瞼越しの旅
夏がやってきて、この世界は鮮やかに彩られた。
私は一人、喉をカラカラにして何キロも旅をしてきた。そしてようやく、この街にたどり着いた。
まるで大正時代と現代が入り混じったような不思議な造形をしたその街は、初夏の太陽の日差しを受け、きらきらと輝いていた。
――ああくたびれた。
私はまるで年寄りのようにずっしりと自転車置き場の柵に腰掛けた。
広い横断歩道には奇妙で、それでいてどこか懐かしい服装をした人々が足早に行き交い、座っている私をなんとなく不安にさせた。きっと皆行き先が決まっているのだろう。
そんな時、しゃがれた男性の声が私を振り返らせた。
「お前さん、まさか旅の人か?」
一人の腰の曲がった老人が私の後ろに立っていた。
彼はまるで、私がどんな人間なのか、どこからやってきて、どこへ行こうとしているのか知っているようだった。理由は見当もつかないが、なんとなくそんな気がした。
こくり、と無言で私は頷いた。
「よりによってこんな日に……そうだ喉、喉乾いとるじゃろ。うちの店ぇ上がってけ。二階の孫らがうるせぇかも知れねぇけど、気にしねぇでくんな」
そう言って、着いてこいと手招きする。
私は特に何も答えずに、ふらふらと死にそうな足取りで彼のあとをついていった。
少しばかり歩くと、一件の古めかしい商店にたどり着いた。ねずみ色の瓦に、引くとガタガタと音の鳴る扉。どこかで見たような家具たち。二階からは子供たちのキャッキャッとはしゃぐ声が聞こえた。
おかしなことだが、ここへは一度も来たことがないのにとても懐かしい。涼しい風がすうっと吹き抜けてくる。
「ちっと、待ってろぉ……」
老人はそう言ってよたよたと店の奥へと姿を消したかと思うと、じきにオレンジ色の缶を2本持って私のところへ戻ってきた。
よく冷えた、果物の缶ジュースだった。ただ、なんの果物なのかはよくわからなかった。
それを、一気に喉の奥へと流し込んだ。が、これがなんとも微妙な味で……思わず私はその場でゲホゲホとむせ返ってしまった。
「な、何ですかこれ!」
私はむせながら尋ねた。
「そんなもの、お前さんが一番よくわかってるだろうに。お前さん、その様子だとぉ、あんま美味くなかったか」
老人はとぼけた様子でそんなことを言い、どこからかもう一本缶を取り出して、やけに美味そうに中身を飲み干した。
「まあ、美味くないということは、ある意味良いことだ。まだ旅を続けることができる。いいや、お前さんの場合は、続けなきゃならんと、言ったほうがいいか。わしも、昔はそうだった」
「では、私はどこへ行けばいいんでしょう?」
私は聞いた。
もう、自分がどこからやってきたのかも思い出せない。どこへ行けばいいのかもわからない。そんな状態だった。
「道はそのうち開けるもんだ。お前さんには、嫌になるほど時間が残っとる。行き先が決まらないんなら、居たい場所に暫く居座りゃいい。お前さんの人生だ、歩き出すのに遅いも早いもないだろう」
老人はそう言ってオレンジ色の缶を懐にしまった。
私はというと、やっぱり残りの分が飲み干せずにどうしようかと考えていたが、結局彼と同じように懐へしまうことにした。多分こぼれないだろう。
「お、もう行くんか」
立ち上がった私に彼は言った。
「ええ、この街は好きですが、もう行くことにします」
「ほう、行き先が決まったのか」
「いいえ。ただ、ながれに乗ってみようかと思っただけです。また、必ずここへは戻ってきます」
私は自分でも何故そんなことを言っているのかわからなかったが、そのままヨイショと重い荷物を背中に背負った。
「では、またいつかお会いましょう」
「その時まで、お互い生きてりゃな」
老人はにっこりと私に微笑んだ。
「いや……生きていてください」
振り向きざまに私はぼそりと小さな声でそう言ったが、きっと聞こえてはいなかっただろう。
私はまた一人で旅に出た。