第11話:賢い商人と、金貨の山より欲しいもの
ハインリヒが恭しく差し出してきたベルベットの袋。
卓上に置かれた瞬間、ズシリ……と、尋常ではない金属の重苦しい音がサンルームに響いた。
「中身は『金貨50枚』だ。エリアが失くした白金貨の額面、そして我が商会の信用を守ってくれた功績を考えれば、これでも少ないくらいだがね」
(き、きんか50まい……!?)
俺の脳内で、瞬時に前世のビジネスマネー換算シートが火花を散らす。
金貨1枚が日本円にして「約10万円相当」。ということは、この袋に入っているのは――。
「……500万円、ですか」
思わず口から漏れ出た言葉に、ヴァルハイト公爵と家令のハインリヒが「ほう」と目を細めた。
この世界の平民であれば、袋の中身を見ずとも、金額を聞いただけで腰を抜かして拝み倒すのが普通だ。それなのに、この目の前の青年は、驚きはしたものの極めて冷静にその「価値」を正確に弾き出している。
「どうしたかね? 遠慮する必要はない。君が正当に受け取るべき報酬だ」
「お心遣い、深く感謝いたします、公爵閣下。……ですが、不躾ながら、一つご相談がございます」
「相談?」
公爵が怪訝そうに片眉を上げた。
俺はまっすぐに公爵の目を見据え、体に染みついた「営業プレゼン」の姿勢を取った。ここでタダの大金をもらうのも悪くはないが、俺はこれからもこのバザルタで、長く、安全に焼き鳥屋を続けていきたいのだ。ならば、今ここで結ぶべきは「一時金」ではなく、「強固なコネクション」である。
「この街の経済の頂点に立つヴァルハイト商会から、一介の露店商である私がこれほどの大金を一度に受け取れば、どこから情報が漏れるか分かりません。悪目立ちし、盗賊や悪質な商人に目をつけられれば、私の命も、そして大好きな屋台も守れなくなってしまいます」
「ふむ。一理あるな。身の丈に合わぬ富は身を滅ぼす、か。……では、報酬を減額しろとでも?」
「いえ。そこで、この謝礼金から……そうですね、今後の設備投資や仕入れの運転資金として『金貨2枚』だけを私にいただき、残りの『金貨48枚』に関しては、お支払いの代わりに『ヴァルハイト商会、ならびに商業ギルドからの公式な後ろ盾(保証)』として、私に投資していただけないでしょうか」
その提案を聞いた瞬間、公爵だけでなく、常に冷静だった家令のハインリヒまでもが「なっ……」と息を呑んだ。
「……後ろ盾、だと? 金貨2枚以外は受け取らないと言うのか?」
「はい。私はこのバザルタの東通り裏手で、今後も細々と屋台を続けていくつもりです。しかし、どうしても個人の露店は立場が弱く、地元のゴロツキや悪質な同業者からの嫌がらせ、理不尽な立ち退き要求といったリスクが付きまといます。そこで――『あの屋台は、ヴァルハイト商会が公認(融資)している店だ』という事実を、ギルドの登録書等に一筆、残していただきたいのです」
金は使えばいつか無くなる。だが、「ヴァルハイト商会お墨付き」という看板は、何百枚の金貨をも凌駕する、最強の「絶対防御壁」になる。
さらに、20万円相当の金貨2枚だけなら、路地裏の安宿に持ち帰ってもギリギリ言い訳が立つし、すぐに新メニューの仕入れや調理器具の買い替えに回せる。
公爵はしばらくの間、俺を値踏みするように無言で見つめていた。
サンルームを支配する、張り詰めた沈黙。
やがて――。
「……はっはっは! いや、驚いた。まさかこれほど聡明な商人が、路地裏で焼き鳥などという得体の知れないものを焼いていたとはな!」
公爵は腹を抱えて愉快そうに笑い出した。
「ハインリヒ、聞いたか? この青年は、目先の金貨48枚よりも、我が商会の『名』の方が遥かに価値があると、この場で瞬時に見抜いたのだ。まさに本物の商人だな!」
「おっしゃる通りにございます、閣下。……シュウヤ様、大変恐れ入りました。その若さで、これほどの先見の明をお持ちとは」
ハインリヒが、心からの敬意を込めて俺に深く一礼した。
「気に入ったぞ、シュウヤ。その条件、全面的に受け入れよう。本日ただいまをもって、君の屋台は『我が公爵家直属の保護対象』として商業ギルドに正式登録する。これで、この街の憲兵もギルドの役人も、誰も君に指一本触れられん。……エリア、君もこれで安心だろう?」
「はい……っ! シュウヤ様、本当に、本当にすごいです!」
エリアが、憧れに満ちたキラキラとした瞳で俺を見つめてくる。
「ありがとうございます、公爵閣下。これで安心して、明日からも美味しい焼き鳥を焼くことができます」
俺は深々と一礼し、心の中で投資用の金貨2枚をしっかりと握りしめた。
これで異世界での生活基盤とセーフティネットは、文字通り「盤石」になった。




