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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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24/24

第24話 過労死ライン

 魔界の東部に位置する『錬金素材街』は、上空を常に薄暗い重金属の雲が覆い、得体の知れない薬品や魔獣の体液が煮詰まるような刺激臭が立ち込める特区だ。道幅の狭い路地の両側には、怪しげなガラス瓶を並べた露店や、黒魔術の触媒を量り売りする薄汚れたテントがひしめき合っている。


 普段は研究開発部の無菌ラボに引きこもって滅多に外に出ないセリアが、今日は珍しく現場での素材吟味を希望し、グンツはその護衛兼荷物持ちとして同行していた。

 セリアはいつもの耐薬品性の白衣ではなく、クラシカルで豪奢な黒のドレスに身を包み、黒いレースの縁取りがされた日傘をさしている。雪のように白い肌は極端に日光や外気を嫌うため、慎重に日陰を選びながら歩くその姿は、周囲の猥雑な景色から完全に浮き上がった、本物の深窓の令嬢のようだった。


「グンツ様、この『共鳴石』をご覧ください。わずかな魔力変動に反応して、自身の温度を急激に変化させる特性を持っていますの。これと私のゼリーを組み合わせれば……」


 薄暗い露店の前で、セリアが淡く紫に光る石を手に取り、嬉しそうに振り返った。


「……あぁ。温度変化のタイムラグを利用して、起爆の遅延装置に使えるな。水没トラップの凍結タイミングをずらすのにも役立つ。買っておけ」


 グンツの返答は的確だったが、その声は普段のよく通る低い声よりもさらに沈み込み、ひどくかすれていた。額には脂汗が浮かび、呼吸のたびに肩が小さく上下している。

 セリアは小首を傾げ、日傘の陰から心配そうに彼を見上げる。


「グンツ様? お顔の色が少し優れませんわ。それに、息も少し荒いような……」

「ただの寝不足だ。気にするな。昨日、第22層の岩盤を落とすのに少し魔力を使いすぎただけだ」


 グンツは首を鳴らし、セリアが選んだ重い鉱石の袋を軽々と持ち上げた。

 ここ数週間、彼はまともな睡眠をとらずに現場へ張り付き、深夜まで図面を引き、日中は資材を組み上げるために《即時建築》の魔法を乱発し続けていた。身体の芯に冷たい鉛が詰まったような重さと、視界の端が時折わずかに歪む感覚があったが、気合で押し殺していた。


「さぁ、目当ての素材が揃ったなら帰るぞ。午後からは第23層の基礎設計を終わらせないといけない」


 グンツの言葉に、セリアは少しだけ寂しそうな顔をしたものの、素直に頷いて彼に続いた。


★★★★★★★★★★★


 特級迷宮『絶望の箱庭』の第10層、統括管理室。

 街から戻り、セリアをラボへ送り届けたグンツは、すぐにパイプ机に広げられた第23層の巨大な図面に向かっていた。


「グンツさん、先ほどの素材購入の領収書です。それと、明日の重機の搬入スケジュールですが……」


 経理担当のリーゼロッテがバインダーを開きながら机に近づいてきた。

 グンツはペンを握ったまま、彼女の言葉に頷こうとした。

 しかし、不意に視界が真っ白に明滅した。

 耳の奥でキーンという鋭い耳鳴りが響き、図面の上の線がぐにゃりと歪む。立っている感覚がなくなり、重力が急に何倍にも強くなったように感じた。


「……あ、れ……」


 ペンが手から滑り落ち、カランと音を立てて床へ転がる。

 膝から力が抜け、視界が完全にブラックアウトした。

 次の瞬間、グンツの限界を迎えた巨体は大木が倒れるように前へ傾き、パイプ机の上に激しく突っ伏した。分厚い図面ケースが床に激突し、鈍い音を立てる。


「グンツさん!?」


 リーゼロッテの悲鳴に近い声が室内に響く。

 足元で休んでいた白犬のブランと黒犬のノワールが飛び起き、「わんっ!」「わふっ!」とけたたましく吠え立てた。

 グンツの意識は、そこで完全に暗転した。


★★★★★★★★★★★


 グンツが再び重い瞼を開けると、視界には見慣れたプレハブ小屋の天井が映った。

 自分の部屋のベッドに寝かされているらしい。全身が恐ろしく熱く、指先一つ動かすのにも凄まじい労力を要するような倦怠感があった。


「……目が、覚めましたか」


 傍らから、低く厳しい声が聞こえた。

 視線を動かすと、腕を組んでベッドを見下ろすゼノビアの姿があった。彼女の金色の爬虫類眼は、普段の冷静さを保ちつつも、明確な怒りと呆れを孕んでいた。


「……ここは……図面は、どうなった……」

「図面など引いている場合ですか。極度の魔力枯渇と、蓄積された肉体疲労による熱発です。脈拍も異常に早く、いつ心不全を起こしてもおかしくない状態でしたよ」


 ゼノビアは教本のような分厚い魔導書を開き、冷徹に宣告した。


「人事部の権限において、特級迷宮総監督グンツ・アーキテクトに対し、向こう72時間の絶対安静および業務停止命令を下します。これに違反した場合、魔王軍本部の医療病棟へ強制的に移送し、ベッドに拘束します」


「……馬鹿な。第23層の掘削指示を、俺が現場で出さないと……」


 グンツが強引に身を起こそうとすると、ゼノビアの手が彼の肩を静かに、だが岩のように重い力で押さえ込んだ。竜人族の腕力には、病人の力など到底及ばない。


「現場は回っています。リーゼロッテが最低限の指示を代行し、オークたちもあなたの指示書通りに動いています。……いい加減にしてください。部下の労働環境を守るあなたが、自ら過労死ラインを突破してどうするのですか」


