◆15 女性が〈姫様〉になって、好きな男性を推して〈王子〉にできるんですよ!
実際、ワタシ、白鳥雛は、お姫様の婚約が決定するまでの護衛役として派遣されてきたが、政治的なイザコザにはまったく興味がない。
結局は、婚約する本人が、想いを寄せる方が誰なのか。
それだけが肝要だ、と真面目に思っていた。
「それで、ターニャ姫様には、どなたか意中の人はおりませんの?」
という、突然のド直球の質問に、ターニャ姫は頬をパッと赤く染めた。
カップから手を離し、両手で顔を覆う。
そのさまを見て、ワタシは立ち上がって指をさした。
「ああ、いるんだ、やっぱ。好きな男!
そりゃ、いるよね。お年頃だかんね!」
「ヒナさん。ターニャ王女殿下に対して、失礼ですよ」
あまりに無作法な振る舞いに、侍女長補佐サマンサが注意する。
が、それを姫自身が片手をあげて制した。
相変わらず顔は真っ赤だった。
「いいんです、サマンサ。
私、本当にどうして良いのか困っているの。
眠れないし、胸が苦しくて、夜になると泣いてばかりいます。
まるで、小さな女の子になったみたい」
ターニャ姫は、身を縮こまらせて話す。
その答えを聞いて、ワタシはテーブルをバンと勢い良く叩いた。
「ハイ。わかります!
〈小さな女の子になったみたい〉
ーーそれこそが、ピュアな恋心なんですよ!
ワタシも何度も何度も経験しました」
ターニャ姫は驚いた表情を作る。
「まあ、ヒナさんもですか?」
ワタシは対面の姫様を相手に、堂々と腕を組んで対峙する。
「姫は王子のために尽くすものなんです。
誰になんと言われようと、それが姫の役目です。
ワタシは今まで推しの王子のために、あらゆる犠牲を払いました。
原動力はピュアな恋心ーーそれがワタシの人生そのものなんです。
ワタシの好きな歌舞伎町という不夜城では、女性が〈姫様〉になって、好きな男性を推して〈王子〉にできるんですよ!
ちょっと、お金がかかるけれどね」
ワタシがそう捲し立てたとたん、緊迫した空気が張り詰めた。
しばしの間、誰も口を開かなくなる。
深い沈黙が訪れた。
(へ? なんかワタシ、まずいことでも言っちゃった?)
ワタシは慌てて口に手を当て、押し黙る人々を見回す。
じつは、ターニャ王女をはじめとした女性たちが唖然としたのは、ヒナの言葉に、コチラの世界では考えられないことーーまさに異世界ならではの文化の相違を感じさせられたからであった。
が、そのことに、ヒナ自身は気付いていない。
コッチの世界ーードミニク=スフォルト王国においては、初めて聴いた考え方が、彼女の言葉には含まれていた。
突然、啓示を受けた者のように、目の前が明るく開ける思いがした。
まだ、知らなかった新しい思想を聞いたのだ。
異世界人のセリフを耳にしたコッチの世界の女性たちの思考は、しばし停止してしまった。
現地の女性たちの誰の胸に、熱いものが宿った。
「ヒナさんのお国では身分差がない、と伺いましたが……」
ターニャ姫が、恐る恐る声を絞り出す。
チキュウのニホンという世界では身分差がなく、すべての国民が平民であり、寄り合いで議論しあって国家を運営しているという。
そのように王様がおっしゃっていたーーと。
姫様の言葉を耳にしただけで、居並ぶ侍女たちはみな、目を見開いた。
扇子で隠す作法も忘れて、ポカンと口をあけている者もいた。
にわかには信じ難い国家制度であった。
全ての人が平民ならば、誰が国家を運営するのか。
戦う人は? 祈る人は?
全ての人が平民ということは、全ての人が働く人ーーつまりは農民ということになる。
そんなことでは、どうやって他国からの侵略に対抗するのか。
誰が神に豊作を祈願するのか。
わからないことだらけだった。
ーーだけど、待って。
ヒナさんは「姫は王子のために尽くすもの」と言っていた。
ということは、全ての人が平民と言いながらも、やはりヒナさんのいる世界でも、「姫」や「王子」がいるのだろうか?
