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ラズーン 5  作者: segakiyui
10.アシャの封印
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「っ」

 アシャの紫の瞳から目が離せなくなった。紫は死の色とも呼ばれる色、普通の人間には不似合いな魔性の色、宝石も紫水晶には人智を越えた力が宿るのであまりお勧めいたしません。そう断じたのは旅回りの宝石商だっただろうか。きらきらと色を変える紫の瞳、時に冷たく時に優しく、時に甘く時に憂いに煙って人の心を弄ぶ。

「…それでも」

 気がつけば、口を開いていた。

「あなたはあなたじゃないか」

「…え?」

「あなたがどんなに優しかったか、私は覚えているよ」

 胸に波立った想いを知られるまいと、ユーノは目を伏せた。

「私……『良い魔物パルーク』って知らないけどさ、あなたが魔物パルークだと言うなら、きっと『そう』なんだろうね」

「ユーノ…」

 茫然と呟いたアシャが、ふわりと浮かせた両手を慌てたように手摺に押し付ける。

「まるで…そいつは」

 アシャは照れたように視線を逸らせた。

「レスの台詞だな」

「そうだね」

 くすくすとユーノは笑った。

「でも、レスならこう言うよ、『アシャが魔物パルークなら、魔物パルークっていい人のことを言うの?』」

「違いない」

 アシャが吹き出した。目をあげると、緊張がほぐれた顔で笑っている。ほっとして、ユーノも気分が緩んだ。ここが旅の空の下で、今が新しい国に入ったばかりで、これからどんなものを見てどんなことに出くわすのだろうと言う期待に満ちた夜のように。

 けれど。

 ユーノは唇を結んだ。改めて尋ねる。

「アシャ」

「ん?」

「勝算はどのくらい?」

 簡単には答えが出ないだろうと思ったが、アシャは一瞬笑い止み、

「…五分五分……だが」

 じっとユーノを見つめる。

「安心しろ。お前達を先に逝かせることはない」

「…ありがと…」

 それを言い切る胆力に敬服する。

「…優しいね、アシャ」

 アシャほどの手練れをもってしても、セシ公や『太皇スーグ』の後ろ盾があっても、勝算を五分としか答えられない状況の厳しさを、この男は平然と背負おうとしてくれている。

 感謝しかない、たとえ性格が多少悪くとも。

「…ところで」

「ん?」

 今度はユーノが優しく笑い返す。

「俺はまだ、お前からの『お帰り』を聞いてないんだが」

「あ」

 ユーノは少し慌てた。

「ごめん、その……お帰り」

「それだけか?」

「それだけ……って?」

 アシャが少し不貞腐れたような顔になる。

「『泥土』で一働きしてきた『勇士』に対して、もう少し言いようがあるだろ」

「え…??」

 意味がわからず瞬きすると、なお子どものような顔になり、アシャは繰り返した。

「お帰り、だけか?」

「……あ」

 ようやく気づいて顔に血が上った。

 ラズーンでの慣習でいくと、戦士の帰還に貴婦人は唇をもって報いるとされている。リディノや他の婦人方、またレアナもそれに従って、夜会でアシャの頬にキスを贈っていたはずだ。

「べ、別に、いいだろっ」

 ユーノはうろたえて反論した。

「あれだけたくさんキスをもらっときながら、贅沢だろっ」

「ほう」

 アシャが悪戯っぽく笑いながら突っ込んでくる。

「女性扱いされなくていいんだな?」

「っ」

 かなり痛いところを的確に突かれて、思わずことばを途切らせる。気づかれるまいとことさら強く言い返す。

「それを言うなら、『ボク』だってキスをもらっていいはずだろ。一応戦地から帰還した戦士、なんだから」

「そう、だな」

「え、アシャ、ちょ、ちょっと」

 にやっと笑ったアシャが一歩距離を詰めてきて、ユーノはぎくりとした。思わず後退りしてしまう。

「じゃあ、ラズーンでも一二を争う『美姫』のキスをやるとしよう」

「わ…ちょ…っと……こら…っ」

「んん?」

 じりじり迫る相手に、急いで速く引けば一気に近寄られて慌てる。

「ア、アシャは男だろっ!」

「それがどうかしたか?」

「キっキスを贈るのは、姫っ、姫のはずだろっ」

 ついに追い詰められ、手摺に押し付けられ両側に手を突かれて囲い込まれ、ユーノは全身熱くなった。屈み込まれる、逃げ場がない。

「何なら女装でもするか?」

「アシャっ!! 性別を自覚しろよっっ!!」

「はははっっ」

 喚き立てるユーノに、さすがにアシャが手を離す。隙を狙って一気にアシャの囲いから抜け出し、ユーノは冷や汗をかいていた。これ以上おかしな具合になってはたまらない。屋敷の中へ駆け込みながら、それでもまたからかわれたのが悔しくて、喚き散らした。

「アシャのスケベ!! 変態っ! 節操なしっ!!」

 返ってくるのは楽しげで朗らかな笑い声だけだ。

「ったくもうっ! 人がせっかく真面目に話をしようと思ったらこれだしっ!」

 ぷんぷんしながら足音荒く私室への廊下を突き進む。怒りながらも、間近まで迫ったアシャの瞳が脳裏に広がる。

「違う違う違うっ」

 ばたばた意味もなく両手を振り回し、荒っぽく私室の扉を開けて飛び込み、ばたんっと背中で閉めて息を切らせて立ち竦む。

(体が、熱い)

 鼓動が速い。目を閉じる。

 あのままじっとしていれば、ユーノは『正当な理由』でアシャのキスを受けられたのだろうか。あの胸に抱きしめられて、一瞬なりと甘えられたのだろうか。

「……ううん…」

 ユーノは小さく首を振った。いや違う、そうはならない。なぜならユーノはアシャの想い人ではないのだから。

(……あれでいいや)

 胸の底で低く呟く。

(ああ言う関係でいい……ね?)

 ユーノは俯いて、しばらく立ち続けていた。


 ユーノは知るはずもなかった。自分が駆け去ったのを、アシャがどんな目で見送ったのか、どれほどの想いで、それ以上の行動に出るのを抑えたのか。

「性別を……自覚できるか……お前に対して」

 虚ろに響いた笑いの後で、アシャは吐き捨てた。

 ユーノがいくら抵抗しても、唇を奪うことは簡単に出来る。そればかりか、手首を捉えて捩じり上げ、華奢な体を自分のものにすることも出来る。

 だが、そうした瞬間に、ユーノの心はアシャに対して二度と開かれなくなるだろう。いくら躰を手に入れても、あの娘の心がなければ、肉を纏った木偶人形、何の意味もありはしない。

(俺は想いを封じられている。お前は俺を振り返りもしない)

 それでもいつか、重ねられる時が来るのだろうか、ユーノの心にアシャの想いを。遂げられなくとも愛していると、自分のものになってはくれまいかと告げられる時が来るのだろうか。

 もしたとえ、その時が来るとしても、それはどれほどの時の彼方だろう。

「…惚れてるよ……お前に」

 置き去られたバルコニーで、ただ1人、アシャは立ち竦みながら微苦笑する。

 或いは一生、告げることはできないのかも知れない。

 なぜならユーノには身を捧げるほど愛する者が居る。

 そうしてそれは、アシャではない。

 寒さに自分の体をそっと抱いた。目を閉じ、疼きかけた願いを固く抑え込む。

「惚れて……いる…」

 風に紛れ込むような囁きを、聞くべき者の姿はない。

 ジェブの葉鳴りだけが、深く静かに、夜の闇を渡っていった。



     第五部 終わり


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