初めてのデート
フェリシアは疑問に思いながらも、二人で寝室を共にするようになった。
最初はちゃんと眠れるのか心配だったが、2〜3日も経てばあっという間に隣にアルベルトがいることに慣れてしまった。
アルベルトは強引なところもあるが、多くのことはフェリシアの意向を尊重してくれた。フェリシアが不機嫌になった時には機嫌も取ってくれる。
アルベルトは大人だけれど、最近ちょっとした仕草が可愛いと思う。フェリシアに触る時はものすごく優しいし、大事なものを扱うような手つきで、その度にくすぐったい気持ちになる。夜な夜なフェリシアにやり過ぎなほど奉仕をしてしまうことも可愛いと思えてきた。
「フェリシア、観劇にいかないか?『薔薇園の秘密』だ。今話題なんだろう?」
「えっ!いいんですか?」
思いもよらないアルベルトの言葉にフェリシアは興奮した。
『薔薇園の秘密』は同名小説を舞台化したもので、身分違いの恋人たちが様々な苦難を乗り越えて結ばれる王道のラブストーリー。熱狂的なファンも多く、小説を読んだ侍女たちが、よく目を輝かせながら話していたのだ。
それに、アルベルトと一緒に私的なお出かけは初めてだ。これってデートよね…
◇◇◇
劇場の馬車停で馬車が停まる。王家の紋章に気が付いた貴族たちが騒めいた。劇場の係の者がすぐに馬車の扉を開けにくる。先にサッと馬車を降りたアルベルトが振り返って手を伸ばす。フェリシアはそっと手を乗せると馬車から降り立った。
二人が姿を現すと、一斉に視線が集まる。周囲の貴族から騒めきとため息が漏れる。アルベルトが腕を差し出すと、フェリシアが花が綻ぶような笑みを溢した。ほんのり頰を染めたフェリシアが可愛いくて、アルベルトはドキリとした。
劇場へ入ると支配人が現れ、席へ誘導する。チラチラとした視線をあちこちから感じる。フェリシアは昂まる気持ちを抑え切れずに目を潤ませ、時々アルベルトの手をギュッと握った。フェリシアのキラキラした瞳が嬉しそうに揺らめく。
劇場の中を歩いていると、視界に見慣れた顔が入り込んだ。
「レオン」
そこには華やかな装いのレオンが立っていた。胸に手を当て礼を取る。
なんと、その隣にはセシル嬢が美しいカーテシーを取っているではないか。
「王太子殿下、妃殿下にご挨拶申し上げます。」
「なんだ堅苦しいな。楽にせよ。」
「はっ。」
「レオンも来ていたとは。流石だな。」
「美しい令嬢がこの観劇を観たがっていたからね。今日この日の公演を、両殿下と一緒に鑑賞できるとは幸運だね。」
フェリシアはセシルに意味深な眼差しを向けた。
「セシル嬢、久しいな。」
「お久しぶりでございます。両殿下とこのような場所でお目にかかれるとは意外でしたわ。見目麗しく注目の的でございますね。」
「わたしもたまには…妃と楽しみたいからな。」
「今日の公演は、きっと素晴らしいものになりますわね。」
レオンがアルベルトに目配せしその場を去っていった。
アルベルトはひとつ頷くと支配人を促し、フェリシアを伴って席へ向かった。
二人が通された席は二階のステージ正面のロイヤルボックス。ボックス席はすごく広くて、真ん中にソファとローテーブルが置かれていた。席の隅には飲み物と軽食が載ったワゴンと給仕、入り口には護衛が二人。特別感が凄い。
「フェリシア、こちらへ。」
アルベルトに促され外へ出ると、ステージの方を向いた。
大きな拍手が起こり、ステージ横から舞台監督が登壇した。客席に一礼すると、ボックス席に向かい胸に手を当て深々と礼をした。アルベルトが鷹揚に片手を上げ応えると、一層拍手が強くなった。
開演時間を知らせるベルが鳴り響き、ざわついていた場内が波が引くように静かになる。暗くなる場内とは対照的に、幕が上がった舞台は明るく煌びやかで目を奪われる。舞台上で役者がゆっくりと最初の台詞を発した。
フェリシアは興奮が抑えられず、ぎゅっとアルベルトの腕に掴まった。アルベルトは可笑しそうに、時折クックッと笑いながら肩や背中を撫で、落ち着かせてくれた。
舞台は最高だった。ラストシーンは涙なしでは観られない程で、この劇が人気であるのも納得だ。すでにハンカチはフェリシアの涙でずっしりと重くて絞れそうなくらいだ。それでも涙はまだ溢れてきて、なかなか止まってはくれない。でも、予備のハンカチなんて持って来ていない。困っていると横からスッと新たなハンカチが差し出された。
