第十九話:救出
夜の讃神島は静かで、とてもここに二千人近い人間が生活しているとは思えない。月明かりが草木の表面に反射して僅かにあたりを照らしている。
水樹の話では夜間巡回をしている教職員がいるということだったが、俺には関係がない。気配を消して歩くすべをアカデミーで叩き込まれているからだ。
それに懐中電灯を手に巡視しているせいで、遠くからでも彼らの存在を察知することができてしまう。見つかる前に隠れてくれと言っているようなものだ。
六寮へ行き、見澤の部屋に侵入する。彼女の部屋に、失踪に繋がる何かがあるかもしれない。
ん?
激しい足音に、息切れするような激しい呼吸音。誰かマラソンのトレーニングでもしているんだろうか。
足音はこっちに近づいてくるみたいだ。
とにかく、隠れるか。こんな夜に出歩いているところを誰かに見つかるわけにはいかない。
……足音は一人のものじゃないな。音のリズムから判別するに、ふたり……いや、三人か。
足音が通り過ぎていく。
最初に女の子が。間を空けて男子と女子。
追われる者と追う者。――そんな印象だ。
ん、なんで俺は彼らを追いかけているんだ?
俺はある種のスパイで、今は人に知られてはならない作戦行動中で、彼らはただ追いかけっこしているだけかもしれない無関係者だ。
勘弁しろよ。俺は馬鹿なのか?
やれやれ仕方ない。見つからない程度に追いかけながら、気持ちの整理でもしてみるか。
まず、彼らが追いかけっこしている理由。運動のトレーニングでないことは彼らがみな制服姿であることから推測される。真剣な様子から、ふざけあっているわけでもない。
警備中の教師が不審な生徒を見つけたのかもしれない。だが、それなら追うものが制服を着ているのがわからない。仮にそういう性癖なのだとしても、懐中電灯を持っていないのもわからないし、二人だけなのもおかしいし、声を上げていないのも違和感がある。
もちろん、後ろから他のやつが追いかけてくる気配はない。
以上の条件に、讃神島が現在異常な状態であるという前提を代入する。俺の頭に浮かんだイメージは、船で争っていた男子の殺気に満ちた目。
そうすれば、追う者が異常な精神状態にあり追われる者に危害を加えようとしているという推測が成り立つ。
だから俺は姿をさらしてしまうリスクを犯して彼らを追いかけているわけだ。
もちろん俺の推測が外れている可能性は大きい。だからことの成り行きがわかるまで手をださないつもりだが……。
お、追われていた女の子が立ち止まった。追っていたやつらも警戒するように距離をとって止まる。
「あーあ残念。見つかっちゃったなんてね。私なんて所詮、大して有能じゃないんだよな。で、どうする気? 口封じ?」
……見覚えのある女の子だ。助けたいが、見覚えがあるからこそ姿をさらすわけにはいかない。
「俺たちと一緒に来てもらおう」
「断る。殺されるとわかっていて馬鹿はいないよ」
「危害を加えるつもりはないわ。私たちは説得するだけよ」
「嘘だね。君たちに付いて行ったが最後、私は確実に殺される。実際に殺害するのは後始末が面倒だから、クスリ漬けにして記憶をあいまいにするってとこか。君たちの考えそうなことだ」
「大丈夫、不安がらないで。私たちのテクノジーニアスは、適切な量を摂取すれば脳が活性化して、あなたの能力が飛躍的にアップするわ。成績も上がるし、運動機能も向上する」
「あいにく、私は自分の能力に満足しているよ。そもそも人間はクスリなんかに頼らなくったって十分すばらしい生命だ。君たちも、クスリなんか止めてちゃんとした生活に戻ったほうがいい」
「どうする?」
「仕方ない。力ずくでやりましょう」
「説得は失敗、か。あーあ残念。二対一なら結果は見えてるけど、最後まであがかせてもらうよ」
男と女が、彼女に向かってにじり寄っていく。彼女は対面したまま後ずさる。
俺はなんだか頭が熱い。
頭に血が上るとはいうが、本当にここまで熱くなるものなのか。
感覚が研ぎ澄まされているようだ。男のほうが、飛び掛るタイミングを計っているのが手をとるようにわかる。靴が地面をする音が聞こえる。呼吸の、空気が肺に入る音まで鮮明に聞こえてくるみたいだった。
男が飛び掛ると見えた瞬間、俺はそいつの頭をわしづかみにしていた。
宙に振り上げる。
一気に地面に叩きつける。
男の顔が驚愕の表情を作り上げるよりも早く、仰向けになった男の腹を踏みつける。踏みつける。踏みつける。何度も何度も。
脳が燃えているんじゃないかというほどに、俺の頭はただ熱い。
「てめえらっ、一体なにしてやがる。こいつにっ、山輪朱姫に手を出そうなんざ、たとえ神サン仏サンが許してもこの俺が許しやしねぇぞ。おい、おいよぉ。聞こえるか? 聞こえてるか?! なあおい。何とかいえよカスが。おいカス。カス。カスがっ。気絶したか? 気絶すりゃ許されると思ってんじゃねーぞボケが」
彼女を見る。
よかった、走ったせいで服が乱れている以外は無事だ――と思ったのがまだしも冷静な俺。
体を動かしている俺は、男を蹴り続けている。
