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あの子が出来るだけ酷い目にあいますように【テア&トルドー視点】

白ワインにアニスとカルダモン、それと少しばかり余った果物の切れ端に、申し訳程度の砂糖を半匙。


それらを小鍋で温めた温葡萄酒が、吟遊詩人テアドール・オスカーの気に入りの酒である。


いつもならばふつふつと煮立ったのを丁寧に濾して、前に置かれるまでをわくわくとして待つのだが。ひたすら弟子の無事を祈る今、心を躍らせる余裕はない。


自分を庇って狼の前に立った弟子を思えば、近い暖炉の火も彼女を温めるには至らなかった。


カウンターでは既に自分の弟子であるヤン少年と、吟遊詩人トルドーの駆け引きが始まっていた。


ありがたいことに、すぐに割って入れるように、事情を知る何人かは素知らぬ顔で距離を狭め、聞き耳を立てているようだからほっとする。弟子に何かあれば、非力なテアドールに代わり、きっと彼らが助けてくれるだろう。


……件の吟遊詩人は余程彼らを苛立たせているらしい。


次第に周囲が隙を狙って、如何に偶然を装って色男だけを仕留めるかタイミングを計り始める一方。渦中のヤン…シャロン王女が助けを求めるどころか、愉快そうに微笑む余裕を見せるから、手をこまねいているようだった。


対するトルドーの顔は見えないが、話が進むにつれて丁寧にスープ粥を味わい始め、大切そうにオムレツを咀嚼し始めたシャロンに苛立ちを募らせているようだ。機嫌が悪いのが、背中からでもわかる。


あんなのと幼馴染だった……元オスカー子爵家の第5女、テアドールとしては、多分それは逆効果だし何故そんな真似できるの?とちょっと弟子を問いただしたい。やばい男だっていうのは初日からシャロンも分かっているようだが、それだけでは脅威に対する理解が足りない。


幼少期に馬車の事故で両親を亡くし、使用人たちに育てられたトルドーだが、そんな彼に悲壮感は全くない。


家の使用人全員が等しく彼に親愛と忠誠心を惜しまず、有能揃いで煩わされることがなかったからだ。トルドーもまた、使用人に懐き、大切に使用人として『扱って』生活することを心得ていた。


そう。使用人達は確かに主人に忠実で、有能だった。決して己の職分を超えず、徹底して使用人としてあり続けたのである。


親愛を捧げるべきと判じた相手に明確に拒絶され続けたトルドーは、それ以上想いを深めることを諌められて育ち、また自身も彼だけに向けた親愛を得ることができなかった。他でもない自身の世話を焼いて、時に諌めてくれた人たちが重ねて言うことであればと、トルドーもまたそれを受け入れた。


皆、自身があるべき行動を取ったに過ぎない。両親を亡くした子どもの環境として、周囲が心を傾けた、最も理想的な形ですらあっただろう。それがどういう結果を招くかなんて、予測し得なくて当然であった。


