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「…っ」
失いたくない。
がつっ、と胸の中で何かが壊れた。荒々しくユーノの躯を引き寄せる。素肌を触れていた背中ごと抱き寄せ、その肢体の全てを自分の細胞に取り込もうとするように抱き竦める。髪から耳元へ一気に唇を滑らせていく。
「…は…っっ」
引き寄せられたユーノは目覚めない。目覚めないまま、抱き竦められてアシャの肩口に顔を埋めた相手の唇が直接アシャの素肌に触れる。じん、と鈍い熱さに灼かれて疼く、まっすぐアシャの体の中央を容赦なく貫いて、命の鼓動に炎を叩きつける。
(俺のものになるのは嫌か? お前の心には、もう他の誰かがいるのか?)
胸で繰り返した問いには自分で答える、そんなものは消してやる、今ここに、アシャの印を刻みつけて、視界の全て、体の全てにアシャの存在を焼き付けて、アシャの声しか聞こえぬように、アシャの目しか見ないように、アシャのことしか考えられなくなるように、ユーノの自我を欠片さえ残さず喰らい尽くして蹂躙する。
「ユーノ…」
薄笑いしながらユーノの耳朶に快楽を注ごうと含みかけた、その途端。
その程度の覚悟か。
「っっ」
冷酷な声が遥か背後から響き渡って、一瞬にして凍りついた。
(ラ…フィン…ニ…)
『ユーノには、既に想い人がいる』
『泉の狩人』(オーミノ)の長はそう言わなかったか。
雪と氷に閉ざされた闇、世界の裏側で魔性としての命を抱え続けた長の冷笑が轟く。
アシャ、そなたはもう少しましな男だと思っておったわ。見苦しい。
「…く…っ」
(安心と、信頼)
ユーノから得たものは、たった2つ。
けれど今、アシャはその2つさえも粉々に砕こうとしているのではないか。
(俺は)
ユーノを失いたくない。だが、それよりもなお。
(ユーノを、もう、傷つけたくない)
後少しで耳に触れようとしていた唇を、アシャは静かに閉じた。強く引き締め、それでも開いて温もりを求めようとする唇で、代わりに小さく切なく呼びかける。
「ユーノ」
(俺は、お前を、傷つけない)
「俺は……お前の……付き人…だよ、な……」
ゆっくり大きく呼吸を繰り返す。高ぶった気持ち、体に籠った熱を、一息ごとに吐き出していく。
(『氷のアシャ』が何てザマだ)
「俺は…お前を…護る為に居る…んだよな…」
怪我をしているわけではない、意識がなくなっているわけでもない、それでもユーノはアシャの腕で熟睡している、絶対の安全圏と信じ切って。
あのユーノが。
セレドの夜に、あれほど冷ややかにアシャを見下ろしていたユーナ・セレディスが。
『そなたの想いとはそんなものだったのか。己一人の欲情も御せぬとは……「氷のアシャ」も落ちぶれたものよ、のう?』
嘲笑うラフィンニの快哉が、闇の向こうから聞こえる気がする。
『やはりそなた達には任せておけぬ。聖女王は我らが護ろう』
続く哄笑は昏迷の闇を踏みにじって幾重にも鳴り響く。
『愚かなり、人間。やはりそなた達は滅ぶのが世のため、我らが蹄の下に崩れ散るがいい!』
あーっはははははははあああっっ!
「…ふ……ぅ…」
アシャはのろのろと体を横たえた。これだけのことをしてのけても、一向に目を覚まさないユーノ、本当に眠ってしまっているのか、それとも予想もしていなかったアシャの狂態に息を潜めているだけか。
だがそれはたった1つの事実をアシャに突きつけているのではないか。
(聖女王……聖なる少女……この腕にあっても、俺のものには、ならない)
胸にあたるユーノの唇の柔らかさが、皮膚を通して心臓の真裏まで染み通ってくる。目を閉じて、その艶やかな温もりだけを味わっていると、静かに続く寝息が、荒れ乱れた自分の呼吸を優しく窘めていくようだ。
「……よく…眠ってるよなあ…」
自分の声は迷子になった子どものようだった。目的地はわかっているのに、そこに至る道も、目印も捜し出せず、握りしめた地図を開くことさえできずに途方にくれている。
そっと、力を緩めた。
ころりとごく自然にユーノの体が外へと零れ出す。
追いたくて、けれどもう、近づけなくて。
「俺はお前の枕程度か」
ユーノは起きない。アシャの腕に頬を当てている顔はひどく幼い。2人の間に開いた距離を寒がることも心細がることもなく、静かに安らいで眠っている。むしろ、どこかほっとした顔で微笑んでさえいるように見える。
縮まらない。
これほどの想いを叩きつけても、この距離はどうにもできない。
(お前が休めるのなら、それでいいんだろう、きっと)
怪我をしている主を安らがせているのだから、十分正しい働きなのだろう。
だが。
「……今夜は少し、辛い、な」
アシャは呻いて目を閉じた。
無意識のうちに、強く唇を噛みしめた。




