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迷宮建築士の防衛戦記 ~勇者を殺すダンジョンを造れと言われましても~  作者: 伊達ジン


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第18話 兵站線を死守せよ

 特級迷宮『絶望の箱庭』の深層、第10層の統括管理室。

 迷宮の大規模な再建プロジェクトは、ガルシア商会から無償提供された潤沢な資材と重機によって昼夜を問わず順調に進んでいた。だが、それに伴って下層エリアから絶え間なく這い上がってくる魔導重機の排熱と、魔界特有の猛暑は、管理室の気温を過酷な領域へと押し上げていた。


「……昨日から保冷剤だけじゃ全く追いついていないな。よし、お前ら、もっと本格的に涼ませてやる」


 図面から顔を上げた特級迷宮建築士のグンツは、力なくフローリングに伸びていた二つの毛玉――グレートピレニーズの子犬であるブランと、ドーベルマンの子犬であるノワール――を見かねて立ち上がった。

 彼は《即時建築》の魔法を起動し、現場で余っていた丈夫な防水用の特殊樹脂シートと廃材の木枠を瞬時に組み上げ、管理室の端に直径2メートルほどの『簡易プール』を造り上げた。さらに、以前構築した自動循環型・死体処理システムの配管技術を応用し、地下水脈の最も冷たく清らかな水をポンプで引き上げ、プールにたっぷりと満たしていく。


「ほら、入っていいぞ」


 グンツが声をかけると、冷たい水の気配を察知したブランとノワールは、短い尻尾をちぎれんばかりに振ってプールへと飛び込んだ。

 バシャァッ! と勢いよく水しぶきが上がる。

 雪国原産で分厚い毛皮を持つブランは、冷たい水に全身を沈め、恍惚とした顔で「ふぅ……」とため息のような鳴き声を漏らしてプカプカと浮かんでいる。一方、身軽なノワールは水面をピチャピチャと前足で叩き、ブランの顔に水をかけては逃げ回るという遊びを始めた。ブランも負けじと短い足でバシャバシャと水を跳ね返し、白と黒の小さな命が冷たい水の中で無邪気にじゃれ合っている。


「ブルブルブルッ!」


 ブランが水から上がり、勢いよく全身を振って水気を飛ばす。フワフワの毛が膨らみ、細かい水しぶきがミストのように飛散した。

 書類仕事に追われていた経理担当のリーゼロッテも、水しぶきが届かない安全な距離から、その愛らしい光景をうっとりとした瞳で見つめていた。


「……素晴らしい福利厚生ですね。地下水脈の冷気が部屋の温度も下げてくれていますし、何よりあの無邪気な姿を見ているだけで、数字の暴力で疲れた精神が浄化されていくようです」

「お前たちも足くらい浸けていいぞ。仕事の効率が上がるなら安いもんだ」


 グンツが冷たいハーブティーを飲みながら苦笑した、その時だった。


「和んでいるところ悪いが、緊急事態よ!」


 重厚な鉄扉が開き、営業・広報担当のヴィオラが血相を変えて飛び込んできた。手にした魔導板の画面には、人間界の裏ギルドの通信を傍受した赤い警告ログが明滅している。


「ヴィオラ、今度はどんな客を釣ってきたんだ」

「今回は違うわ! 人間界のギルドの連中、度重なる全滅でついに『この迷宮の正面突破は不可能だ』と悟ったみたいなの。それで、作戦を根本から変更してきたわ」

「作戦の変更だと?」

「ええ。迷宮の中を攻めるのではなく、迷宮を造っている『外からの補給線』を絶つ気よ! ガルシア商会から毎日納品されている魔導コンクリートと特殊樹脂の輸送部隊を、魔界の荒野で待ち伏せして全滅させる計画よ!」


 ヴィオラの報告に、グンツの顔色が変わった。

 だが、バインダーを抱えたリーゼロッテは、眼鏡のブリッジを押し上げて冷徹に告げた。


「待ち伏せされているのは、人間界との境界からこの迷宮の裏搬入口まで続く一本道ですね。……しかしグンツさん、そこまで焦る必要はありません。以前、法務のステラさんがガルシア商会と『納期が1日でも遅れたら、違約金として商会の権利をすべて没収する』という絶対契約を結んでいます。仮に勇者に襲われて資材が届かなかったとしても、法的にはガルシア商会の責任です。私たちは違約金として商会を丸ごと合法的に乗っ取ることができるので、経理としては非常に美味しい話なのですが……」


「馬鹿なこと言うな! 商会を乗っ取ったところで、今日届くはずの特殊樹脂の現物が手に入らなきゃ意味がないんだぞ!」


 グンツは血相を変えてリーゼロッテの言葉を遮った。


「今、第14層で魔導コンクリートの基礎を固めている最中だ。あそこに今すぐ特殊樹脂を流し込まないと、中途半端な状態でコンクリートが固まってしまい、迷宮自体の強度が極端に落ちて崩落の危険すらある! 書類上の違約金や契約なんざどうでもいい、今の現場の安全を守るには、何が何でもあの資材の『現物』を死守しなきゃならないんだ!」


