3 仕事内容
ジークヴァルドは、ほんのわずかに、悲しげに微笑んだ。
「報酬か……。分かった、約束しよう。食事は豪華にしよう。毎食、君の望むだけ」
それを聞いて、女は満足そうに鼻で笑った。値踏みするような、どこか小慣れた笑みだった。
「いいね。話が分かる客は好きだよ」
そして、何でもないことのように、口の中のものを飲み込んで続けた。
「私はリル。……残り物って意味よ。よろしく」
あまりにも軽い聲音だった。
――かつて、同じ口元で「リル……」とおどおどと答えた面影が、ジークヴァルドの脳裏を容赦なくかすめ、切り裂いていく。
「……そうか」
短く息を吐き、ジークヴァルドは張り付きそうな微笑をどうにか整えた。
「私はジークヴァルド。この帝国の皇帝だよ」
その視線の先にいるのは、もう“彼女”ではなかった。
「君は……名前を変えることに、抵抗はあるかな?」
目の前の食事をためらいなく口に運ぶリルに、ジークヴァルドは静かに問いかけた。
「ないわ。なに? 変えたほうがいいの? 客の都合なら合わせるけど」
「帝国が……いや、私が変えたいと思うんだ」
わずかに言葉を詰まらせた皇帝を、リルは不思議そうに見つめた。
その瞬間、リルの胸の奥が冷たくざわついた。だが、それも一過性のノイズのように、すぐに消える。
「好きにして。もともと“残り物”なんて、ろくでもない名前だしね」
「――リリア」
呟くように告げられたその名に、リル――リリアはぱっと表情を明るくした。
「へぇ、悪くないじゃん。お嬢様みたいで可愛い」
軽く笑い、コップの水を一気に飲み干す。
「帝国神話に登場する、女神の名だ」
その悲痛なほど真摯な説明に、リリアはわずかに目を瞬かせた。
「ふうん」
それだけだった。
興味を失ったように、再び皿へ視線を落とす。
ジークヴァルドの卓上の指先が、かすかに震えた。
「戦場で、生き残りに加護を与える戦女神――リリア神」
それでも、彼は血を吐くような心地で言葉を続ける。
「君は残り物なんかじゃない。その過酷な環境を生き延びた、生き残りだ。そして――」
そこで、一瞬だけ喉が詰まる。
「……我々に、加護を与える存在だ」
リリアは、パンをちぎる手をピタリと止めた。
「で?」
顔も上げずに、淡々と返す。
「それで、私は何すればいいの?」
リリアの、核心を突く問いに答えたのは、眼鏡の奥の瞳を険しく細めたイーサンだった。
「リリア。あなたは聖女として召喚されました。この帝国に発生している瘴気を――」
イーサンの言葉が、不意に途切れる。
脳裏をよぎるのは、かつての光景。
黒く変色した指先。
苦痛を隠し、自分たちを気遣って微笑んでいた、あの健気な姿。
「……瘴気を、浄化していただきます」
喉をせり上がる吐き気を押し殺し、絞り出すように言い切る。
沈黙が、墓標のように部屋に落ちた。
それが何を意味するのか、ここにいる誰もが理解している。
――再び、送るのだ。あの地獄へ。
誰も、顔を上げられなかった。
カイルは拳を血がにじむほど握り締め、ゲルハルトは苦々しく顔を背けた。
その重苦しい空気を裂いたのは、あまりにも軽い仕草だった。
リリアは、指先についたパンくずをぺろりと舐める。
「わかった。やり方教えてね」
あっさりとした声。
まるで、明日の天気の確認でもするかのように。
そして、当然の権利を主張するように付け足した。
「あと、報酬のことも忘れずにね。働いた分は、ちゃんと食べさせてよ」
浄化方法を教えろと言われても、この場にいる誰にも、それを教える術はなかった。
方法そのものは、召喚された聖女にしかわからない。
それに、かつて彼女がその身を犠牲にして行っていた、あの黒く蝕まれる方法を今更「やり方」として教えていいものか。
言葉を探して押し黙るジークヴァルドを見かねて、イーサンが静かに助け舟を出した。
「一先ず、食事を終えられたなら湯浴みにしましょうか。その後、本日よりお使いいただく部屋へ案内します」
その提案に、リリアは驚くほど無邪気に明るい声をあげた。
「お風呂? 入ったことない! いつも水浴びか、濡れた布で体を拭くだけだったから」
湯浴みの準備を命じるだけのことが、これほど喉に閐える。
これから用意される温かい湯も、贅を尽くして整えられた寝室も、与えられる衣食住のすべて。
それらは彼らにとって、当然の待遇であり――贖罪のつもりだった。
けれど、彼女にとっては違う。
すべてが、これから始まる労働(浄化)に対する、ただの“対価”でしかないのだ。
「いいとこじゃん、ここ。仕事の前に、こんなにいい思いさせてくれるなんて」
疑うことも、へりくだることもなく、リリアは差し出された贅沢を当然の「前払い報酬」として素直に受け取ろうとしている。
自分たちの注ごうとするすべての「償い」が、彼女の冷徹な職業意識によって、ただの取引材料へとすり替えられていく。
――それが何よりも、彼らには耐えがたかった。
「……すぐに、お湯を用意させよう」
カイルが、掠れた声でようやくそれだけを言った。
リリアは嬉しそうに微笑んで、冷めかけたスープを再び口に運んだ。
その喉を鳴らす音が、どんな罵倒よりも重く、耳の奥にこびりついて離れなかった。




