第二十一話:日記
12月22日
少し混乱している。なにを言われたのかよくわからない。一体どういうことなのだろう。
今日の放課後、副会長に呼ばれた。何の落ち度もなかったはずだけど、あの人は些細なことでも鬼の首とったような顔して指摘してくるからちょっと怖かった。たぶんドSだ。みんなからも嫌われている。わたしも昔、ちょっと廊下を走っただけなのに反省レポートを書かされた。意味わかんない。ちょっとあの人、おかしいんじゃないの。
って、これじゃただの愚痴だ。この日記は元々愚痴を書くためにつけているのだけれど、今日はそんなことが書きたいんじゃない。そうなのだよ。
しかし一体なにを書けばいいのだろう。副会長に言われたのは注意じゃなかったけど……、計画? A.G.P.だって? なにそれ。わたしがその計画の被験者に選ばれたって? なにそれ。被験者って、要するに実験体ってことだよね。なにそれ。なんだよ、それ。そんなの、おかしいよ。人の人権をぜんぜん無視した言い方だ。わたしにだって人権ってもんがあるはずじゃないか。
でも……そう、先生まで関わっていることなんだから、本当にそんなおかしなことなんだろうか。もう少し、話を聞いてみてもいいんじゃないだろうか。計画って言われたって、わたしはまだよく話を聞いてみたわけじゃない。そうだよね、断るのはそれからでも遅くないはず。
そうか。そうだな。そうしよう。
ということで、結果はまた後日! お楽しみに!!
(って、わたししか読まない日記だけどね)
――正直言ってよくわからない。
見澤灯の日記を三回通して読んでみたが、失踪の動機らしいものや人間関係のトラブルらしいものは見当たらなかった。
速読はできるが、どうせ夜明けまで寮から出られないんだからゆっくり読んだ。今は穂乃歌が読んでいる。親友が書いた日記なんだから興味深いだろう。趣味がいいとはいえないが、この際そんなことはいってられない。
見澤の日記は、本人が冒頭に書いているが「日ごろ外に出すわけには行かない鬱憤を晴らすために書」かれたものらしい。だから毎日つけられているのではなく、日付は飛び飛びだった。内容はなるほど憂鬱を感じさせるものもあったが、テストが嫌だの月曜日は登校するのが億劫だの、そういった些細なものばかりで、どれも失踪の動機になりえそうなものには思えない。
ただ、12月22日に書かれた日記、つまり失踪した12月24日の直前に書かれた日記だけは別だ。ここに書かれた内容は見澤灯の人間関係に何らかのトラブルがあったことを示唆している。しかも相手は俺が怪しいと睨んでいる生徒会副会長、高木刃子だ。この日以後書かれた日記はない。
この直後失踪しているんだから、この内容を重視しないわけにはいかない。だが、内容が断片的過ぎてよくわからない。自分だけのために書かれた日記なんだから仕方ないんだが、もう少し読者のことを考えて書いてほしかったなあ。
キーワードは、『副会長』『計画』『A.G.P.』『被験者』『先生も関わっている』ってとこか。
計画……一体なんだ? A.G.Pってのもわからない。Pがプランの略称だとするならば、その計画ってのの名称か。A.G.P.……何の略称だ? これだけじゃなんとも判断しようがないな。
副会長、はともかくとして、先生も関わっている、か。讃神学園の教諭が行っている何らかの計画があったということか。見澤の混乱した様子を見ると、学園が公式に行っている計画とは考えづらいな。
パタン。
穂乃歌が日記を読み終えたらしいな。
「どう思う?」
「うん……。灯、あたしの知らないところで色んなこと考えていたんだなあ」
この日記の存在は穂乃歌にも秘密にしていたんだろう。
「あたし灯のこと全部知ってるようで、ぜんぜん何も知らなかったっ」
「親友だからって、何でも話すわけじゃないだろ」
「そうだけどっ……やっぱり悩みがあったら全部打ち明けてほしかったな。だから力になれたってわけじゃないけどっ、でも苦しいことは共有したかった」
「……感傷に浸っているとこ悪いが、先に重要なほうを片付けておきたい。この12月22日の項についてどう思う?」
「最後に書かれた日記だから、当然重要なんだよね。でもこれじゃよくわからないよ」
「この『計画』ってのに心当たりはないか?」
「わからないなっ。『A.G.P.』もなんだろう」
「ドラ○エとかF○」
「それはR.P.G.っ」
「国内で生産された付加価値の合計額」
「G.D.P.」
「アメ○カの諜報機関」
「C.I.A.」
「まーじでこいしちゃいーそーおなー」
「MK5。っておい」
「要するにわからん」
「じゃ、結局収穫なしっ?」
「いや、見澤に何らかのトラブルがあった可能性がわかっただけでも十分だ。しかもそれに副会長が関わっている。この『先生』にも思い当たることはないか」
「うーんっ、なんか変な計画立ててる先生だよね」
「高木と親しい教師かも知れない」
「副会長と仲のいい先生なんているかなあっ……。うーん、久万先生とか?」
「一度会ったな。黄組の担任で、生徒会の顧問だったか。なるほどな」
「でもっ、久万先生優しい先生だし、そんな怪しい計画に加担するかなあ」
「人は見た目じゃわからんさ。高木のクラスの担任はどうだ? 確かあいつは青組だったかな」
「まさかあ。ないない。桜谷先生はありえないよ」
