第46話:ポテトフライの魅力
そして今日も今日とて、大盛況の香りと熱気に包まれた一日は無事に終わりを迎えた。
暖簾を仕舞い、洗いものを片付け、静まり返った屋台。
連日の盛況による疲れはもちろんあったが、それ以上に俺たちを支配していたのは、またしても激しい空腹だった。
「ふぅ……師匠、今日も無事に終わりましたね。なんだか最近、お客さんの食べるスピードがどんどん上がってる気がします」
「良いことじゃないか。それだけ腹を空かせて、俺たちの料理を楽しみにして来てくれてるって証拠だ」
カイは満足そうに頷いたが、すぐに自分の腹あたりを押さえ、情けない声を漏らした。
「でももう限界です。今日も腹ペコで……もう何でもいいからすぐ食べられるものが欲しいです……」
「クックック……素直でよろしい。実はな、カイ。今日はお前に、手軽だが一度食べ始めたら最後、絶対に手が止まらなくなる『悪魔のおつまみ』を教えようと思ってな」
「悪魔のおつまみ……!?」
カイの瞳がパッと輝いた。俺が仕込み用の木箱から取り出したのは、今朝がたバザルタの市場で仕入れておいた、大ぶりのゴツゴツとした塊――『ポテト』だ。
皮を綺麗に洗い、芽を丁寧にくり抜くと、俺は皮つきのまま少し厚めのナチュラルカットにしていく。
「あの……師匠?」
まな板の上の光景を見たカイが、どこか拍子抜けしたような、不思議そうな顔で首を傾げた。
「ポテト……ですか? でも師匠、それってただの『ポテト(芋)』ですよね? 食堂とかで安く煮込んで、モソモソした泥くささを我慢しながら食べる、あの安くてお腹に溜まるだけの……」
「ふふん、ただの芋だと侮るなよ? 確かにバザルタじゃ安価な主食扱いだが、油と火の力を正しく使えば、脳が溶けるほどのごちそうに化けるんだ。今夜つくるのは『フライドポテト』。その真骨頂はな……『二度揚げ』と『味付けの罠』にあるんだよ」
「に、二度揚げ……? ポテトを油で揚げるんですか!?」
現地民であるカイにとって、芋といえば「水煮」か「灰の中での丸焼き」が相場だ。油で揚げる、それも二回も揚げるという発想すらなかったらしく、カイは目を丸くしている。
「そうだ。いいかカイ、まずは切ったポテトを水に晒して表面の余分なデンプンをサッと洗い流す。これをやることで、揚げたときに表面がベタつかず、カリッと仕上がるんだ。そして水気をしっかりと拭き取る」
俺はボウルからポテトを引き上げ、清潔な布巾で一枚ずつ丁寧に水分を拭っていった。
「準備ができたら、いよいよ揚げる工程だ。火をつける前の鍋にたっぷりの油を満たし、そこにポテトを投入する」
「えっ!? 油が冷たいまま入れるんですか? 普通、揚げ物って熱い油に入れるんじゃ……」
「クックック、そこが第一の極意だ。いいか、覚えろ」
俺はニヤリと笑い、コンロに火をつけながら語りかけた。
「まず最初は、冷たい油からじっくりいく『一度揚げ』だ! 140から150度くらいの低温で、焦らずじっくり時間をかけて火を通す。こうすることで芋の水分を適度に飛ばしつつ、中に甘みとホクホク感を閉じ込めるんだ。竹串がスッと通るくらいになったら、一度網の上に引き上げて、余熱でじんわりと休ませる」
「低温でじっくり……余熱で休ませる……」
「そうだ。そしてポテトの表面が落ち着いたら、今度は油の温度を180度まで一気に上げる! ここからが第二の極意、『高温で一気に二度揚げ』だ!」
俺は熱せられた油の海へ、一度休ませたポテトを一気に滑り込ませた。
ザシュワァァァァァァッ……!
「うわぁっ! 音が変わった!」
カイが驚きの声を上げる。
一度目の重く静かな油の音とは違い、今度は高やかで軽やかな揚音が厨房いっぱいに響き渡った。
「二度揚げの目的は、高温で表面の残留水分を一気に飛ばし、カリッとした黄金色の薄い膜を作ることだ! 外はカリッ、中はフワッ……この圧倒的な食感のコントラストを生み出すために、二度揚げという手間が存在するんだよ!」
「外はカリッ、中はフワッ……! 聞いてるだけでお腹が鳴ります!」
「そして最後……ポテトフライを至高の存在へと昇華させる第三の極意! それが『至高のフレーバー、味付けの罠』だ!」
俺は【至高の調味料箱】を発動させた。脳内でイメージすると、手のひらに小さなスパイスボトルが現れる。中身は、秘伝の特製調味料だ。
「ポテトが狐色に揚がったら、油を切ってすぐに大きなボウルへ移す! 熱々のうちに、『特製ガーリックバター塩』と、鮮やかな微細乾燥パセリを一気に振りかける! そしてボウルを豪快に煽って、熱で溶けたバターとニンニクの旨味塩をポテト全体に踊るように纏わせるんだ!」
カチャン! カチャン! パパパンッ!
