には、是非、お来し下さい」
その電話のやり取りを聞いていた総介の表情が、次第に曇り始めた。
(この分だと、また、たかられますね……)
「美里姉、茉里姉は来られないの?」
多少、酔いが回った聖理奈が頬を赤らめながら尋ねた。
「はい、お仕事ですから、仕方がありませんね」
茉里華の欠席連絡に、店内の連中は意気消沈の様子だ。
この商店街にとって神崎三姉妹は、看板姉妹とも言うべき名物の一つである。
以前、とあるタウン情報誌で紹介された事がきっかけで、口コミやインターネット等によって噂が広がり、商店街の潤いに一役買っているのだ。
最近、彼女達の本業が忙しいせいか、なかなか三姉妹が揃うという事はなくなった。『他人の奢りで、美人三姉妹と飲む酒』を期待して来た商店街の連中だったが、世の中、そう思い通りにはいかないものだ。
「みんな、仕切り直すわよ!」
この沈んだ場の雰囲気を盛り上げるべく、今度は聖理奈がジョッキを片手に立ち上がった。
「この『ひだまり商店街』の前途を祝して、乾杯ーーっ!」
「聖理奈ちゃんの言う通りだ。さあ、飲み直しだ!」
商店街の連中に、再び笑顔が戻った。
ただ一人、いつの間にか飲み会の趣旨が変わったにも拘らず、スポンサーの立場は変わらずの総介だけは、苦笑していた。
「ハハハ……」
かくして、『総介の任務遂行祝い』もとい、『ひだまり商店街の前途を祝う会』は、夜が明けるまで盛大に続いた。
そして、総介のギャランティのほとんどが、商店街の連中の腹の中に消えた事は言うまでもない。
『国際公認スイーパー』甘井総介。人呼んで、『スイート・スイーパー』。彼の前途は、多難である。