第十八話:報告
暗い。
暗いな。
足元もよく見えない。
12時には、あと10分てところか。
腹いっぱいだ。一寮の建物は気に食わないけど、飯だけは例外だ。寮母のばあちゃんの、家庭の味っていうのかな、手作り料理。ああいうのはあんまり慣れていないな。しかもやけにたくさん食わそうとしやがって。
――旨かったな。
……地図によると、そろそろ着くはずなんだけど。
校門が見える。ここか。
緑学校――緑組の教室のある校舎はここだ。さすがに春休みの夜だというだけあって電灯もなく薄暗い。構内は建物のレイアウトが少し違うくらいで、黄色とそう代わらないみたいだ。
保健室は……こっちか。
ノックをしても返事がない。電気もついてはいないが、人の気配はある。
ドアを開けると誰かが椅子に座っているシルエットだけがあった。太陽の光がないせいでよくは見えない。しかし特徴的な金髪のおかげでそれが誰だかすぐわかる。シルエットは長すぎる白衣を垂らせ優雅に足を組み、肘を机の上についてあごを乗せていた。
「っていうかなんで電気つけていないんだよ」
「意味はないわよー。そうね。そろそろつけてくれる?」
意味ないんかい。
スイッチは……ここか。ポチっとな。
やれやれ、これで明るくなった。
大した成果もない今、この人に会うのは憂鬱だ。
けど、仕事なんだから仕方ない。
「さすがに刻限ぴったりね。ぬるい学園生活に馴染んじゃって、気が緩んでるかと思ってたけど」
「勘弁してくれよ。これでもちゃんと仕事してたんだ」
「ま、そうかわいく気をつけなんてしないで、そこのベッドにでも座ったら? 報告はそこでしたらいい。コーヒー飲む?」
「どこまでも軽いんだな、あんたは」
「あら、仕事なんて結果だけ出せばいいのよ。はい」
「どうも」
椅子に戻った清美お姉さんはやっぱり机に肘をついてあごを乗せ、あさっての方を向く。話を聞く姿勢じゃないな。
「コーヒーを飲みながら報告なんて、アカデミーじゃ考えられなかった」
「まーだ気をつけ敬礼なんて軍隊みたいなことやってんの、あそこは。社会にでたらそんなもん必要ない。ほんとは報告も必要ないんだけどね、結果さえ出せるなら。ま、あんたはまだひよっこなんだから、仕方ないんだけどさ」
「その結果だが、正直言って芳しくない」
「でしょうね」
「驚かないんだな」
「当たり前でしょ。私だって讃神学園に来てから遊んでいたわけじゃないんだ。でも失踪者については動機も足取りもつかめない」
「清美お姉さんはあくまでも助力者で、実際の捜索活動には関与しないって概要には書いてあったが」
「その清美お姉さんって、何? 吾川蒼輔、弟願望でもあるの?」
「あんたがそう呼べっていったんだろうが」
「あーそういえば言ったわねえ。そうかそうか上司の命令にはあくまでも忠実なわけだ。さっすがペーペーのひよっこだね。青いね青いね真っ青だね」
「ひでぇな。からかう気か?」
「いえ、いいわ。面白いからそのままでいい。ま、確かに私は既に引退した身だけど、あとでやってくるかわいい後輩のためにちょっとでも情報を集めておいたわけよ。でも難しいわ」
「元調査員でも無理な案件か」
「もちろん本腰入れてやったわけじゃないけど、難しいわね。普通の事件なら動機や背景が見えてきそうなものだけど」
「そう。動機だ。見澤には失踪する動機がない。なら犯罪に巻き込まれたのかというと、それもわからない。これが拉致などの犯罪なら、この島に犯人がいなければならないことになる」
「うん。ちゃんとかわいく調査しているみたいね。とりあえず現状を教えてくれる?」
「見澤灯の失踪の状況については確認した。見澤の友人、神田京一、住吉穂乃歌、山西夏海の三名から事情を聞きだした。見澤が昨年の12月24日に失踪したのは間違いない。だが見澤が第六寮から去ったのが具体的にいつごろになるのかは確定ができない。さらに彼女がまだ讃神島内に留まっているのか、島外へ出たのかもはっきりしない。また今現在彼女が生きているのか死んでいるのかもわからない。3日間調べて、このざまだ」
「いいんじゃない? 手詰まりになって今に至る、と」
「いや……ひとつだけ、まだ確定とはいえないが、見澤の拉致に関わっていると思われる人物がいる」
「拉致、と限定したわね。それは確定するの?」