ボウルの中で踊る黄金色のポテト。
その瞬間、熱気とともに爆発的な香味が広がった。ガツンと鼻腔を突き抜ける香ばしいニンニクの風味と、まろやかでコクのある焦がしバターの甘い香り。そこにパセリの爽やかな彩りが加わり、狭い屋台の空気を一瞬で支配する。
「な、なんですかこの香りはぁぁぁッ!? ガーリックとバター……!? これ、本当に僕の知ってるあのポテトなんですか!?」
「完成だ! 『悪魔のガーリックバターフライドポテト』! 冷めないうちに、手で豪快にいけ!」
「は、はいっ! いただきます!!!」
カイは我慢の限界と言わんばかりに手を伸ばし、熱々のポテトを一本掴んで、口へと勢いよく放り込んだ。
サクッ……ホクホクッ!
「むぐっ……!? む、ぐ……っ!!」
官能的な咀嚼音が響いた瞬間、カイの動きがピタリと止まった。
両手を頬に当て、目をこれでもかと見開いて悶絶している。
「し、師匠ぉぉぉ……! なんて音ですかこれ! 表面が信じられないくらいサックサックなのに、中は舌の上でトロけるくらい甘くてホックホクです! 僕が今まで食べてた、あの泥くさくてモソモソしたポテトは一体何だったんですか!?」
「だろ? 低温で芋本来の甘みを最大限に引き出し、高温で水分を飛ばしてカリッとさせる。この『二度揚げ』こそがポテトの潜在能力を100%引き出す魔法なんだよ」
「それにこの味付け! ガーリックのパンチとバターの濃厚なコク、そこに絶妙な塩気が合わさって……熱々のポテトに絡みついて離れません! う、旨すぎる……指についた塩と油まで舐めたくなります!」
「ハハハ! 遠慮せずに指まで舐めろ! ポテト自体の甘みと、外側のカリッとした香ばしさ。そこにガツンと効いた塩気が合わさるとな、人間の脳は『食べるのをやめるな』と恐ろしい指令を出すんだよ。これぞまさに味付けの罠だ」
俺も冷えたエールを木樽からジョッキに注ぎ、ポテトを一本つまんで口に放り込む。
サクッ、ジュワッ。
心地よい音とともに、芋の素朴で力強い甘みと、ガーリックバターの圧倒的な旨味が口内で爆発する。すかさず冷えたエールをゴクゴクと喉に流し込む。
「くぅぅぅっ……!! たまらん! この塩気とコク、そしてカリホクの食感……冷えたエールとの相性が悪魔的すぎる!」
「師匠! これ、一本食べたら勝手に手が次のポテトに伸びちゃいます! 全然止まりません! どうなってるんですか僕の手は!?」
カイはまるで何かに憑りつかれたかのように、一本、また一本と黄金のポテトを口へ運び続けている。サクサク、ホクホクという心地よい音と、カイの歓声が厨房に響き渡る。
「そうだろ? これぞまさに『揚げポテトの無限ループ』だ。シンプルだからこそ、油の温度管理とフレーバーの組み合わせでどこまでも化ける。この街の安食材だって、料理人の工夫次第で至高のごちそうになるんだよ」
「キャベツとかお肉もすごかったですけど、あの地味なポテトがこんな『油と旨味の芸術品』になるなんて……僕、感動しすぎて泣きそうです……!」
二人で競うようにポテトをつまみ、エールを煽り、気づけば山盛りだった大きなボウルはあっという間に空っぽになっていた。底に残ったガーリックバターの粉末すら、カイは名残惜しそうに指ですくって舐めている。
「ふはぁぁぁ……食べた……食べたぁ……」
カイは満足感に満ち溢れた顔で暖簾の隙間から見える夜空を見上げた。お腹はぽっこりと膨らみ、幸せそうな笑みが口元からこぼれている。
「どうだカイ、ただのポテトの評価は変わったか?」
「変わるどころじゃないです! 今日から僕の好きな食べ物第1位はポテトフライです! 師匠、これお店のメニューに出したら、バザルタ中の冒険者と大酒飲みが押し寄せて大変なことになりますよ!」
「はは、確かにエールが飛ぶように売れるだろうな。よし、好評なら今度の新メニューに加えてみるか」
「はい! 絶対に大ヒットします!」
カイは元気に返事をし、嬉しそうに自分の腹を撫でた。
夜風が厨房の小窓を優しく吹き抜け、ガーリックと焦がしバターの香ばしい残香を少しずつバザルタの夜空へと運んでいく。
満腹の幸福感と心地よい酔いに包まれながら、俺たちは明日の営業に向けて、静かに深く、満ち足りた溜息をつくのだった




