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「あの水晶球は?」
ジーフォ公の話に、何事か考え込んでいたセシ公は我に返ったように顔を上げた。薄く笑う。
「あるよ」
「どうする気だ?」
「渡す相手を見つけるまでは、私のものだ」
「世界の遺産だぞ!」
「水晶球がそう命じたんだよ」
応えて、セシ公はあの夜のことを話し出した。
カート達が地下道へ入り込むと、ラルはすぐさまジーフォ公の屋敷を出た。馬を1頭引き出し、鞭を当てるや否や夜の街を駆け抜ける。
ジーフォ公のラズーン外壁の守りには、ある一定の動きがあって、その隙を突けば易々と外壁の外に出られることをラルは熟知していた。
セシ公は代々参謀として、ラズーン四大公の任を果たしている。今は平和な時世ではあったが、軍師の血は幼いラルの体にも脈々と流れており、無意識のうちに必要と思われる情報は全て収集し、心の奥底に整理し収めておく術を心得ていた。
「おい、交代だ」
「ああ」
門の守りが一時、門の側を離れる。近くの小屋に入り、今日の出入りを伝え合う。その瞬間こそが門を抜けるまたとない好機、ラルの狙い目は見事に当たった。
夜を駆けるラルの頭には冷静な計算がある。ラルゴとデリンガでは、地下道の出口まで行き着けはしない。問題はカートだが、あの地下道は『狩人の山』(オムニド)からの『黒の流れ』(デーヤ)に近く、地中深くを流れる水脈のせいで湿気が多く、松明は役に立たずに消えてしまうだろう。そうなれば、視界を奪われたカートのこと、いくら地上を走るこ
とで時間を費やそうとも、ラルより先に遺跡に辿り着けはしないはずだ。
予想は今度も狂わなかった。カートよりも先に遺跡に辿り着いたラルはまっすぐに像へと歩み寄った。膝へ登り、抱えられた水晶球を覗き込み、がっかりする。
(何も見えない)
ただの透明な球だ。向こうに透ける像の手が歪んで見えるだけの。
ラルは色々と角度を変えて水晶球を覗き込んで見た。だが、変わらない。確かによく見る水晶の玉よりもはるかに大きく透明度が高い、だがそれだけだ。つまらない、ただの。
(いや? あの黄色っぽい光は何だ? 星…じゃない、一体…?)
「っ!!」
次の瞬間、それは突然紅蓮の炎を宿し、ラルの視界を覆った。
水晶球の中で燃え狂う世界が映し出されている。閃光のようにまばゆい光が二度三度、遠くの方で空へと走る。その空も焼き焦がされて赤紫に染まり、火の粉が舞って点々と金色を散らす。音は聞こえなかったが、ラルには炎の乱舞する耳を押し潰すような轟音が聞こえていた。燃える、燃える、何もかもが。息を呑み、見つめ続ける。崩壊の傷みが視界から胸を貫いてくる。
全ての試みが灰になる。望みはないのか? 望みは。
ラルの心を襲った絶望に、まるで応えるように、黄色と朱、赤で満ちていた水晶球の像がゆらりと揺れた。
1人の人影が歩いてくる。紅蓮の滅亡を背景にして、たった1人、落ち着き払って平然と。その歩みには、何処かへ行く以上のものがある。何かを成就させて行く深い祈りがある。進むべき道に一瞬たりともたじろがない誇りがある。
が、その時には、そこまで深く分かった訳ではなかった。ラルはただ、その人物に水晶球を見せなくてはいけない、そう思っただけだ。
夢の中の動作のように、どこか頼りなく手を伸ばす。触ると火傷するのではないかと言う危惧も、意識のはるか遠い所のことだった。ラルの手が水晶球にそっと当たる、とそれは吸い付くように手の中に収まった。水晶球の方からひとりでに転がり落ちた、と言った方がいいかもしれない。
そしてラルは、カートが来る気配に腰に巻いていた紫の帯を解いて水晶球を包み、『パディス』の土台石の上へ身を潜めたのだった。
「炎上する光景、か」
ジーフォ公は難しい顔でセシ公を見つめて唸った。
「その人影と言うのは、お前じゃないのか?」
「いや、違う。あれはかなりの先の未来と見えた。けれど、その人影は今の私よりもっと幼かった」
応えてセシ公は眉を寄せた。その人物に心当たりがあるのだが、どうにも思い出せない、そんな気がする。
「ふん…まあ、それはいい」
ジーフォ公は昔話を切り上げた。
「俺の問いに答えてないぞ」
「アシャ殿の指示だ」
セシ公は夢から醒めたように、少し瞬いて答えた。




