第2話 キャットファイト! ポロリもあるよ!
――ゼンがタダ酒の匂いを嗅ぎつける、少し前のこと。
冒険者ギルドの受付カウンターに、ズシリと重たい麻袋がいくつも置かれた。
今回の防衛戦で、俺たち三人が稼ぎ出した魔獣の討伐報酬と素材の買取金だ。
袋の口から覗く金貨の輝きに、俺は隣に立つフロン、マレーと顔を見合わせる。
「……すげえ額だな」
今までの俺たちなら、ここでゲラゲラと笑い声を上げ、鼻を高くして周囲を見下していたところだろう。
だが今日は、とてもそんな気にはなれなかった。
『本物』を見てしまったからだ。
大通りで魔獣の群れに囲まれ、死を覚悟した瞬間に現れた勇者パーティーの連中。
化け物、人外、天災――様々な異名で語られる、規格外のSランク冒険者。
俺は大剣の一振りで魔獣を真っ二つにはできるが、あいつらのように一撃で群れごと吹き飛ばすことなど到底できっこない。
『俺たちはAランクになれる実力があるのに、なんでギルドはBランクに据え置きやがるんだ?』
今まで、酒場で不貞腐れクダを巻いていた自分が、恥ずかしくてたまらない。まさに井の中の蛙だ。
あの化け物どもの背中を見てしまった今ならわかる。俺たちごときが、Sランクの『ひとつ下』の階級にいて良いはずがないのだ。
しかも聞けば、あの連中は今回の莫大な討伐報酬をすべて辞退したという。こないだこの酒場で俺たちを丸裸にした男も、あの『ミステリアスのゼン』だったらしい。
力でも、人としての器でも、俺たちのような小物とは出来が違う。
「……あの、ジャンさん? 報酬の確認をお願いします」
大金を前に黙り込む俺の様子に、ギルド職員が胡乱な目を向けてきた。
俺は一つ大きく息を吐き出すと、袋を掴み、併設された酒場の方へと振り返って怒鳴り声を上げた。
「お前ら! 今夜は俺の奢りだ! この金を綺麗さっぱり使い尽くしてくれェッ!!」
一瞬の静寂のあと、酒場中から大歓声が巻き起こる。
俺はそのままカウンターの近くにいた看板娘のエレンへ袋を突き出した。
「嬢ちゃん! これだけありゃあ、今日の酒代は足りるか!?」
「えっ……!? た、足りるどころか、多すぎます! 十分の一でおつりが出ますよ!」
目を丸くして慌てるエレンに、俺はニヤリと笑って言い放つ。
「なら、ツケで飲んでる連中も全部そっから引け! 町中からありったけの酒も追加だ! ……それでも余った分は、今までの迷惑料として嬢ちゃんがとっとけ!」
「え……っ?」
目を瞬かせる彼女からぶっきらぼうに視線を逸らし、今度は受付の奥へと声を飛ばした。
「オラ! ギルドも今日は仕事上がりだろ!? お前らもさっさと参加しろ!」
歓喜の渦に沸き返る酒場を前に、後ろで聞いていたフロンが呆れたように肩をすくめた。
「やれやれ、その袋には俺たちの報酬も入ってるってのによ……」
「なんだ? 金が必要だったか?」
「いいや。お前が言い出さなきゃ、俺が同じことを言ってたさ」
マレーも隣で不敵に笑う。
ちっぽけなプライドは今日で捨てる。この悪くない気分を肴に飲む酒は、きっと格別なはずだ。
――――
――この世で最も美味いものは何か?
このゼンさん、そう問われたらこう答えよう。
タダ飯とタダ酒だ。
他人の金で飲む酒は、どうしてこうも五臓六腑に染み渡るのか!
タダ最高!
「はい、ゼンさん行きまーす!!」
俺が特大ジョッキを傾けると、周囲を取り囲む酔っ払いたちから『イッキ! イッキ!』と手拍子とコールが巻き起こる。
最後の一滴まで綺麗に飲み干し、空になったジョッキをバンッとテーブルに叩きつけた、その瞬間。
ドサリ、と向かいの席に座っていた大男の冒険者が白目をむいて床へ倒れ込んだ。
「おーっと、もうギブアップか? 弱いなー! ほら、他に誰か挑戦者はいないのかー!?」
俺が上機嫌で周囲を見渡していると、ふと酒場の隅のテーブルに視線が留まった。
そこに座っていたのは、この酒場で出会ったゴロツキ三人組。
せっかく誰かさんの太っ腹な奢りでお祭り騒ぎだというのに、なんだか三人だけでしんみりとジョッキを傾けているではないか。
……あー、なるほど。こないだ俺がカードで身ぐるみまで巻き上げちゃったから、まだ落ち込んでるのか!
ワハハハハ! このゼンさんがいる酒場で、そんなしんみりなんかさせねえよ! 親の葬式帰りでも腹を抱えて笑わせてやんぜ!
俺は新しいジョッキをひっ掴むと、彼らのテーブルへと乱入し、大声で肩を叩いた。
「おーい! お前らも一緒に飲もうぜー!!」
――――
『ジャン! 負けんなー!』
『ゼンさん! 頑張れー!』
割れんばかりの歓声と手拍子が、俺たちのテーブルを幾重にも取り囲んでいた。
俺は、目の前に置かれた五杯目の大ジョッキを気合いで煽り、喉へ流し込む。周囲から『おおおおっ!』とどよめきが上がった。
……待て。なんで俺は今、この男と飲み比べなんかしてやがるんだ?
