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ゆっくりとした、ことさらユーノと2人だけの時間を長引かせるようなラフィンニの歩みに合わせて、神殿の中を歩いた。数多くの支柱が森の樹々のように立ち並ぶ。中を歩むと、外観より遥かに高い天蓋は、薄暗がりに没している。
ラフィンニは語り続けた。
荒廃の極にあった戦乱の世界。異形の悪夢が跋扈跳梁し、敵味方なく争い、倒れた者の屍肉を貪り合う地上。
1人の女王に率いられた、美貌と戦鬼の誉れ高い一族。無敵であったが故、美しくあったが故の驕りと傲慢。
完全なる勝利を目指した果ての悲劇。自然の不可思議な仕組みにより育まれた共生関係に無知であったことの罪業。
「…狩る必要はなかったのじゃ。我らは既に最強であったのだから…」
支柱の林に、天蓋の薄闇に、吸い込まれ漂うようなラフィンニの語りは続く。それ以外は2人の足音だけが、ひたひたと神殿の中を広がっていく。
『穴の老人』(ディスティヤト)は確かに狩られた。だが、結果として勝者はどこにもいなかった。
凱旋と興奮の一夜の後、破滅と混乱の朝が届く。紅蓮の炎に顔を焼くのは己の美を誇ったせいか。素早く剣を揮える手足を失うのは、斬られる者の傷みを思わなかったせいか。
女王は無知蒙昧な配下を責めはしなかった。
ただその運命を受け入れた。
「そして我らは……聖女王を失い……魔、となった。永きラズーンの治世も、我らには意味を為さぬ望みもせぬ……今日、今、この時までは」
1つの小部屋にユーノは招き入れられる。先に入ったラフィンニが、促すように白骨の顔を振り向ける。
ふいに、その姿が、細やかな粒のような光に包まれ輝いているように見える。
ごくりと唾を呑んで、ユーノは部屋に脚を踏み入れた。
そこは何の飾り気もない、それまでと同様、相も変わらずの蒼みがかった乳色の石壁に囲まれた部屋だった。だが、
「っ…」
(眩しい)
薄闇に慣れた眼には驚くほどの光量、神殿の奥深くにどうしてこれほど明るい広間がしつらえられるのか。
(光?)
上空から降り注ぐ何かに気づいて見上げれば、天井は全て蒼い水晶、透明できららかなだけではない、精緻な細工を施してあるのだろう、どこからか飛び込んだ光が乱反射して部屋全体に淡い光を満たしている。まるで澄んだ水底から泡立つ水面を見上げているようだ。
「ユーノ」
促されて視線を戻すと、正面に1つの玉座があった。近づいてようやくそれとわかるほどの細かな無数の彫刻が施されている。図案は波打ち雄叫ぶ激流を表すものだ。天井と同じく燦く蒼水晶の半透明の玉座は、天井からの光を受けて、それ自身で淡く光を放っているように見える。
玉座近くに立って周囲を見回すと、部屋の四隅にも、同じように見事な細工で仕上げられた水晶の小さな三角柱が置かれていた。ちょうど大人一人が腰掛けることができる高さと幅、腰を落ち着ければ玉座を囲む形になる。
玉座に跳ねた光は、各々の三角柱に吸い込まれ、四方に虹の光を弾く。だが、乱反射する光の中で、それらは七色に弧を描くことなく、ただただきらきらとした幻影を漂わせている。
「ここは…」
「『聖女王の間』……四隅に位置するのは、そなたに使える4人の配下の座……そして、中央の玉座こそ、そなたの座」
光に惑い導かれるように、ユーノはふらりと脚を踏み出した。手を伸ばし、玉座に触れる。
幻のように儚げに見えたその席は、ひんやりと滑らかな、けれど揺るぎない堅さをもってユーノの指を受け止めた。
「どうして……」
思わず口を開く。
「私が聖女王だとわかる?」
ユーノは目を細め、眩く光る4つの座を見渡し、それらに守られ、傅かれる玉座を再び見下ろす。
たびたび剣の腕で高い評価を受けてはきた、が、これほど過大な誉れを受けたことなどない。
「私は……ただの…自分の心さえ満足に御せない人間だよ」
胸の奥に過る顔は、もちろんアシャとレアナの顔。
「いつまでたっても、必要な強さを得られずにもがいている…」
「ユーノ」
ラフィンニが静かにことばを返してきた。
「あの『沈黙の扉』の中で、我らは人の心が疲れ果てる闇を、次々とそなたの内側に送り続けた。だが、そなたは、ほんの一時も、一瞬さえもたじろがなかった。我らの送る闇にも、己の心が作り出す闇にも、誰を恨むでもなく憎むでもなく、怯むことなく受け入れ受け止めて、なお光を探し続けた」
苦い笑いを挟む。
「闇を避けて光を見いだすのは容易かろう。だが、我らが聖女王と仰ぐ以上、その者は、我らが闇に対峙すると同時に、己の闇にも向かわねばならぬ。我らが裡に潜む闇を相手取り、なおそこに光を見いださねば、我らが救いとはならぬ」
どこか遠くでさらさらと衣擦れのような音が響いた。まるで部屋に満ちる光が、見えない小雨となって、天蓋より降り落ちるような音だ。
その微かな音よりも密やかな、まるで誰に伝えるつもりもないような声で、ラフィンニは続ける。
「闇の彼方に光を見る者、魂の祈りと沈黙に耐え得る者……我らはそのような者をこそ、聖女王と呼ぶ………その魂の雄々しさにひれ伏して」
ラフィンニを知っている者が聞けば、耳を疑うだろう。優しく甘い口調は恋人に愛情を告げる声音に似ている。
「我らは……そなたの中にこそ、その魂を見つけたのだ。果てぬ命を持て余し、破壊と破滅をもたらす強大な力を持って暗い夜に魔となり地を駆け命を狩りたいという欲望に耐え………ただ、そなただけを待っていたのだ」
ユーノは振り返る。背後のラフィンニは小さな子どもがだだをこねて立ち竦んでいるように見えた。
「ユーノ……こちらへ……来てはくれぬか…?」
長身が震えている。今にも泣き出しそうな気配でさえある。
「そなたを知らねば耐えもしよう、長の重圧を堪えもしよう、ただひたすらに世界を担げて待ち続けよう……が、ユーノ……我らはもう………待てぬ……待てぬのだ!」
「ラ…フィンニ…」
声は悲鳴の響きを宿して部屋の隅に吸い込まれていった。