第二十二話:見殺し
なるほど、血が凍るっていうのはこういう状態を差すんだな。
いくらなんでもあのくしゃみの音がこの巡回人に聞こえなかったってことはないだろう。
観念するしかない。俺は女子寮に忍び込んだ変態やろうとしてつるし上げられ、騒ぎを起こした罰でアカデミーに強制送還だ。
猫の声真似なんてやっても、この場じゃ逆効果だろうしなあ。
勘弁してほしいな、ちくしょう。
穂乃歌は責められない。長時間息を潜めて隠れているなんて、訓練された人間でない限り十全に行いうるものじゃない。まして穂乃歌は俺が巻き込んだ人間だ。
巡視者はどうやらクローゼットを不審に思っているらしい。扉を開けられて穂乃歌が見つかるのも時間の問題だ。
と、そのとき
中からクローゼットの扉が開いた。
と同時に中から人が飛び出してくる。
「すいませんっ、ごめんなさいっ。あたしが中に隠れていましたっ」
穂乃歌は見つかるより先に自分から名乗り出たか。いさぎよいな。
なら、穂乃歌だけ謝らせておくわけにはいかないな。
「すいませんっ、あたし、一人です。あたし一人でやりました。ごめんなさいっ。って、桜谷先生っ」
ん? 『一人でやりました』?
「穂乃歌か。ここで何をしている」
「先生っ、そのぅ、ここは灯の部屋です」
「それはわかっている。何故穂乃歌がここにいる」
「探していたんです。何か手がかりが残っていないか」
「私はそんなことをしろと言った覚えはない。一体誰の思いつき?」
会話から察すると、寮内を巡視していたのは桜谷という教師のようだな。さっき穂乃歌との会話の中で出た、青組の担任だっていう教師だ。
「あたしです。あたし自身が考えてやりました」
「よろしい。何故こんな夜中に?」
「昼間だと人がたくさんいて自由に探せないと思ったからです」
「どうやって寮に入った? あなたはこの寮の寮生ではなかったと思うけど」
「夏海のカードキーを……借りました」
「よろしい。ではもう一度質問する。一体誰の命令でこんなことをしている?」
どうやらばれているな。というより、穂乃歌一人に尋問を受けさせるわけにはいかない。そろそろ出ていくとするか。スパイとしては失格でも、これは人間としてのプライドだ。だが、
「違う。あたしです。あたし一人で考えてやったことです」
穂乃歌はあくまでも俺を庇おうとしている。ここで俺が出て行くことは、穂乃歌の頑張りを無碍にするってことだ。
「穂乃歌、正直に答えて。大丈夫。何も問題なんてないから」
しかし、穂乃歌に相対しているこの教師の声……不思議な声だ。抑揚がなく、感情の色を感じさせない。忌々しいような、それでいて温かいような、困惑した気分を引き起こさせる。なんだか眠たくなってきた。
「吾川蒼輔の思い付きではない?」
吾川蒼輔、俺の名前だ。どうしてここで俺の名前が出る? ……穂乃歌や京一と見澤の捜索を始めてもうずいぶん経つ。高木あたりからこの教師に俺の名前が知れていても不思議はないかもしれない。
勘弁してほしいが、そこまでばれているなら仕方がない。俺も名乗り出るしか……
「蒼輔は関係ありません。蒼輔はここにいちゃいけないんです。なぜなら蒼輔は男性だから。女のあたしなら女子寮に侵入したって、大問題にはなりません。でも蒼輔が侵入したなら、ただの変態です。女性の下着を見てニヤニヤしているスケベヤローです。だから蒼輔はここにはいないし、今回のことに全く関与していません」
穂乃歌さん、何か関係ないことまで言ってませんか。
じゃなくて、くそ、穂乃歌のいうとおりだ。男の俺が女子寮に侵入するのと女の穂乃歌が侵入するのでは事の大きさがまるで違ってくる。
だから俺にこのまま身を潜めたままでいろって言うのか。くそ。
勘弁、してくれよ。
「あたしは蒼輔を信じています。灯を見つけてくれるのは蒼輔しかいません。だから、こんな犯罪ごとに蒼輔が関わっているわけないんです。これは全部あたしの一存でやったことです」
「よろしい。穂乃歌、あなたは少し混乱しているようだ。だが穂乃歌、あなたはここで何か見つけた?」
「え?」
「見澤灯の手がかりを探していたのでしょう」
「はい…………日記を見つけました」
「日記? そんなものがあったのか。よろしい。ではその話も含めて、別の部屋でゆっくり話してもらうとしよう。ほら、こっちに来なさい」――
ちくしょう。
ちくしょうちくしょうちくしょう。
調査員だと? 訓練されたエージェントだと? ふざけるな。これが、このざまのどこがスパイだ。どこがプロフェッショナルといえるんだよ。馬鹿げていやがる。俺は、貴様は、無関係の一般人に犯罪の片棒担がせて尻拭いを全部任せる、最低の恥知らずだ。自分だけ、自分ひとりが知らぬ顔でのうのうと逃げる鉄面皮だ。信じてくれる友達を裏切った、屑やろうだ。ちくしょう。なんだよ、これは。なんだよ、俺は。こんなことをしてまで、任務を遂行しなくちゃならないのか。これがスパイとしてのあるべき姿だっていうのかよ。こんなざまが。
……どこだここは?
