13
「……そうか……伝説の聖女王に…な」
『氷の双宮』の奥まった一隅、小さな一室で窓辺に立っていた『太皇』(スーグ)はゆっくりと振り返った。その視線の先には、これまでの長の年月に渡っても『狩人の山』(オムニド)を降りたことのない、青衣を纏ったラフィンニが座している。
今ラフィンニは、骸骨の顔に、白いなめし革とも織り目の細かな布とも見える材質の面をつけていた。面はほっそりとした美女の顔だ。見開かれた2つの瞳、伸びた鼻筋、柔らかく膨らんだ唇。施された銀色の紋様は、僅かに輝きながら目元を彩りこめかみへ流れていく。
しばらくの沈黙の後、ラフィンニは低く応じた。
『はい』
薄く切れ目の入った白い唇が微かに上下に動いた。2つの瞳を見せるはずの穴は覗き込むのも恐ろしいような空洞に繋がっている。ぽかりと開いただけでは、それほど真っ黒な空間にはならないだろう、その眼窩の奥が一瞬霞むような光に揺れた。振り向いた『太皇』(スーグ)の静かな視線に耐えられないと言いたげな、どこかためらうような気配を漂わせて面が少し伏せられる。
「……そうか」
低く呟き、『太皇』(スーグ)は眉根を寄せ、もう一度外へ視線を移す。
「わしでは、駄目か」
『…』
「……そなた達には、やはり聖女王が必要か」
『「泉の狩人」(オーミノ)皆ではない……私が、このラフィンニこそが必要としていたのです!』
深く響いた『太皇』(スーグ)の声に、ラフィンニは少女のような叫びを返した。涙に滲んでいるように幼い声、その声に『太皇』(スーグ)はもう一度問いを返す。
「『偽りの』女王でも、か」
『「偽りの」伝説でも』
「……惨いな」
(あなたには、わからない)
『太皇』(スーグ)のことばに、ラフィンニは胸の中で叫び返す。
(この世界の役目を負うている、あなたには)
自分の吐いたことばが抱え切れないほど重く胸の中で沈み込む。
(『偽りの』、伝説)
彼ら『泉の狩人』(オーミノ)が荒廃の世に命を受けたものであるのは偽りではない。また、彼らの聖なる女王が『狩人』達の陥った危機に際して我が身を犠牲にし、ようよう一族の十数人を救い得たのも偽りではない。
偽りは、その後にこそあった。
(聖女王は帰らぬ)
凍りつくようなそのことばを、ラフィンニは何度胸の中で繰り返してきたことか。
(我らが聖なる女王は、二度と我らの元に帰っては来られぬ)
その昔、血気に逸った『狩人』の幾人かが、彼らの女王を死に追いやった。女王を失い醜い躯で生き長らえる一族は『死を司る長』(ラフィンニ)を得て、ラズーンのもたらした太平の世の裏側でひっそりと身を潜めて生きて来た、いつか彼らの元に聖女王が帰り、女王の残して行った剣と意志を引き継ぎ、彼らのおぞましい運命をーー呪わしい生の鎖をーー断ち切ってくれることだけを夢見て。
だが、ただの1人も疑ったことがなかっただろう、その聖女王の帰還こそがラフィンニが造り出した絵空事、女王の残した水晶の剣を勝手に継承の証としたこと、『大いなる沈黙』という条件もラフィンニがなかなか叶うことのない資質として考え出したものであることを。
(二度と、帰っては下さらぬ)
『……あの時、私は一時の勝利しか見なかった』
ラフィンニは、背中を向けたまま静かに聞いている『太皇』(スーグ)に呟いた。
『我らが女王を喜ばせたいと………ただ、あの方の微笑まれる顔を見たいと、それだけを考えて「穴の老人」(ディスティヤト)を襲った』
窓から入る風は柔らかく穏やかだ。ラフィンニの長い髪が揺れ、仮面に当たり、さらさらと音をたてた。
『挙げ句の果てがこの有様…』
指先で白い仮面に触れる。
『女王は帰らず、我らはただ生きるのみ……虚しい命を…何にも役立たぬ、闇にも属さぬ、時を貪り存在するだけの……』
ただ生きるためには、年月の歩みはあまりにも遅かった。
『……私は耐えられなかった……女王を失ったのが私のせいだとわかっているからこそ、耐えられなかった』
「……だから、造ったのじゃな……聖女王の帰還を」
『太皇』(スーグ)は何かを探すように、一瞬遠い彼方の空を見上げた。
『造った時は、女王を求めていたのではなかった』
ラフィンニは微かな声で続けた。
『あの方以外……女王などおらぬ…そう考えていた』
声はより沈む。空気に紛れるほど微かに、今にも消え去りそうな弱々しさで。けれども、続いたことばは僅かに熱を取り戻していた。
『生きていく拠り所が欲しかっただけのこと……長として不死の命に倦む仲間を苦しませたくなかっただけのこと……幻でもいい、先を示す標が欲しかった……だが』
私はあの娘に出逢ってしまった。
「……ユーナ・セレディス」
『太皇』(スーグ)が応じた。
『はい』
ラフィンニは強く頷いた。
『聖女王ではない、そんなことはわかっている。けれど、皆は、私は、もう十分待った、待ち過ぎるほどに待った! そこにあの娘は現れた、あまりにも聖女王に似た魂を持って……』
私はもう、待てなかった。