「いや、それもまだだ。だが状況から言って、自発的な失踪よりも拉致であるといったほうが自然だ。なんと言っても、見澤には動機がない。そして、見澤の拉致に関与していると思われる人物――高木刃子だ」
「高木刃子……確か生徒会副会長だったわね」
「明確な根拠があるわけじゃないが、俺は高木にカマをかけたんだ。それ自体は外れたが、彼女は、俺を挑発してきやがった」
「挑発、ね。どんな?」
「お前には明白な証拠を見つけることなど出来やしないだろうってさ」
「なるほど……、自白に近いわね。でも、それだけで確定するのは非常にかわいくないわね」
「わかっている。高木の言うとおり、証拠が必要だ」
「それに、それこそ動機はどうなるの? 高木刃子は見澤灯に恨みでも抱いていたっていうの?」
「……わからない」
「では今後の調査でそれを見つけるということね。報告はこれで終わり?」
「ああ。一つ聞きたいことがあるんだけど、いいか」
「お、いいわねいいわね青春の悩み。恋のお悩みから社会問題まで清美おねいさんがどーんと引き受けちゃうわよ」
いちいち突っ込まないぞ。
「協会が他の失踪について――つまり讃神学園において一年間で七例もの失踪が起こっているということを、事前に俺に言わなかったのは何故だ?」
「任務説明のときに聞かされていないのね。……私は何も知らないけど、本部が言わなかったのなら、それは言う必要がなかったことなのでしょう。それだけよ」
「本部は理解していたはずだ。讃神学園の現状が、失踪が頻発している異常な状態にあるということを。見澤の両親が知らなかったはずはないし、何より清美お姉さん、あんたが先にここへ来ていた」
「そうね、私は確かに報告したわ。あなたのサポート役として讃神学園に潜入してから、調べられたことは逐一報告した。もちろん失踪のこともね。でも、それを本部はそれを関係ないことだと判断したのでしょうね」
「冗談じゃない。失踪が頻発しているのなら……当該の失踪もそれらに関係していると疑うのが筋だろう。もちろん事実は違う可能性もあるが、少なくとも情報を秘す理由はない」
「吾川……いえ、折角私のことお姉さんって呼んでくれるんだから、私も蒼輔って呼ぼうかな。んー、それとももっとかわいく蒼ちゃん、とか蒼っちとかの方がいいのかなあ……」
……どうでもいいよ。
「蒼輔、あなたの職業をいってみなさい」
「調査員だ。小説の世界でいうスパイと言い換えてもいい。つまり他所から依頼されたことならありとあらゆることを行う専門家だ。依頼内容は犬の散歩から要人警護まで多岐にわたると聞いている」
「あなたの所属している組織は?」
「協会と呼ばれる調査員の組織だ。正式名称は教えてもらってない。もっとも、俺はプロの調査員には昇格していない、アマチュアの学生だが」
「あなたの任務を言ってみなさい」
「昨年12月24日に失踪した見澤灯を見つけ出すことだ。依頼主は見澤の両親だと聞いている」
「だったらその依頼に専心しなさい。それがプロの調査員というものよ」
「だが、本部は……」
「蒼輔、あなたもプロの調査員になるつもりなら、本部の動向に疑問を持つことは止めたほうがいいわ。プロはただ淡々と任務をこなすものなの。それがプロとしての心得であると同時に、プロとしてやっていくための秘訣でもある」
「本部の命令は絶対だ、か。アカデミーでもそう教えられたよ。でも疑念を感じるのは人間として当たり前のことじゃないか?」
「調査員は人間じゃない。いえ、もっとわかりやすくスパイと言おうかしら。スパイはまともな人間ではないの。そこには個性も人権も人格も存在しないわ。スパイとは、ただ任務を全うするだけの一種の器官に過ぎないわ」
「だが、俺は人間だ。あんたも……協会に所属する調査員たちもただの人間じゃないか」
「かわいらしいわね。蒼輔、あなたは調査員にはもっともふさわしくない人間なのかも知れない。今回の任務が終わったら、協会とは縁を切ってまともな人生を送りなさい。あなたがまだアカデミー所属のアマチュアでよかった。あなたなら、まだ……」
「俺にはスパイの資質がない?」
「はっきり言って向いていないわ。物事に疑問を持つこと……いえ、本部の方針に疑問を持つ人間は、どれだけ優秀でもスパイとして失格だわ。おそらくいずれあなたは本部から排除される。それよりも、あなたが耐えられなくなるほうが早いかもしれない」
「言っていることがよくわからないな」