「なるほど、物理的な強度の問題となれば話は別ですね。待ち伏せしているのは、ゲリラ戦と破壊工作に特化した『疾風の猟犬』と呼ばれる高位の別働隊。到達まであと10分です。……グンツさん、外部の荒野では、あなたの迷宮内の罠は一切使えませんよ」


「くそっ、間に合わない……!」


 グンツが焦燥感に駆られて拳を握りしめた、その直後だった。


「……テメェら、誰の仕事を邪魔するって?」


 部屋の隅で愛車の巨大な二輪の魔導車を手入れしていた物流部門のレイラが、低い声で唸った。

 漆黒のライダーススーツに身を包んだ彼女は、手にしていた工具を放り投げ、ゆっくりと立ち上がる。その涼しげなアーモンドアイには、これまで見せたことのないような、凍てつくほどの激しい怒りと殺意が宿っていた。


「アタシは魔王軍の兵站局、ロジスティクス部の輸送管理官だ。この迷宮の血管である『物流』を止めるってことは……アタシの誇りに泥を塗るってことだぞ」


 レイラは魔導車に跨り、エンジンを限界まで吹かした。

 青白い魔力の火花が車輪からほとばしり、地鳴りのような爆音が監視室を震わせる。


「レイラ! お前、単騎で突っ込む気か!? 相手は高位の冒険者パーティだぞ!」

「グンツ、心配すんな。……アタシが運ぶのは、お前の大事な資材だけじゃない。テメェらの現場の『命』を運んでるんだ。それを狙う薄汚いネズミ共は……ただの死じゃ済まさない」


 言葉が終わるよりも早く、レイラは魔導車を発進させた。

 目にも留まらぬ猛スピードで扉を抜け、迷宮の外部へと通じる専用の搬出用トンネルを駆け上がっていく。


★★★★★★★★★★★


 迷宮の外部、赤茶けた魔界の荒野。

 ガルシア商会のロゴが入った数台の大型輸送魔導車が、土煙を上げながら裏搬入口へと向かって列をなして進んでいた。荷台には、特級迷宮の再建に不可欠な最高純度の魔導コンクリートや配管材が山積みにされている。


「よし、目標が射程に入ったぞ」


 荒野の岩陰からその車列を見下ろしていたのは、人間界から派遣された破壊工作部隊『疾風の猟犬』のリーダーだった。

 彼らは弓矢や爆発魔法に長けた、ゲリラ戦のスペシャリストたちだ。


「魔王軍の特級迷宮は難攻不落でも、外部の輸送車列はただの無防備な商人の馬鹿どもだ。あの荷車ごと木っ端微塵に吹き飛ばせば、迷宮の工事は完全に頓挫する! 全員、爆裂魔法の詠唱と火矢の準備をしろ!」


 部隊の魔術師たちが杖を掲げ、弓兵たちが矢の先端に火を灯す。

 無防備な車列に向けて、無数の爆炎と火矢が放たれようとした、その瞬間だった。


「……テメェら。どこに狙いをつけてやがる」


 轟音。

 空から、漆黒の流星が降ってきた。

 迷宮の搬出口から信じられない速度で飛び出してきたレイラの魔導車が、岩山をジャンプ台にして宙を舞い、工作部隊のど真ん中へと隕石のように着弾したのだ。


「なっ……なんだ貴様は!?」

「撃てぇっ! その女ごと荷車を吹き飛ばせ!!」


 リーダーの怒号と共に、数十発の火矢と爆裂魔法がレイラと眼下の輸送車列に向けて一斉に放たれた。


「アタシの大事な荷物に……」


 レイラの背中のジャケットが裂け、漆黒の片翼が大きく展開した。

 彼女の固有魔法《神速の堕翼》の発動。物理法則を完全に無視した、圧倒的なオーバードライブ状態。


「傷一つでもつけたら……ただじゃおかねぇぞ!!」


 レイラの姿がブレて消えた。

 次の瞬間、空中で凄まじい衝撃波が発生した。彼女は一切の武器を使わず、超音速の回し蹴りと拳の風圧だけで、放たれた全ての火矢と爆裂魔法を空中で『物理的に』弾き飛ばし、完全に相殺してしまったのだ。


「ば、馬鹿な!? 魔法を素手で弾いただと!?」


「アタシの《強制ルート補正》は、ただのお行儀のいい誘導スキルじゃないんだよ」


 レイラは空中で身を翻し、工作部隊の魔術師の目の前へと着地した。


「力加減を間違えれば……ただの『破壊』になる」


 ドゴォォォンッ!!