「そっちの女もだ。おい。女だからって許されると思ってんじゃねーぞ。貴様らはやってはならない最悪のことをした! 今俺がお前らの脳髄ぶち潰しても文句はいわれねーよな。おい、こっちこいよクズ。逃げようとしてんじゃねーぞこのアマが」
俺は女の髪をわしづかみ、無造作に引き寄せる。目を合わせる。女の目は混乱と恐怖と涙で凄惨なものとなっていた。
「いいか? 今度こいつに何かしようとしてみろ。俺が地の果てまでも追いかけてお前らをぶち殺す。――――――てその穴から指突っ込んで――――――てやる。いいか、絶対にだ! 今後一切朱姫の周囲に近寄るな。わかったら復唱してみろ」
「こ、今後一切彼女には近寄りません」
「破ったらどうなる?」
「ごめんなさいごめんなさいもうしませんごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
「いいから言ってみろ。『約束を破ったら目ン玉くりぬ』」
「蒼輔、もうやめなよ」
「止めるなよ朱姫。こいつらは――」
「やりすぎ。それ以上するとその子二度と立ち直れなくなっちゃうよ。こっちもそう。三日間はご飯食べられないんじゃないのかな」
「冷静だな朱姫。俺がいなかったらどうなっていたと思うんだ?」
「想像したくないなあ。ほら、立って。大丈夫? 今日はもう遅いから帰ってもらうけど、朝になったら話を聞かせてもらうよ。もっとも、肝心なことは何も知らないみたいだけど。警察には言わない。君たちを守るってんじゃなく、黒幕に逃げられる恐れがあるから。だけど君たちは、もう島を離れたほうがいいと思う。いや、そうしてもらう」
「行かせていいのか?」
「誰かさんのおかげで、もう襲ってはこないだろうからね。逃げるつもりもないと思う」――
「で、何のトラブルだったんだ?」
「残念だけど、いえない」
「おいおい」
「その代わり、私も蒼輔がどうしてこんな時間に出歩いていたのか聞かない。言えない理由だよね」
……ちぃ。
「ありがとう。助かったよ。正直、蒼輔がいなかったら危なかったかもしれない。どうして助けてくれたの?」
「なんだよ。助けてほしくなかったような口ぶりだな」
「私に姿を見られるのは蒼輔にとって不利なことだったはず。それなのに、どうして」
「知らん。体が勝手に動いた」
「キレてたもんね。感情に左右されすぎだよ、君は」
――と、朱姫は一歩踏み出して、
蒼輔の体に抱きつく。
「朱姫?」
「ごめん。十秒だけ」
朱姫は小さく体を震わせて、かすかな嗚咽を漏らした。
蒼輔は朱姫の恐怖に気づくことができない。――なすこともなく中空を見上げている。月だ。なんて綺麗に光っているのだろう、と馬鹿みたいに。
「ん、ありがと」
「もういいのか?」
「きっかり十秒。私も未熟者だよね」
やれやれ、さっぱりわからん。
「お互い見なかったことにして別れようか。本当に助かったよ。偶然にしてはできすぎているけど、人生は往々にしてそんなものだ」
「朱姫、あんまり無茶するなよ」
「蒼輔に言われたくないよ」
「俺はいいんだよ」
「蒼輔が止めるなら、私もやめる。それから、全てを捨てて島から離れてふたりで生きていこうか。私にはそれができるよ。君にはできる?」
「なに言ってんだ」
「できないよね。だから……いいんだよ。それですばらしい。君は君の事件を追って、私は私のすべきことをする。お互いお互いのしていることに干渉しないし、お互いがお互いを信頼している。頑張ろう。きっと結果は上手くいくよ」
「相変わらず、朱姫の言っていることはよくわからないな」
「私も蒼輔と同じように何かを追っているということだよ。多分別々の何かを」
「聞きたいもんだな。朱姫がなにをしているのか」
「別にいいよ。その代わり、蒼輔の素性と目的を洗いざらい白状してもらうけどね。あるんでしょう、秘密が」
……朱姫は俺の素性に気づいているのか? だとすればやはり密告者がいる……?
「なにを考えているのか知らないけど、これは完全に私の勘だよ。蒼輔がただの転入生でない証拠はどこにもない。もっとも、ただの転入生といわれても信じないけどね。どうする? 君の秘密についてしゃべってくれる?」
「……勘弁してくれよ。そんなものは存在しない」
「うん、すばらしいね。じゃあね、蒼輔」
「ああ。……あ、待て朱姫。危険を感じたらいつでも呼べよ。俺はどんなときでも朱姫の味方だ」
「…………ありがとう、蒼輔」――――
六寮だ。もう学生たちは寝静まっているころだろう。草木も眠る、とはいうが、実際に侵入するにはもってこいの時間帯だ。
さて――
泥棒みたいな真似するのは気が滅入るが、さっさと入るとするか。
……エントランスの前に誰かいるな。
「蒼輔? 蒼輔だよねっ」
「……穂乃歌、か?」
おいおい、どうしてこんなところに穂乃歌がいるんだ? 呼んだ覚えはないし、友達のところへ遊びに来たにしては時刻が遅すぎる。
「穂乃歌。お前どうしてこんなところにいるんだ?」
「それはこっちの台詞っ。だよね」