「使っていいぞ。」
「…ありがとうございます。」
劇の余韻に浸っていた観客達が続々と帰り始める中、まだ薄暗い客席でフェリシアは借りたハンカチで目頭を押さえる。
「面白かったか?」
「…最高でしたわ。」
「殿下は楽しかったですか?」
「楽しかった。」
アルベルトがフェリシアの顔を見て真顔でそんな事を言うから、どぎまぎしてつい視線を逸らした。
フェリシアの愛らしい姿にアルベルトは胸がキュンとした。
「フェリシア」
視線を戻せば、アルベルトがまだ目元に残っていた涙を指で優しく拭ってくれた。
顔を上げてアルベルトをジッと見つめると、深い碧の瞳がゆらりと揺らめいていた。その瞳はとても優しくて、…ポッと熱が灯った気がした。涙を拭っていた手が後頭部に回り、もう片方の手が頰に添えられた。碧の瞳にフェリシアが映り込む。フェリシアの唇にふんわりと柔らかいモノが触れた。
柔らかく、けれど強く熱く、少し長いキスだった。
ひと月経つ頃にはアルベルトとの新しい生活にすっかり慣れていた。フェリシアが想像していたよりも、ずっと穏やかな日々が続いていた。
◇◇◇
アルベルトはその日、執務室でロイドからの報告を受けていた。
いつになく真剣な面持ちで執務室に入ってきたロイドの言葉を聞いて、サッとアルベルトの顔色が変わる。厳しい表情でロイドに素早く指示を出す。
「今すぐにレオンを呼べ。」
「わかりました。」
ロイドは踵を返して扉へと消えた。アルベルトはそのまま難しい顔をして考え込むと、トントンと指で机を叩きながらロイドが戻ってくるのを待った。やがて、ロイドがレオンを連れて戻ってくる。普段と違う二人の険しい顔つきにさすがのレオンも、いつもの柔和な表情を一瞬で厳しいものに変える。
「一体どうしたっていうんだよ?」
「エルデーリ伯爵家が娘を後宮に入れたいと申し出てきた。」
サッとレオンの顔色が変わる。
「…それ、本当?この間の夜会の時はそんな話全く出ていなかった…」
レオンの呟きにロイドが声をかぶせる。
「この話には仲介者もいません。直接、殿下に申し入れてきました。殿下に挨拶に伺いたいとのことです。」
「直接?仲介者を通じての交渉もなしか。こちらが話を呑むということを見越しているのだろう。」
レオンは厳しい顔つきで考え込んだ。
「もしかして、後宮の情報を妾女の侍女から受け取っていたのは、自分たちに注意を向けさせるために態と仕向けたのか…?」
レオンは鋭い目つきになって宙を睨んだ。
「…だろうな。わざと自分たちを危険視させた。そして警戒されている中、娘を妾女にするなど、何か企んでいるのは間違いない。」
「それにしても伯爵令嬢が妾女に?妾妃を要求してくるんじゃない?…どうするんだよ?」
レオンは探るようにアルベルトを見た。隣にいるロイドもつられるようにしてアルベルトに真剣な眼差しを向ける。
「…入れるしかないだろうな。」
「妾妃として?」
「いや、それはない。」
アルベルトは少し考えた後、ロイドを見た。
「娘と伯爵が挨拶に来るのか?」
「そのようですね。」
「…伯爵にも一回会っておくか。日程を調整しろ。」
「分かりました。」
「レオン、娘の報告を?」
「はい。名前はジェンナ。年齢は18歳。伯爵家には娘が二人いて上の娘だ。」
レオンはすらすらと答えた。
「…夜会などで見たことあったか?」
「社交界にデビューはしているが、あまり夜会などには参加していないようだ。大きい夜会には出ているようだが…、そういう会は参加者も多いので記憶には残ってないな。」
「じゃあ初対面に近いんだな。」
「そうだな。」
「最初にどう出るか見ものだな。……ふっ、やっと動き出したな。少々危険を冒してでも、ここで必ず尻尾を捕まえる。」
アルベルトは鋭い目つきのまま、薄ら笑いを浮かべた。
これまで怪しい動きをする人物からの妾女の申し入れは断らず、かたっぱしから入宮させてきた。それをこちらで用意した妾女に見張らせている。
だが、今までに有益な情報は出てこなかった。今やっとその手がかりが出てきたのだ。この機会を逃がしてなるものか――