 レイラの拳が魔術師の腹部を捉えた。

 手加減なしの物理的な衝撃が、高位の魔法障壁をガラスのように粉砕し、魔術師の体を数十メートル後方の岩壁まで吹き飛ばして深々とめり込ませた。


「ひぃっ……!」

「ば、化け物だ! 逃げろ、散開しろ!」


 残された弓兵や戦士たちがパニックに陥り、蜘蛛の子を散らすように逃げ出そうとする。

 だが、神速の堕戦乙女から逃れられる者など存在しなかった。

 レイラは荒野を縦横無尽に駆け抜け、逃げる別働隊の背後に回り込んでは、次々と重い蹴りを見舞っていく。

 相手の骨を砕き、内臓を揺らし、戦闘不能にするギリギリのラインを狙った完璧な制圧打撃。彼女は武器を使わず、ただ純粋な暴力とスピードだけで、数十人の高位冒険者たちを文字通り蹂躙していった。


「ああっ……! 助けて、助けてくれぇっ!」

「こ、降参だ! 俺たちはただの別働隊で……!」


 ものの数十秒で、誇り高き『疾風の猟犬』のメンバーたちは全員が血を吐き、防具を粉々に砕かれて地面に這いつくばっていた。

 レイラは彼らを見下ろし、冷たく吐き捨てた。


「二度とアタシの物流ルートに手を出そうなんて考えるな。さっさとその転移石を割って、人間界のギルドに伝えな。『魔王軍の兵站には、絶対に触れるな』とな」


 恐怖で顔を引き攣らせた工作部隊の生き残りたちは、涙を流しながら帰還の転移石を叩き割り、逃げるように消え去っていった。

 レイラは大きく息を吐き、背中の翼を収納すると、無傷のまま進み続けるガルシア商会の輸送車列に向かって親指を立てた。


★★★★★★★★★★★


「……輸送ルートの安全を確認。対象の排除完了。これで兵站防衛完了だ」


 監視室の外部水晶でその圧倒的な暴力のショーを見ていたグンツは、ホッと息を吐いてパイプ椅子に深く沈み込んだ。


「凄まじい制圧力ですね。彼女が本気を出せば、並の勇者パーティなど正面から単騎で粉砕できる実力があるとは知っていましたが……怒らせると本当に恐ろしい方です」


 リーゼロッテが、少しだけ引き攣った顔でバインダーを抱きしめる。


 数十分後、無事に資材を荷下ろししたレイラが、魔導車を押しながら監視室へと戻ってきた。

 少しだけ汗ばんだ彼女の顔は、先ほどの般若のような怒りが嘘のように、いつものカラッとした姉御肌の笑顔に戻っていた。


「よっ! 注文の資材、遅延ゼロ、損傷ゼロで無事にお届け完了だ。あいつら、アタシの荷物に指一本触れられなかったぜ」


「……お疲れ様、レイラ。本当に助かった。お前がいなければ、今日の基礎工事は完全に崩落の危機にあった」


 グンツは深く頭を下げると、冷蔵用の魔導具から取り出しておいた特製の冷たいコーヒーと、昨日仕込んでおいたスパイシーな冷製ローストビーフの厚切りを彼女に差し出した。


「お前への労いだ。受け取ってくれ」


「おっ、気が利くじゃん! ちょうど喉が渇いて小腹が空いてたんだよ」


 レイラは嬉しそうに冷たいコーヒーを一気に飲み干し、ローストビーフを豪快に頬張った。


「くぅ〜ん!」

「わんっ!」


 簡易プールでたっぷりと涼み、すっかり元気を取り戻したブランとノワールが、レイラの足元に駆け寄ってきて短い尻尾を振り始めた。レイラから漂う強い魔力と、彼女が発する「仲間を守る」という頼もしい気配を感じ取っているようだった。


「おっ、昨日は暑さでバテてた毛玉たちか。グンツのプールのおかげですっかり元気になったじゃん」


 昨日も同じ監視室で暗殺者の襲撃に対応していたレイラは、しゃがみ込んで二匹の頭を優しく撫でた。ブランは彼女のライダーススーツの匂いを嗅ぎ、ノワールは彼女の手をペロペロと舐めてすっかり懐いた様子を見せた。


「現場の守り神みたいなもんだよ。お前も、俺の現場にとっては最高の守り神だ。……本当に、ありがとうな」

「へへっ、アタシを神様扱いするなんて、明日雪でも降るんじゃないか?」


 レイラは照れ隠しのように笑い、再びローストビーフにかぶりついた。

 どんなに強固な罠を造ろうとも、それを支える『兵站』が機能しなければ迷宮は完成しない。魔王軍の各部署のプロフェッショナルたちがそれぞれの使命と誇りを持って持ち場を死守することで、特級迷宮『絶望の箱庭』は、今日も絶対の防衛線を維持し続けているのだった。

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