桜谷ってのが青組の担任か。
「どうして?」
「かっこいいもん」
「見た目かよ」
「見た目だけじゃないよ。知的で、クールで、近寄りがたいように見えて誰にでも優しく話しかけてくれる先生だよ。学生からの信頼も厚いし、私もよく相談とかするけど、親身になって話を聞いてくれるよ」
「ふーん」
ま、実際に会うまではなんともいえないな。
「とにかく重要な手がかりを俺たちは得ることができた。この計画ってのが見澤の失踪に関係しているのは間違いないだろう」
「これからどうするのっ?」
「いきなり高木にぶつけるのは早計だな。この計画とやらについてもう少し調べてみたいな。水樹にでも聞いてみるか」
「うんっ」
「穂乃歌はちょっとでも休んでおけよ。どうせ朝になるまで出られないんだから」
「蒼輔はっ?」
「俺はここで座っている」
「そんなの悪いよっ」
「いいんだよ俺は。ちょうど見澤のベッドがある。寝たら寝たで起こしてやるから」
「……何もしないっ?」
「何をいってんだ」
「信用できないんだよねっ、蒼輔は」
「勘弁しろよ」
「なんてね、冗談っ。ありがと、蒼輔。じゃちょっと休ませてもらおうかな。…………蒼輔、この日記もう少し読ませてもらっていい?」
「ああ、俺はもうだいたい覚えたから」
「すごいねっ。…………蒼輔、友達ってなんだろう」
「なんだよ藪から棒に」
「あたし灯のこと知ってるようで全然知らなかった」
「でも穂乃歌にだって秘密はあっただろ? 親友だからこそ話せないことだってあるんじゃないのか」
「……そりゃ、少しはねっ」
「お互いのことを全部知ってるわけじゃない。それでも親友は親友だ。そうだろ?」
「……うんっ。……蒼輔にとって、あたしってなに?」
「なんだよ……。友達だよ」
「友達かあ。そっか……」
「なんだよ、文句あるのか?」
そりゃ俺は友達なんていたことなかったけど、穂乃歌と京一は友達だろ? ここまで一緒に行動して、ただの他人なんて、なあ。
「……今はそれでいいやっ。でも、蒼輔は灯を探すために来た、えっと、探偵なんだよねっ」
「ノーコメントだ」
「灯が見つかったらどうするのっ」
「ノーコメント」
「これからも一緒に学園で生活していけるの?」
「……すまん、ノーコメントだ」
「そっか」
「穂乃歌、もう寝とけよ。朝になったらまた誰にも見つからないように脱出しなくちゃいけないんだぞ」
「うんっ、わかった」
六寮のエントランスが開くのが、午前六時だったか。ベストは開いた瞬間に抜け出ることだろうが、朝に起きだしてくる寮生がいることを考えればリスクは高いといわなければならない。とすればむしろ、学生たちが活動を始めたあと――九時くらいまではここで静かにしていたほうがいいかもしれない。
穂乃歌はぐっすり眠っているな。ゆっくり眠らせておいてやろう。
早く『計画』とやらについて調べたいところだが、仕方ない。しばらく大人しくしているとするか。
――なんだ、何の音だ?
……足音だ。これは人間の足音だな。
学生がトイレにでも起きたか? だがこれは――
まずいな、こっちに向かってくるようだ。
寮には宿直警備が配置されているって、水樹が言っていたっけ。
さてどうするか。俺一人隠れるんならともかく、穂乃歌も見つからないようにする自信はない。
この部屋の中まで調べるどうかは不明だが……勘弁してほしいな。
「穂乃歌、すまん、起きてくれ」
「んっ……蒼輔、どうしたの?」
「どうやら夜間巡回らしい。どこかに隠れてもらいたいんだが、できるか?」
「えっ、それって、まずいんじゃない?」
「かなりまずい。ここも開けられるかもしれない。クローゼットの中にでも、入っててくれるか?」
「そ、そんなの無理だよっ」
……足音はゆっくりとだがこっちに近づいてきているようだ。
「無理でもやってもらわなくちゃならない。さ、起きてくれ」
「蒼輔はどうするの?」
「俺は……ベッドの下にでも隠れるさ」
「そんな狭いところにっ? 無茶だよ」
「俺の辞書に不可能って文字はたまにしかない」
「たまにはあるんだっ……」
――よし、穂乃歌のほうはこれで大丈夫だな。見かけはただのクローゼットでしかない。
もうあまり時間がなさそうだ。穂乃歌の使ったベッドを直して……俺たちが家捜しした跡も綺麗にしてしまった。
ベッドの下は確かに狭いな。腕一本でいけるか……。
くっ……ふう、やっぱり関節外すのは何度やっても痛い。が、何とかこれで隠れられそうだ。
――足音がドアの前で止まった。
鍵を開ける音。やっぱりここをあらためる気か。
懐中電灯の光が室内を照らしている。といってもここまで光が当たることはない。見つかることはないだろう。
スイッチの切り替わる音がして、電灯がついた。同時にドアが閉まる。どうやら中に入ってきたらしい。
視線を滑らせるようにゆっくりと室内を見回しているようだ。どうしてこんなに念入りな警備をするのだろう。どこか不審な点があったとでもいうのか? だが俺たちが見つかった気配はない。
俺たちがいた痕跡は残していないはずだが……こうじっくり見られると見破られるかも知れないな。やれやれ、勘弁してほしいな。――
さて、どれくらい時間が経ったか。三十分くらいか。何でまだこいつは出て行かないんだ? もういい加減帰っても――
そのとき、
くしゅん
と、どこかからくしゃみをする音が聞こえた。