ああ、一寮だ。既に日は高く上がっている。俺は昨夜から一睡もしていないが、特に疲れてはいない。休むつもりはないのに、戻ってきてしまった。
……京一だ。門の前に立っている。
なにしてんだ、なんていうつもりはない。穂乃歌の話では、俺が寮を抜け出したのを京一は気づいていたらしい。俺を待っていたんだろう。
「蒼輔!」
「よう京一、疲れた顔してんな。受験ノイローゼか?」
「心配したんだよ。昨日はずっと帰ってこなかったから。どこ行ってたのさ」
一晩中起きていたのか。何でこいつらはこんなに、俺のことを気遣うんだ。勘弁してくれよ。
「穂乃歌から話は聞いている。俺を尾行するなんてやるじゃないか」
「それは……ごめん。悪いと思ってたんだけど、たぶん」
「別に責めてるわけじゃない。どこまで付いてこれた?」
「すぐ見失った。蒼輔足速いよね」
とするなら、清美お姉さんに会うところまでつけられたわけではないな。
「散歩かとも思ったけど、ずっと戻ってこなかったからさ。穂乃歌さんには会えたんだよね」
「そうだよ。そして……俺は穂乃歌を見捨てた。俺は屑だ。最低やろうに成り下がっちまった。見ろよこのざまを。この腐った人間を」
「ちょっと待ってよ蒼輔。話が全く見えてこないんだけど」
「話してやるよ。自分をおとしめたくはないが、話したほうがすっきりする。…………」
「なるほど、つまり昨晩蒼輔はずっと六寮にいたってことなんだ」
「そうだ」
「山西さんのカードキーを盗んで」
「そうだ。悪いか」
「……その話は僕たちだけで秘密にしておこうか。でも蒼輔、よく簡単に盗めたね。実はすりだったとか?」
「そういったことに関してはいえない」
俺が訓練された調査員だってことは、さすがに京一にも言えない。
「軽蔑してくれよ、京一。俺は友人を人身御供に差し出して自分だけのうのうと助かった、卑劣漢になっちまった。嘲ってくれよ。ちくしょう。俺は……」
「それは違うよ、蒼輔」
「なにが違うっていうんだ! 俺は最低最悪の屑やろうだ!」
「そんなふうに自分を卑下してどうするんだよ。いいかい蒼輔。穂乃歌さんが蒼輔を庇ったのは、蒼輔を助けたかったからじゃない。蒼輔しか、灯さんを見つけることができないと思ったからなんだ。蒼輔なら必ず見つけ出してくれると信じているからなんだ。それに、蒼輔のしたことは手段としては犯罪だったかもしれないけど、正しいことをするために行ったことなんだろう? 僕も、たぶん穂乃歌さんも、そう信じている」
「そんなことはわかっているさ。だけど!」
「わかっているなら蒼輔が今すべきことはなに? こんなところで僕に懺悔すること? 違うよね!」
「くっ!!」
「お願いだよ、蒼輔。自分を責めないでよ。蒼輔はこれまで一生懸命やってきたじゃないか。僕も穂乃歌さんもその姿を見てきたよ。だから……また立ち上がってほしい」
「…………勘弁してくれよ、全く。お前も穂乃歌も人のこと信用し過ぎなんだっての。涙が出てきそうだよ、くそったれ」
「一発くらい殴ってあげてもいいけど?」
「セリヌンティウスかよ。大丈夫だ。俺は俺のやるべきことをする。それが、……穂乃歌の厚意に報いる術だ」
「元気が戻ったね、たぶん。これからどうするの?」
「見澤の日記にある『計画』とやらについて調べてみようと思う。あの日記の内容だけじゃ、詳細がよくわからないからな。この『計画』について知ることができれば、見澤の動向を知ることもできるはずだ。現物がないのは厄介だが」
「日記は穂乃歌さんから、先生に渡されたんだよね、たぶん。それなら先生サイドでも何らかの動きがあるかもしれない」
「だが内容が断片的過ぎるからな。期待するのはやめといたほうがいいだろう」
「僕も何か手伝えるかな」
「寝てないんだろ? 休んどけよ。それと、もし会えそうなら……穂乃歌に言っといてくれ。『ごめん。それと、ありがとう』って」
「了解。それに、『絶対見澤のことは見つけ出してやる。任せとけ』もね」
「おいおい……わかった、任せとけ」




