春の終わりと
新学期が始まって早二週間、のろのろと風に流される雲と同じように、今日もゆっくりと時間が流れてゆく。
けれど時間とは本当に不思議なもので、この前まで高校一年生だった僕は、何もしないうちに気がつくと三年生になっていた。
本当に、本当にあっという間だった。今までただ息をしていただけのようにすら思える。それくらい何にもない生活だった。校庭に生えている植物たちの方が、まだ充実した生活を送っているのかも知れない。
この調子じゃ次にこんな気持ちになる時には、きっとおっさんになっているに違いない。とびきり平凡でつまらないおっさんに。わかっている。このままなんとなく大人になるのは、きっと良くないのだ。
古典の授業中にそんなことを考えながら、僕は後ろの席の大山を振り返った。大山は今日も自分の筆箱を枕にして小さくいびきをかいていた。筆箱にはタオルが巻いてある。本人曰く、ヨダレが垂れた時に筆箱にかからないようにするためらしい。そこまでして授業中に睡眠をとることに、一体何の意味があるというのだろう? 一体親の金を何だと思っているのか。
修正テープを借りようと思ったのに、それが入っているであろう筆箱は残念ながら眠っている奴の頭の下だ。こんな奴が休み時間となると別人のように周囲の人間にちょっかいをかけまくるのだから驚きだ。この前は水分補給中に国語便覧で容赦なく頭をぶっ叩かれた。おかげで鼻からスポーツドリンクを盛大に噴き出す羽目になったのだ。
「あーあ、大人になりたくない」
休み時間、なんとなく僕はさっきまで考えていたことをぼそっと声に出した。意外と危ない独り言だ。
「なんでだよ」
振り返ってみると大山が起きていた。
「やっと起きたか、このヨダレ野郎は」
数秒考えてから僕は咄嗟に、だけど落ち着いて話を逸らそうとした。
「ほれ、これ見てみ? 今日は一滴も垂らしてない」
そう言って筆箱に巻いたタオルを広げる。
「それで、さっきのなんでだよ? 気持ち悪いな」
逸らしきれていなかったようだ。
「いや、独り言だよ、別に大した意味ない。ただこのままなんとなくつまらない大人になっていくのがなんか嫌だ。大人って希望に満ちたイメージがこれといって……ないだろ? うん、ないな。ない。……ない」
「ああ、なんだそういうことね」
は?
「じゃあお前は何だと思ってたんだよ」
僕がそう尋ねると、大山は少し顔をしかめてこう言った。
「どうしても働きたくねえんだ俺は」
僕はブッと吹き出した。なんというか、いかにも授業中に寝ている人間の言いそうなことだったからだ。大山らしい。馬鹿のようだ。
「だって普通に嫌だろ? 働くんだぞ? まるで働くために生まれてきたみたいに毎日毎日バカみたいに仕事して、アホみたいに上の人間にペコペコ頭下げるんだぞ! 親父がいい例」
「お前は会社をなんだと思ってるんだよ」
「生き地獄だ。ジジイになるまで続く懲役」
「うわあ……やめてくれ」
僕が呆れ気味でそう言った時だった。
ごうっという音とと共に窓から風が吹き込み、残り少なくなった桜の花からぽろりとこぼれ落ちた花びらが教室に入ってきた。
薄紅色の花びらはひらひらと教室の床の上に降り立った。その瞬間、どういうわけか僕らはほぼ同時に「はぁ」と小さく溜息をついた。多分、同じことを考えたのだろう。
「ああなんか、ほんとにあっという間だったなあ」
また僕はなんとなく呟いた。
「ああ、なんだそっちね」
またか。同じことを考えたわけじゃなかったのか。
「お前は何考えたんだよ」
僕がそう尋ねると大山はまた少し顔をしかめて言った。
「今日教室掃除だから。掃きたくねえんだ俺」
面白いくらいに考えることが違う。でも、全く同じ考え方の人間がいつも一緒にいることは、もしかしたら危険なことなのかもしれない。
そう思っていると、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴ってしまった。
修正テープ、借り忘れた。
そう思い、僕は大山に修正テープを借りようと声を出しかけた。
「おい、じゃあお前は何考えてたんだよ?」
ちくしょう。遮られた。
「何が?」
「いやぁだから、あっという間って言ったろ? 何の話だ?」
「……別に。それより修正テープ貸してくんない? 『消せるボールペン』の癖に消えないんだこれ」
もう何もかもめんどくさくなってしまって、ため息混じりに僕は言った。




