君の掌中に私の運命がない【ジーン視点】
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何が起きているんだろう。
ヤン…シャロン王女は一つ二つ確認したその後で、ジーンの金メッキの環が絡む腕は、彼女の手に絡めとられて、有無を言わさずエスコートを受けていた。
人の波を縫うように歩き、店を通り過ぎたヤン…シャロン王女と目線を交わした騎士ハロルドとモーリッツが、少しばかり目をみはって軽く頷いて立ち上がる。
先程から少しずつ、少しずつ。自分達を包囲している人間の数が増えているのを感じる。
キルケーリアに潜む、彼女を慕う有志達だ。いつの間に、こんなに増えたんだろうか。
シャロンが自身を手招いた店の人間たちを疑うこともなく、気軽に着いて行くのには冷や冷やさせられたが。別れ際にぼそりとジーンの背後でささやかれるのは、何れもシャロンへの手出しに釘を刺す言葉ばかりだ。
騎士からメモを渡され、迷わずホーリィの店を『目指せる』シャロンをジーンは知らない。
「……なんだか随分と意外そうだね、ジーン。もしかしたら君の知る私は、人に頼るのを恐れていたかな」
先程までの、酒場で生きる吟遊詩人のおどけた口調と違う。……恐らくは本来の彼女だろう。
その青い目に射貫かれた。薄暗闇にもわずかな光が映えて、しかしそればかりではない威厳に満ちた目に。
その目には『あの子』が、決して持てなかった自身への誇りに満ちている。
「もしかして君は、本当のシャロンを知っているのかな」
酷く静かな言葉に、ジーンは何も言えない。
それを分かっていたのか、シャロンもそれ以上ジーンを追及することがない。
単純に興味を示すほどにジーンに興味を持てないでいるのだと、彼女がマンドリンを手にする前から見ていた彼には分っていた。
この度に『新しい』主君に、ジーンと名をたまわった少年。その一族の名をランプ。世間からの俗称をカメリアの一族と言う。
枝から花ごと地面に落ちる様を、どこかの吟遊詩人が讃えたことに由来するらしい。大変皮肉に富んでいる。劇的かつ不誠実な一族の話は、好んで題材として用いられた。
己の命運を主君に託して、身命尽きるまで仕える。
本来カメリアのような在り方だったのに、彼ら一族が数十年前に砂漠の小国を亡ぼすに至ったのは、一重にうぬぼれによるものだ。
諜報、暗殺、護衛。あらゆる技能を磨いた彼らは、いつしか自分達こそが国を支え、裏で動かしていると錯覚してしまったのだ。
無論そのような連中を王家が重宝することはない。遠ざけられてより自尊心を膨れ上がらせたランプ一族は、銘々王家の椅子を狙う連中に売り込みを始め、あるいは自身こそが玉座を得るべく行動したのだ。
暗部を知り尽くしたランプ一族の攪乱により、国は一年ともたなかった。しかし乗っ取ろうとした国もまた壊れ切って、治めるべき民すら散り散りになってしまっていた。
それから一族は各地へと逃れた。しかし銘々全く反省はしていない。自分達に寝首を容易く掻かれるような連中が、ランプを使うことなどあり得ないと、信じて疑わなかったのだ。
そして逃れた先でも同じ悲劇は繰り返され、ここ数十年ですっかりと砂漠の国の地図は書き変わってしまったのに。この期に及んでも、ランプ一族はわかっちゃいなかった。
次はきっと、もう少しうまくやれるだろう。もっとうまく、標的の首をかきとり、からめとる。そうすればランプ一族こそが王になれるはずだ。
長年磨いた技術は、散り散りになってなお子々孫々に受け継がれ、そこでようやくわかったことがあった。
「僕たちは人に使われないと、何もできなかったんだ。何がしたいのかも、何をしたら楽しいのかも、人が生きるのに必要なものも、まるでわからなかった。それに目的もないまま鍛えるには、ランプの技術は過酷過ぎたんだ……人が分からない一族が、民に安寧をもたらす王になれない。うまく国を手に入れても、半年ともたなかった」
長老たちは焦った。
以前までは常に王家に仕え、漠然としながらも将来の展望があり、身命を奉じるべきである、という一言で苛酷な修業にも耐えることができたのだと。認めざるを得なかったからだ。
しかし目的もなく、希望もなく、認知もなく、ひたすらにランプの技術を学んだものは20歳を迎える前に大抵狂う。罪の重さに見合った報酬がないからだ。
それを知っていたから、運よく生き延びた一族は、恨まれても子ども達を更に厳しく鍛え上げた。
狂気に陥る前に、間に合わせる必要があったからだ。
生国を滅ぼした彼らを受け入れて愛し、一族に他の生き方を示すような誰かはいなかったからだ。
苛酷な修行で磨いた技術が、本当に必要だったのだと、いつか折り合いをつけられるようになるために。
技術に理由をつけてくれる主人に見いだされるために。
いつか、失った栄光を、再び手に入れるために。
「それで、全て懸けられる主人を見つける必要があったのかぁ」
難儀だなぁと一言で済ませて、ジーンの主人は、大変優雅な佇まいで振る舞われた白湯を飲んでいる。
随分とお変わりになられた。……ほんの数か月前は、何をするにもおどおどとしていたのに。