せっかく己の未熟さを噛み締めながら、しみじみと格好つけて飲んでいたはずなのに。
「ワハハハ! いい飲みっぷりじゃねえか! ほら次だ次ー! なんだお前、もう限界かー?」
「ま、まだまだァ……っ!」
煽られるままに六杯目のジョッキを引っ掴むが、すでに視界はぐわんぐわんと揺れ、腹の奥からいろんなものがせり上がってきていた。
あ、これやべえ。
「おっと、あんまり無理すんなよー? 吐いたら負けだからなー!」
「まだ、まだだ……っ!!」
俺は意地だけでジョッキの中身を胃袋へねじ込み、空のジョッキをテーブルに叩きつけた。
アルコールで完全に麻痺した脳みそ。目の前でケラケラと笑う、金バッジの男。
その顔を見ていたら、さっきまで胸の内に溜め込んでいた劣等感だの悔しさだのが、酒の勢いと一緒に全部ごちゃ混ぜになって爆発した。
「お、俺は……! 俺は、Aランクになる男だッ!!」
勢いよく立ち上がり、酒場中に響き渡る大声で意思表明をぶちまけていた。
ピタリ、と周囲の喧騒が止まり、酒場全体が静まり返る。
誰もが呆気に取られる中、ただ一人、目の前の男だけが俺の胸元に光る『銅バッジ』に目を留め、ニカッと満面の笑みを浮かべた。
「おう! 勝手になれ! いまBランクだろ? なら、あとは申請を出すだけじゃねえか!」
「……え? 申請?」
俺が思わず聞き返すと、野次馬に混じっていたギルド職員が、目を丸くして一歩前へ出てきた。
「えっ……!? ジャンさんたち、Aランク志望だったんですか!?」
「は? お、おう、そうだが……申請すれば、なれんの?」
「なれますよ! Aランクは優遇される代わりに制限もつくんで、本人から申請がないと上げられない決まりなんです!」
職員は心底驚いたように目を瞬かせ、言葉を継いだ。
「ずっと申請されないから、てっきり縛られるのを嫌って、あえてBランクに留まってるのかと……」
…………は?
実力不足。
ギルドの不当評価。
じゃなくて、ただの手続き漏れ?
さっきまでの神妙な葛藤すべてがアホらしくなり――限界を迎えていた俺の胃袋が、ついに決壊した。
「ワハハハハハ! あーあ、またゼンさんの勝ちー!」
床に突っ伏す俺の頭上で、能天気な笑い声がどんどん遠くへと離れていくのだった。
――――
「いやー、飲んだ飲んだ! 今日もゼンさんの完全勝利っと!」
俺は床に沈んだ数々の猛者どもを見下ろし、戦利品である『極上魔獣肉の串焼き』を片手に高笑いを上げた。
タダ酒で胃袋はタプタプ、気分は上々。まさに最高だ。
「ふふっ、まったく……『敗北』を知りたいぜ」
『ニャー』
酒場のど真ん中で胸を反らして格好つけていたら、スイングドアの下から一匹の野良猫が乱入してきた。そいつはテーブルの上を軽やかに駆け抜け、俺の指先をかすめて跳び去っていく。
「……ん?」
手元を見ると、今からかぶりつこうとしていた串焼きが、忽然と消え失せていた。
視線をあげると、すぐ目の前の樽の上、野良猫が俺の串焼きをしっかりと口に咥え、勝ち誇ったようにこちらを見据えている。
「……あー、コラコラ猫さんよ。それはゼンさんのだぞ」
酒のシメに取っておいた最後の楽しみを奪われ、俺は樽へと詰め寄った。酒場の客たちが見守る中、串焼きを取り返そうと手を伸ばす。
「ほーら、いい子だから返しなさい」
『シャーッ!!』
小賢しい威嚇音とともに、小さな前足が閃光のごとく振り抜かれ、ペシッ! と渾身の『猫パンチ』が、俺の頬にクリーンヒットした。
「おやー?」
限界までアルコールを詰め込んだ胃袋と三半規管に、そのわずかな衝撃が突き刺さる。
――あ、これ。
脳内で警報が鳴り響いた次の瞬間、俺の身体は猫パンチの勢いに乗って、くるりと一回転した。
……止まらない。
俺は満席の酒場のど真ん中で、コマのように華麗なスピンを開始したのだ。
「おー……? 目が回るー?」
遠心力とアルコールの悪魔的融合。
高速回転する俺の口から、今夜タダで飲み干したありったけの酒が、全方位へと大噴火を巻き起こしていく。
「ぎゃああああああああっ!?」
「うわあぁぁっ! 回りながら吐くなァァッ!!」
逃げ場のない密集した酒場に、無差別弾幕が降り注ぐ。
テーブルがひっくり返り、屈強な冒険者たちが悲鳴を上げて逃げ惑い、さっきまでの陽気な祝勝会は一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図へと叩き落とされた。
やがてすべての弾薬を撃ち尽くして回転が止まり、俺は糸が切れたようにドサリと大の字になって酒場の床へ倒れ込んだ。
「…………」
周囲から怨嗟の呻き声と悲鳴が響き渡る中、胃袋の中身をポロリした結果、驚くほどスッキリとした爽快感が全身を駆け巡っていた。
「……敗北を、知ったわ」
子猫より役に立たない男、猫パンチ一発に散る。
次回!
『二度と酒は飲まない!』
※サブタイトルは予定であり、予告なく変更する場合もございます。