「わからないのはあなたがまだ若いせいね。それならそれでもいい。ただ……いずれきっと破綻が訪れる。そのときあなたの精神は耐えられるかしらね」
…………わかんねえよ。
「とにかく報告は以上だ。何か指示することはあるか?」
「私から何か指示する事はないわ。私はただのかわいい連絡員でしかないからね。これからどうするつもり?」
「高木刃子が一連の失踪に関与しているという証拠を探す――といいたいところだが、それは骨が折れそうだな。……一度見澤の部屋に行ってみようと思う」
「見澤さんの部屋……六寮だったかしらね。学園の許可がなければ入れないわよ」
「真っ当な手段で入るつもりはないよ。そもそも人がいては自由に調べられないだろうしな。どうにか潜入してみようと思う」
「六寮のセキュリティは厳しかったはずよ。勝算はあるの?」
「これでもアカデミーの講義は真面目に受けてきたんだ。一般の学園の鍵ぐらい破ってみせる」
「いいでしょう。やってみなさい。ただしあなたの身分が露見しないよう細心の注意を払うことね」
「そうだ。一つ聞きたいことがある。石手博通という人間について何か知っていることはないか?」
「石手……教員リストの中にそんな名前があったかしらね。詳しくは知らないわ。どうして?」
「いや……。協会の関係者だって言うことはないか?」
「私も協会の全てを知っているわけではないから、断言はできないわね。ただ、もし石手博通が協会から派遣されてきた調査員であったとしても、本部が言わなかった以上、あなたがそれを知るべきではないわ。蒼輔は蒼輔の仕事を続けていればいい。……その石手という人間がどうしたの?」
「俺もよくわからないんだが、どうも俺の素性を知っている風だった。俺のことをひよっこだとか何とか」
「つまり蒼輔がアマチュアの調査員であると知られている可能性があるということね。もしそれが事実なら、ちょっと問題になるかも知れないわね」
「俺はしくじった覚えはないぞ」
「むきになっちゃって、かーわいんだー。もちろん蒼輔が失策したといいたいんじゃないわ。本部の誰かから漏れたのかもしれないし、私かもしれない。……ばれたという確証もないんでしょう? 一応本部に報告しておくけど、おそらくお咎めはないわ」
「最悪の場合、どうなる?」
「どうもならないわ。あなたは強制送還されて、元のアカデミー生活に戻るだけ。評価は悪くなるけど、ペナルティはないわ。あなたの素性がばれたところで、協会には全くリスクがないからね」
「捕まってから大事なのは、如何に情報を与えず速やかに脱出するか、か」
「そう。蒼輔本人さえいなくなってしまえば、あとはどこにも吾川蒼輔なんて人間の情報は残っていない。協会には当然名簿なんてないし、戸籍も住民票も、全て偽造したものだからね。蒼輔の任務が終了した時点でそれらは速やかに消去されるわ。だから例え蒼輔が今回の件で失敗して、讃神学園の誰かがあなたを捜そうとしても、どこにも何の手がかりも残っていないのよ」
……データベース上、俺の情報はどこにも存在しない。俺の存在を証明できるものは唯一俺だけ、だ。
「協会に所属する調査員はみな同じだけどね。本来持っていた戸籍も何もかも抹殺されてしまって、あるのは任務のとき与えられる偽りの名前と経歴のみ。ふふ、あなたじゃないけど、ちょっと切ないわよね。あなたは自分の本名、覚えてる?」
本名?
俺の本名。俺の本当の名前……?
わからない。…………頭が痛い。
「それがプロの調査官というものよ。己というものは全て捨て去って、ただ任務を遂行するだけの機械と化してしまう」
「俺が強制送還されたあと、見澤灯の捜索はどうなるんだ?」
「協会から誰か他の調査員が派遣されてくるんでしょう。そうなってしまえば、あとは蒼輔の関与するところではないわ」
「それは……勘弁願いたいな」
「どうして?」
「どうしてって……穂乃歌や京一は俺を信頼して協力してくれているんだ。あいつらの期待を裏切らないためにも、おれ自身の手で見澤灯を見つけ出したい」
「……あなたはつくづく調査員に向いていないと思うわ。全く、かわいらしいわね」
梅本清美はため息をついた。半ば自嘲気味な深いため息だ。
「いいわ。石手博通のことは報告しないでおいてあげる。その代わり、もし石手が蒼輔の素性に気づいていると確証が持てたときは、すぐ私に知らせなさい。私のほうでも石手を調べてみることにするわ」