 ゼノビアの珍しく感情の乗った、しかしどこか心配するような叱責に、グンツは反論する言葉を失い、熱い息を吐いてベッドに沈み込んだ。


 その時、プレハブ小屋の扉がバンッと勢いよく開け放たれた。


「グンツ! 大丈夫なの!?」


 飛び込んできたのは、営業のヴィオラだった。彼女の腕には、魔界の高級フルーツが山のように盛られた派手なバスケットが抱えられている。


「私が稼いだ広告収入で、特上の魔力回復薬とフルーツを買ってきたわよ! さぁ、私が直々に口まで運んであげるから……」

「ヴィオラさん、病人にフルーツなど胃の負担になるだけです」


 ヴィオラの後ろから、リーゼロッテが冷たい声で割り込んだ。彼女の手には、湯気を立てる小さな鍋が握られている。


「経理の私にお任せください。消化に良く、魔力回復効率が最も高い魔獣の骨髄スープを完璧な温度で用意しました。グンツさん、少し体を起こせますか?」

「あら、スープなんて地味ね。私ならもっと精のつくものを……」


「退きな、お前ら! 病人には肉だ、肉!」


 さらに扉を蹴り開けて入ってきたのは、物流のレイラだった。彼女の手には、巨大な串に刺さった豪快な赤身肉の塊が握られている。


「アタシが高速で狩ってきた特大のフレイムボアの肉だ! これを食えば一発で熱なんて吹き飛ぶぜ!」

「レイラさん! 確実に消化不良を起こします。今すぐそれを外へ捨ててきてください!」

「大げさなんだよ、リーゼロッテ。アタシはこれで風邪を治してきたんだから間違いないね!」


 狭いプレハブ小屋の中に、女性陣の声がやかましく反響する。レイラが差し出した巨大な肉に、リーゼロッテが思わず後ずさりした。グンツはズキズキと痛む頭を押さえた。


「……グンツ様、申し訳ありません……」


 騒ぎの奥から、セリアが涙目で現れた。彼女の手には、紫色の怪しげな液体が入ったフラスコが握られている。


「私が無理に外出にお誘いしたせいで……。私が調合した、魔力がみなぎる特製ポーションですわ。少し副作用で髪が青くなるかもしれませんが、すぐに回復しますの!」

「飲ませてはいけません、セリアさん! それは劇薬です!」


 リーゼロッテがバインダーでセリアのフラスコをガードする。


「……手っ取り早く、私の血を飲めば、どんな傷も病も一瞬で治ります。今、手首を切りますね」


 いつの間にかベッドの足元に立っていたクロエが、真顔で自分の手首に刃物を当てようとした。


「やめろクロエ! ベッドが血塗れになるでしょうが!」


 ヴィオラが慌ててクロエの腕を押さえ込む。

 さらにそこへ、調達部のステラが、厨房の冷蔵用魔導具から見つけ出した特製の保冷剤――セリアの開発した失敗作を利用してグンツが作っていた、凍らせたスライム液の革袋――を片手に提げ、悠然と部屋へ入ってきた。


「あらあら、ずいぶんと騒がしいわね。そこにあった保冷剤、使わせてもらうわよ。さぁ、私が優しく看病してあげるから、他のみんなは仕事に戻ったらどうかしら?」


「ステラさんこそ、抜け駆けは許しませんよ!」


 誰がグンツを看病するか。誰が一番彼に尽くすか。

 狭いベッドの周囲で、女性陣の牽制し合いという名のキャットファイトが勃発し、部屋の中は完全なカオスと化していた。


「……頼むから、静かにしてくれ……。お前らの声で、頭が割れそうだ……」


 グンツが熱にうなされながら呻いた。


「静粛に!!」


 ゼノビアの雷のような一喝が、部屋の空気を一瞬で凍りつかせた。

 彼女の金色の瞳が、騒がしい面々を一人残らず射抜く。


「病人の前で騒ぐのは、明確なコンプライアンス違反です。患者の回復を妨げる行為は、人事監査官として見過ごせません。……全員、差し入れを机に置いて、10秒以内に退室しなさい!」


 ゼノビアから漏れ出す圧倒的な竜の威圧感の前に、誰も反論することはできなかった。

 ヴィオラはフルーツを、リーゼロッテはスープを、レイラは肉を、セリアはポーションを机にそっと置き、全員がすごすごと部屋を退出していく。


 扉が閉まり、ようやく嵐が去った後の静寂が訪れた。


 ゼノビアは冷たい水で絞ったタオルを、グンツの熱い額にそっと乗せた。


「……少し、目を閉じなさい。現場のことも、勇者のことも、今は忘れなさい。何かあれば、私たちが対処します」

「……あぁ。すまん、ゼノビア」


 ベッドの足元でモソモソと動く気配がした。

 見ると、ブランとノワールがベッドに潜り込み、グンツの冷えた足先を丸くなって温めるように寄り添っていた。


「……悪いが、少し休ませてもらう……」


 額の冷たいタオルと、足元の温かな毛玉の感触。ドアの向こうから聞こえる、彼女たちがまだ誰が看病するかで言い争っている微かな声すらも、今は不思議と心地よかった。

 グンツは重い瞼を閉じ、深く、泥のような眠りへと落ちていった。

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