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(アシャが『星の剣士』(ニスフェル)の傷をレアナに見せただと?)
話を耳にしてシートスは正直驚いた。
『星の剣士』(ニスフェル)が苦しい旅をしてきたのは察している。全身に及ぶ傷に耐え続け、しかもそれをもっとも近しい身内にさえ隠し通して生きてきたことも。
そうせざるを得なかったのだろう。出逢った時に既に、ギヌアを前に一歩も退かぬ気配だった。その姿は語っていた、誰も助けてはくれないのだ、と。
『星の剣士』(ニスフェル)の傷は深く重い。人の介入を一切拒む昏さがある。
そして、アシャは、いやアシャこそ、その重さ昏さを一番理解していたはずだった。誰かに支えてもらうわけにもいかない、孤独と深く繋がった傷みに、無遠慮に踏み込まれることがどれほど苦痛であるのかも。
(なぜ……いや)
だからこそか、と思った。
分るからこそ、放っておけないのか。
というより。
(そこまで踏み込んでしまう気なのか?)
あのアシャ・ラズーンが?
「く…」
事態の深刻さにも関わらず、思わず苦笑してしまったのは、それが何かを薄々悟ったからだ。
(あの、アシャが、なあ)
艶やかな美貌を容赦なく刃に晒すのは、己の命にも他人の命にも興味がないからだ。鮮やかな剣技を追い詰められても出さないのは、それだけの労苦を差し出す価値を相手に認めないからだ。ましてや、限界まで酷使すれば、すぐさま世界を支配出来る能力を、不可能と言われる作戦にしか使わないのは、運命に絶望しているからだ。
こんな世界など生きるに価しない。
アシャはきっとずっと昔に、そう結論していたに違いない。
なのに、踏み込んだ、どう考えても己に不利にしかならない役割に。
「ずいぶんと思い切ったことをされましたな」
アシャがこちらを振り向く、その瞳の光ときたら。
「もっとも…」
くすり、と笑う声が、聞いたことのない甘さに蕩けている。
「ユーノが目を覚まして、それを知ったら大騒ぎだがな」
「『相手』はしたくありませんな」
大騒ぎ、などでは済まないだろう。早合点されれば、アシャは一生恨まれ憎まれることになる。
「あれだけの気性、平原竜を怒らせた方がまだましだ」
肩を竦めて見せたのは冗談ではない。怒らせれば一都をも灰燼にするという平原竜だが、それでも、その中には怒りしかない。
だが、『星の剣士』(ニスフェル)を追い詰めた先には、あの少女に詰られる覚悟が要る。あの少女の気持ちを踏みにじる決意が要る。それらを抱える己の愚かさが身にしみるだろう。
「無茶を言う」
溜め息まじりにアシャがぼやく。
「その『相手』をする俺の身になってみろ」
「だから、思い切ったことをなさった、と言ったんです」
「それでも」
ふ、と沈んだ目になったアシャは、その後を続けず盃を空けて席を立った。作り付けの棚に酒の瓶を探し、手を伸ばす。
「それでも?」
「…」
促しに、己の盃にゆっくりと酒を注いで満たす。そのまま振り返らず、
「…忘れてくれ」
声は一転、怯えたような震えを帯びていた。瓶を掴んだ指が白く見えるほど力を込めている。手にした酒瓶を掌で割り砕くか、そんな強さが、不意にアシャの肩から抜けた。
「………」
のろのろと振り返る。
まるで最愛の相手に身も世もない罵声を浴びせられたような顔。細めた瞳が光をたたえている、今にも零れ落ちそうにさえ見える、妖しい媚。
このアシャに望まれて、何人が堪えきれるのか。
が、次の一瞬、それを隠すように、に、と笑ってアシャは続けた。
「それでなくても、ユーノに平手打ちを喰らうのが怖いんだ」
「でも」
ユカルの声にシートスは我に返る。
「それだけの想いなら、押さえ込めるはずがない。押さえ込めるぐらいなら…っ」
「そうたいしたものではない、と?」
唇を尖らせながらユカルが訴えるのに、思わず顔を引き締める。
「それでは『命がけの恋』はできんな、ユカル」
「え?」
ユカルの顔は惚けた。
「モスかグルセトと戦っている最中に、お前は剣を捨てて『星の剣士』(ニスフェル)を我が身で庇えるか?」
「剣を、捨てて?」
問われた意味がよくわからなかったのだろう、ユカルはくるくると視線をさまよわせている。やがて、不審そうに眉を寄せながら確認する。
「戦っている、最中でしょう…?」
剣を捨ててはユーノも守れなくなる。いずれは2人が屠られてしまう。それぐらいなら。
ユカルの表情は雄弁に心の内を語っている。
考えもしていないのだ、ユーノ1人が生き残る状態を。自分が居て、ユーノを護り切って、そして2人で生き延びる、そんな結末ばかり見ている。
それはつまり、どちらか1人が生き残るしかない状況が見えていないということだ。
アシャはそんな『夢』を見ていない。
『お前が、生き残れるように』
振り向かない背中が語っている。
『俺は全ての手を尽くす』
あれほどの男が、ユーノ1人を無事に未来へ送り届けることしか考えていない。
「己の命を代償に、相手が生きてくれることだけを望む恋はできんと言っているのだ」
シートスは厳しい顔で続けた。
「押さえ込んで苦しいのは『星の剣士』(ニスフェル)じゃない、お前だろう?」
「……」
あからさまに唇を曲げて顔を背けたユカルの横顔を眺める。
「……ってる」
小さな呟きが漏れた。
わかっている、そうだ、ユカルにもきっと感じている、自分とアシャの決定的な違いを。
あのラーシェラの時、そして、モスとの闘いの時。
記憶を失い、遠く離れても、ユーノは繰り返し繰り返しアシャに魅かれ、アシャを想っている。
「激情をぶつけて揺らぐような娘でないことは、わかっているはずだ。『星の剣士』(ニスフェル)は他のどんな娘よりも孤高の運命を背負っている。激情だけでは支え抜けん」
「…わかって…ます、隊長」
ぐ、と強く歯を食いしばった声で答えて、ユカルは高く頭を反らせる、まるで上空に力の源があって、そこに辿り着けばアシャに勝てるとでも考えているように。
(あなたに詰られそうだな、アシャ)
ひょっとすると、火に油を注いでしまったかも知れない。
(だが、気づいておられるか)
シートスもまた、前方に視線を戻しながら心の中で呼びかける。
(あなたは燃え盛る『黒の流れ』(デーヤ)だ。いくら曲がりくねり、地表から姿を消し、地の底深くに沈もうとも、一旦注ぎ込む先を見つけた流れは、いつか必ず海へと注ぎ込んでいくものだ……それも、恐ろしいほどの奔流となって)
せき止める岩を砕き、滞らせる淵から溢れ、どれほど細い流れに分断されようとも、やがて一つの強く激しい流れになって、新たな道を穿っていく。
(あなたもまだ、知らぬのだろう)
恋は、人の殻を砕くものだ。
シートスはいつか、見たこともないアシャに出逢うのかも知れない。