ジーンが一族の来歴をつまびらかにした場所は、ホーリィ・トット・シュナイダーの客室。シャロンが懇意にする仕立て屋の店だ。
……いや、シャロンの将来性に目をつけたホーリィが執拗に売り込むから、辟易していると言った方が適切だろうか。
きっかけはささやかなものだ。ホーリィの大事な師匠である祖母が、頭の働かない身内からりんご粉末などというおかしな食事療法を強制されて、危うく死にかけたのである。
それをたかだか一曲で適当に解決してからというもの、熱狂的に慕われているのをシャロンは全く知らなかった。
無論常々彼女の生涯袖を通す服を、自分が仕立て上げると息巻いていたホーリィが、この好機を逃すはずもない。
軒先を借りたい、と言い終える前に、有無を言わさず警備により引きこまれたシャロンとジーンである。
シャロンはホーリィと口論していたかと思えば、たっぷりと時間をかけて風呂で洗われてしまったらしい。この店の商品であるドレスに身を包んで戻ってくるまでには、夜はとっぷりと更けていた。
その出来栄えに思わず言葉を失ったジーンに、似合わないだろうとシャロンは笑ったがとんでもない。
その表情と振る舞いが全てを裏切っているが、元々顔立ちは大層可憐で美しい。キルケーリア国の王族特有の黒い髪、深く光る青い目をしている。
あの日、広間で切り落とした黒髪は短いままに整えられて、緩やかに巻かれて顔の輪郭をより小さく見せていたし。彼女自身が勝ち取ってきた日々の糧は、順調に柔らかなまるみと艶を取り戻した。人に囲まれて笑うことが増えたから、表情にも以前の人目をうかがい、媚びるようなぎこちなさはまるでなくなっている。
シャロンがまとったドレスの深い青に、堂々とした白い花が咲く刺繍だって、恐ろしく精緻な仕上がりだった。まるで彼女の為に誂えたかのように似合っている。……彼女が普段持つ、マンドリン袋と同様に。
「ああ……店主のお祖母さんとの合作だったらしいね。私もさっき聞いて驚いたよ……レース編みのご婦人がそうだとは知らなかった」
なるほど。ホーリィは名の売れていない仕立て屋だったが、腕前は確かだったらしい。いや、シャロンの仕立て屋になる前に、名が売れないよう隠れていると言った方がいいのか。シャロンの影の後見人であるアンガーマン伯爵ともつながっているようだから、『未来の女王』の仕立て屋に内定はしているようだけど。
キルケーリア国では上流階級ほど威厳を示すために、衣服の刺繍の精密さが何より重要視された。
キルケーリア古語が用いられていた頃より、男は槍をもって戦に赴き、女は精緻な刺繍を施した衣服や細工を凝らした装飾品を献上することで、王に心からの忠誠を示していたからだ。捧げられた量でもって治世を判断された文化は、今も脈々と受け継がれていると父は言っていた。
今も時間と技術がいる刺繍入りの衣服を仕立てるのに、各々の家が仕立て屋を抱えている。
特に見込みがありそうな仕立て屋は、好みが合わなくても、実際に人手が必要がなくたって、金貨と恫喝で多少強引にでも抱え込まれるのだ。
そして専有であるとの一言で、全く服を仕立てさせない貴族も多かった。他の貴族に圧力をかけるためにもだ。
「主人から装飾品を得れば、女神の呪いが解けるとかのくだりはどこから来たのかな?」
頭のてっぺんからつま先まで。
身なりを王族として整えたシャロンは、下町の吟遊詩人ヤンではなく、堂々たる貴婦人……というよりは、静かで威厳ある王のような佇まいだ。
これまで放り出されていた教育は、アンガーマン伯爵が引き継いでいる。マナーの講座も受けているらしいから、その所作は思いの外、堂々として美しい。短期間でよくここまで仕上げたものだと思う。
「うん。父が言っていたけど、若い連中ほど苦しい修業から逃げるのに、楽な話を信じたくなるんだって。それを聞いて面白がった吟遊詩人が広めたんだよ」
そして自分もまた、そう信じていた。信じたかった。でも結局、ランプの宿命からは逃れられなかった。
もう人に使われてしか生きられないのに、ランプ一族の悪名は方々に轟いている。名乗るだけでも疑心の目を向けられる中で、彼らは自身が仕えるべき主人を見つけ、呪いを解かなくてはならない。安易な逃げ道を求める者も当然にいた。
適当に折り合いをつけて市井に紛れ込む者も確かにいたが、大抵、教えが全く間違っていなかったのだという気付かされる。
「それで、君も一度主人を捨てたのか……どうりで伯爵も契約を止める訳だね。君達の精神を保つためにと依存されたって、こちらがランプに報いることは難しい。だって君たち自身が求めているものを、理解していないからね。そして見合わない支払いには、ある日裏切りでもって応える訳だ」
「………いや、なんでそこまでわかるの。私、一言もそんなこと言ってないよね」
得意げに胸を張ると、シャロンは微笑んだ。口の端を上げた、狩る者のほほえみである。
『あの子』は決してしなかった。
「だって君に私を抱えられるほどの力はないよね、おちびさん?あれだけ動ければ、さっきだって適当にいなせるだろ。……で、まだ話してないことはあるよね?」