そうして育ったトルドー氏は、いつしか誰にも親愛を抱くことができなくなっていた。


人当たりがよく、優しい人物の真似は、彼の『ご主人』に教えられたが、それまでの彼は本当に手の付けられない狂犬だった。


吟遊詩人として、人との交流をこなせるようになった今でも、その違和感は深く彼と言葉を交わせばわかるだろうし。きっとそれ以上の関わりを持つことを避けたくなるはずだ。


彼は自身の使用人に比較して能力が劣る、と判断した相手の(あら)を決して見過ごさない。


有能な使用人の彼らですら情を向けるのに適していないのに。お前如きは注意を傾ける程度ですらないと判じて、徹底的に煩わされることを拒否し始めるのだ。


幼少期、おそらくは婚約者候補の一人として引き合わされたテアドールは、骨身にしみてその男のやばさを知っている。


もういっそ端的に言おう。


その男、腹が立てば、黙らせるのに躊躇なく椅子で殴り掛かる人でなしだよ、と。


「……おまち」


「ありがとう、マスター」


「あんまり無理すんじゃねぇ……人当たりはいいが、そもそも話が通じる奴じゃねぇんだよ、トルドーは」


「うん、そうね……何も変わってないわ、あいつ。でもあの子、私の弟子だもの」


「……あんたを師匠に据えるんだ。見る目はあるさ」


「そうかなぁ…」


マスターのお墨付きはありがたいが、それでもテアドールは優し気に目を細めた吟遊詩人、トルドー…バルドゥル・テーリヒェン公爵が何よりも恐ろしい。


彼は人が理性と倫理と損得勘定で抑え、知恵と理屈で受け流せるはずのことが、全くできない男である。


能力はあるが信用を置くには足りず、たとえ用心して距離を置いても、気まぐれにやってきては何もかも台無しにする嵐である。


かのろくでなしがシャロンの父、マクラーレン・シュナイダーに異様な執着を抱いていたのは皆知っていたことだけれど。


たった一人遺されたシャロン王女にすら当たり散らすことを、躊躇なくやってのけたこの男が。


……たった一人の彼の大将、マクラーレンとの出会いが、彼に何らかの変化をもたらさなかったようだと気付いて、テアドールは勝手に心配していたのだ。


こんな男が、好意でも悪意でも誰かを気に掛けると、ろくな目に合わないと。他ならぬ彼女が知っていたからだ。


だから余計、あの夜シャロンに惹かれたのかもしれない。


どうしようもない夜を簡単に吹き飛ばすあの子が、この酒場の人達は大好きだった。テアドールのどうしようもない気持ちに真っ先に気付いては軽くしてくれる。


テアドールが一番恐かった男の悪意も、自分の勝手な心配も気楽に踏み潰して、お前らなんか必要ないよと突きつけたシャロンの威厳に、テアドールは惚れ込んでいたのだ。


それはトルドーも同様だったようで。シャロンの傍をうろついては、ローエングリンに退治されるのをよく見るようになったから血の気が引いた。


元よりこの世で唯一、彼が大将と仰いでいたマクラーレン氏以外は、本当に興味がない男だったのに。


全ての事情を知る客は、『多少父親の性格を引き継いでいるかもしれない』忘れ形見のシャロンを通じて、今は亡き親友に仕える気でいるのだと考えていたし。テアドールもそれに同意する。


『自分が愛してもいい、愛すべき人間』を見つけてしまったトルドーは誰の手にも負えない。


自分が特別と信じた人間が逃げ出したくなるほど入れ込む男だし、それを裏切られたと思えば豹変する。その時、既に貴族ではないテアドールがシャロンの盾になれるとは思わない。


「辛気臭い顔してんじゃないよ」


よほど酷い顔をしていたのか。マスターと入れ違いにやって来た、女将にまで背を叩かれる。


「女将さん…でも」


「それ呑み終わったなら、マスターに任せてとばっちり受けない内にあんたも帰んな……あんたがあいつに抑えられたら、ヤンも身動きが取れなくなるよ」


女将によって持て余していた空のグラスをさらわれた。


知り合いの給仕が荷物をまとめておいてくれたらしい。苦手で身がすくむ相手だったから、気にしてくれたようだ。


シャロンに心の中で詫びて、テアドールは人に隠れて店を出る。


あのろくでもない男がシャロンに手出しをしませんようにと、祈りながら足早に自宅を目指したのだった。


◇◆◇


テーリヒェン家当主。バルドゥル・テーリヒェン公爵……吟遊詩人としては、気まぐれにトルドーと名乗る男は幸いである。


生後間もなく、両親が馬車の事故で死んだけれど。両親が遺したのは、財産の目録なんかよりも価値がある、あるいは価値をつけようがないほど上等な使用人たちであった。


自身が仕える主人に忠誠を誓い、たった一人遺された新しい主人の為に研鑽を惜しまない。主人に間違いがあれば正し、傷があれば癒すのを間違いなくやってのけたのだ。


確かに小さくて何も出来なかった嬰児にも、その人たちは優しかった。そんな善良なる人々に、無償の愛を惜しみなく与えられたから、彼は才覚を示し、当主としてここまで生きてこられたのだ。


財産を狙ってあらゆる搦め手を遣う連中から、自分を必死に守り切った人達にこそ、きっとこの恩を返したいと思っていたのに。幼い彼は、自分が心から仕えていいと思える上等な人物を、目の前で困るひと達しか知らなかったのに。