だったら、少しは安心できるんだけどーー。
そういった思いがみなの心にあり、侍女長がそのように問いかけた。
ところが、ヒナは身をそり返したまま、首を強く横に振る。
「あら。身分制度がないってのは本当ですよ。
でも、だからこそ、意中のオトコの地位を高めるのが、オンナの務めってわけ。
推しのオトコをNo. 1にせずして、どこが姫様だっていうのよ!」
姫様は周囲にいる侍女たちを見回し、無言のうちに確認を取る。
ヒナさんのおっしゃること、わかる? と。
誰もが首を横に振る。
王女付きの侍女たちは、みな高位貴族家の子女である。
しかも、侍女長のクレアや化粧担当のナーラは、学業優秀で名が通っていた。
それでも、この異世界から来た女性の言うことが理解できない。
だが、コッチの世界での常識に照らし合わせながら、なんとか言っていることを把握するしかない。
しばらく思案した後、ターニャ姫はポンと手を打った。
「なるほどーー身分制度がないというのは、王家や貴族階級が無いということではなく、身分が固定していないーーつまりは流動的だということなのですね」
姫様の到達した解答に、侍女たちがそれぞれに反応する。
「まさか。そんなことでは国家が安定しないのでは?」
「でも、私たちの王国を建国された始祖様も、もとよりの王族ではありませんでしたよ。
旧王朝下では、名ばかりの下級貴族で、傭兵業をなさっておられたとか」
「古代の選帝侯時代と似た政治形態なのかもしれませんね」
「理解しがたいですね。
私たちの世界では、男同士が戦ったり命令することによって、国家も家も個人も格が決定するのが常識ですわよね。
それなのに、ヒナさんは『意中のオトコの地位を高めるのが、オンナの務め』とおっしゃってました」
「ええ。それだけじゃなく、『女性が〈姫様〉になって、好きな男性を推して〈王子〉にできる』とも」
「まさか、女性が好きな男性を推して、王位を継がせるだなんて……」
「ーーよくはわかりませんが、とっても夢のあるお話ですわ。
女性が愛しい男性を推して王子にすることができるのなら、事実上、オンナが国家の大権を握っているも同然ではありませんか」
いかに高位の家柄であろうと、女性は後継者を産むための役割を担うものとしてしか扱われない現状であった。
たとえ女性が権力を握ることができたとしても、それは産んだ男の子が権力者となったか、強い父親を後ろ盾に持つ場合に限られる。
要するに、深く関係している男の地位によって、女の価値が決まることしかない。
でも、ヒナのいる異世界では、真逆らしい。
女の力によって、男の価値が決まるというーー!!
その場にいた全員が、ヒナの言葉に心を打たれた。
「なんて素晴らしい世界なんでしょう!」
ターニャ姫は立ち上がり、理想の異世界を夢想して両手を合わせた。
「ーー私、ヒナさんの世界にぜひ行ってみたいものですわ!」
コチラの世界から、チキュウのニホンなる異世界へと旅立つーー。
ドミニク=スフォルト王国では、誰もが不可能だと知っている事柄であった。
召喚魔法の行使者は存在し、実際にヒナのように異世界から人間を召喚したことはある。
だが、なぜか、コチラの人が異世界に行った、という話は聞かない。
召喚された人間がアッサリと帰っていくこともあるのに、なぜかコッチの人間が異世界には旅立てない。
学者によれば、異世界へと転移するには、コチラの人間では圧倒的に内包する魔力が足りないという。
実際、異世界人のヒナが放つ膨大な魔力をみると、さもありなんと納得する。
やはり、コッチの人間は、異世界に旅立てるほどの魔力がないのだ。
たとえ最も魔力を宿す王族ですらーー。
ターニャ王女は胸に手を当て、祈るように言った。
「ニホンという異世界に行くことはできなくとも、せめて心意気だけでも、私もヒナさんのようになりたいです。
自らの力で、愛する男性を王子様にするのだーーと!」
ターニャ姫は、大きなブルーの瞳を潤ませる。
お付きの女性たちもみな立ち上がり、大きくうなずいていた。
その一方で、予想以上の好反応に、ヒナは気恥ずかしく感じていた。
(いやーー歌舞伎町のルールが、日本全体のありかたじゃないし。
ヤベェ。なんか、ひどく誤解させちゃった!?
ーーでも、いっか。
どうせ、このヒトたち、日本には来られないようだし。
ははは……)
今さらどういう態度を取ったら良いかわからず、ワタシ、魔法使いヒナは、興奮する姫様たちを眺め渡しながら、独り静かに着座して、ティーカップに口をつけるのだった。




