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「ふうむ」
公宮の作戦会議室で、セシ公は机の上に広げられている地図を見つめている。とん、とん、とん、とん、と拍子を取るかのように机を叩き続ける白く細い指先が、ふ、と空中で止まった。
足音が近づいてくる。慌ただしくひたすらに速度をあげてくる激しい音。
それほど待つまでもなく扉が荒々しく開け放たれ、まだまだあどけなさを残す頬を紅潮させ、金色の髪をくしゃくしゃに乱したリヒャルティが飛び込んできた。
「兄貴!」
「昼間なら脱いでいいと言った覚えはないぞ」
上半身裸、腰布だけの体に水滴を光らせているところを見ると、湯浴みでもしていたのだろう。穏やかに咎めるセシ公の声にむっとしたように眉を寄せて唇を尖らせ、顔立ちに似合わぬ荒っぽさで喚いた。
「脱ぎたくて脱いだんじゃねえや! ユーノが怪我したってのは本当か?!」
「ああ…そうらしい」
セシ公は淡々と応じて、再び左手の人差し指でとん、とん、とん…と机を叩き始める。右手は顎の下、右目にかかった銀に近い金髪を払おうともせず、地図の上を凝視し続けている。ち、と苛立たしげに舌打ちをしたリヒャルティがいきり立つ。
「そうらしい、じゃねえ! 何だってそんなに落ち着いてんだよ! あいつは女だぞ! 聞きゃあ、かなり派手な怪我らしいじゃねえか!」
「話したのはバルカか?」
「どうでもいいだろっ、そんなこと!」
「…始めの頃は女だとも気づかなかったくせに」
「わ、悪かったなっ! どうせ、オレは餓鬼だよっ!」
からかうような薄笑みを浮かべたセシ公に、リヒャルティは真っ赤になって怒鳴り返した。兄貴のおふざけに付き合ってられるかよ、と吐き捨てて、左手に引っ掴んだ紅の衣を被ることもなく、身を翻して出て行こうとする。
「待て」
「何だよ!」
「どこへ行く?」
「決まってんだろ、ユーノのとこだよ!」
「何のために?」
「何のためって! ユーノを殺った奴をとっちめてやるっ!」
「勝手に殺すものではないよ」
殺気立つ弟にくすりと笑う。
「お前が行かなくても、あっちにはアシャがいる」
「わかってるよ! でも心配なんだ!」
「どうせなら、もう少しあの娘のためになることをしてはどうだ?」
セシ公のことばに、半身だけ振り返っていたリヒャルティは完全に向き直った。
「……何か策があるのか」
「駆けつけるばかりが能でもあるまい」
「……わか、った」
リヒャルティは腰に手を当て溜め息をついた。ぷる、と頭を軽く振り、気持ちを切り替えたのだろう、机に戻ってきてセシ公の眺めていた所を覗き込む。
「で? どこへ行けばいい?」
「うむ」
セシ公は微笑んだ。確かに若すぎ血の気が多すぎるかも知れないが、伊達や酔狂で『金羽根』の長を任じられているのではない。自分が為さなくてはならない『仕事』に関しては、リヒャルティは極めて冷静でしたたか、本能的な嗅覚がある。
「お前まで『そう』なら、他の人間のほとんどが、今ユーノと『氷の双宮』『泉の狩人』(オーミノ)に向いていると考えていいな」
「どういうことだよ」
「もし、お前がギヌアなら……今、この時、何をする?」
「…」
「ほとんどの目がミダス公、『氷の双宮』、『狩人の山』(オーミノ)に向いている今、どこを狙う?」
「…そうだな」
もぞもぞと紅の衣を被って、腰を緋の紐で締め、リヒャルティは地図を見つめた。兄よりやや細めの指先が、ゆっくりと四大公の領地を巡っていく。
「他…と言っても、『泥土』はムリだな。アシャがたぶんグードス救出に動くだろうし……とすると…」
「アギャンをこれ以上追ったところでどうにもなるまい、なら」
セシ公は補足しながら、リヒャルティの指が滑っていく先を見やる。
「周辺には『羽根』と『野戦部隊』がいる……そうだな、オレなら、ここ、だ」
「ジーフォ公。その通り」
セシ公は頷いた。
「けどさ、兄貴」
訝しげにリヒャルティが眉を上げる。
「あいつを突くったって」
「『子ども』にはわからんだろうが、ジーフォ公には最愛の婚約者がいる」
「それぐらい、オレだって知ってるぜ」
リヒャルティは口を尖らせた。
「『西の姫君』だろ」
「では、その『西の姫君』が、以前アシャに夢中になって、しかも手酷く振られたことは?」
「知ってる、何となく」
答えはしたものの、リヒャルティはまだセシ公の言おうとしていることが呑み込めない様子だ。
「ならば、私ならジーフォ公を揺さぶるためにはこうする」
セシ公はにやりと笑った。
「まず『西の姫君』を何らかの方法で失踪させる。それをアシャに因るものだとジーフォ公に吹き込む。この時点でジーフォ公がアシャに敵対するのなら良し、それで駄目なら、そうだな、『泥土』へでもおびき出すか」
「何でだよ?」
「ミダス公が襲われたのは知ってるな?」
「ああ」
「襲った相手はグードスらしいと言われていた。グードスはアギャンが一子、探りに出ればグードス本人は『泥土』で行方不明だと噂されている……アシャを『泥土』へ引っ張り出そうとした意図は明快だ。ならば、混乱に乗じて事を起こすには、味方にならなかったジーフォ公も『泥土』へおびき出し、同士討ちをさせるのが一番手間が省ける手法だ。ま、もっとも」
くす、と妙に可愛らしく笑い声をたてる。
「ジーフォ如きにアシャが殺られるとは思わないから、ジーフォの始末ということにしておいてもいいか。どちらにせよ、いなくなってくれれば、ジーフォ公の座がまるまる空く」