そう伝えたらとろけそうに笑った後で我に返ると、貴方が仕えるべき主人に言ってほしいと、いつもわたわたと説得しにかかるのだ。


だからちょっとだけ面白くなくて、例えばそれはどんな人だろうと聞く。そしたら必ず、きっと貴方が特別に思う人でしょうと濁される。


通常であれば、仕えるべきはこの国の王だと語って聞かせるだろう。


だけど、キルケーリア王国の事情を加味すれば、幼子に冗談でも言って聞かせる話じゃない。


長らく、傀儡の王とその側近による独裁体制は、民の生活に影響を及ぼすほど、決して度を越えないからこそ問題視されることもなく続いている。


秀でた能力は国を肥やすために用いられ、その収穫は連中の個人的な財布の為にだけ行われた。ここのところはそれがより顕著となっている。


この国の貴族は、宰相の派閥に降り、いいように使われるか、うまく巻き込まれないように距離を取るかを迫られていたのだ。


それでも初めて成人した時、国王に謁見する機会を得た彼は期待していた。国の主たる男を見れば、自分が仕えるべき主人のたたき台くらいにはなるだろうと。


しかし玉座にあるのは、ふて腐れたような顔でぼんやりと宙をみる老人で、その傍に生気のない黒髪の王女が呆然と佇んでいた。家臣への言葉も全て宰相による腹話術のようで、王は鷹揚に頷くばかり。目線すら合うことはない。


なるほどこんなものかと。端から期待すらしていなかった彼は思う。


それを聞いた使用人たちは、やはり正しく彼を諭した。


「私どもも、貴方様のご両親に見いだされ、共に研鑽してきたのです。……貴方様も、才こそあれど、まだ何かを成し遂げた人物と言う訳ではない。この方ならば共に成長できる、そして道行きを助けたいと思う……私にとっては、それは貴方のお父上であり、貴方様だったのですから」


そう言ったのは執事のエドワードである。


当時はその言葉にただ照れた彼は、マクラーレン氏を見出し、ようやく彼らの気持ちを理解した。


そして仕えるべきだった男は、つまらない連中に呆気なく奪われたのだった。


だからずっと代わりを探していた。ようやく、新しく見つけたのだ。


「何故王女たる君が冷遇され、外に働き口を得なければならないのか?……それはね、この国の宰相共は、扱いやすい可哀想な子が一番好きだからだよ。愛してほしいからって、なんでもやってくれるからね」


城にいる王は、マクラーレンと名乗っている、と痩せた少女は言った。


しかしそれだけはない。彼の最期はちゃんと自分が看取った。連中はシャーロット元王妃……シャロンの母親の身柄さえあれば、後はどうでもよかったからだ。


善良で真っ当なマクラーレンは、偶然出会った次代の傀儡であるシャーロットの扱いに憤慨していた。


王族が宰相に媚を売らねば生活もままならない環境は、トルドーには王族の怠慢にしか思えなかったし。打開策としてシャーロットがマクラーレンを選んだことに、ふざけるなと憤りさえしていた。


だから、全ては遅かったけれど。既に形は違えど、自分に返してもらう気であったのだ。


見た目は憎きシャーロットに似た、それでもマクラーレンを忍ばせるかの少女なら。


あの日彼の心を奪ったこの少女であれば。


自身が仕えるに足る人物に仕立てるのは、ちゃんと捕まえてからでいい。


「きっと君はこのまま飼われて、いつか玉座に座っている男と番わされるだろう。あいつは連中の気に入りでね。飴さえ与えておけば、何でも言うことを聞く男だ。……君は母親が放棄した役目を押し付けられるのさ。だというのに、あいつは君の母親が他の男と情を交わしたのを認めたくないらしい。君が、自分の娘だってさ!」


真っ当で善良なひと達に育てられたバルドゥル・テーリヒェンは、人に優しくするやり方は知っていたけれど。そうしてやりたい人間を持たない。生まれつき周囲の全員が優しくて、特別な誰かが作れなかったから、個人に慈愛を抱くことができない男である。


しかし相手が悪かった。


最悪のことしか考えない人間であればよかった。あらゆる害意に臆病であれば、きっと頷いたことだろう。


生憎と彼の前に座ったのは、望める限りの最善を尽くし、尽して駄目ならさっさと方法に見切りをつけるべきだと、職業柄叩き込まれていた少女だった。


きっと自分を傍に置かなければ、酷い目に合うよと言い募っても、トルドーに価値を見出さなかった。鼻で笑って行ってしまったのである。


まあそうだろうよと。彼らの王女の為に乱闘に加わった酔客は、カウンターにトルドーを置いて銘々怪我の痛みを忘れるために、度数の強い酒を頼み始めた。


日頃の行いが悪いせいで、トルドーはこっぴどくフラれても特に慰める人物がいない。


徐々にいつもの静かな酒場の空気に戻る。


「何が駄目だったのかな…」


「何もかもだよ馬鹿。あれが両親亡くして、その一味に虐待されてる女の子に言う言葉かよ。だから女と続かねぇんだよ」


「ざまあみろ本命に振られてやんの!いででででで!!」


「ラガルトー!」


トルドーは呑み仲間の肩関節をちょっとだけ面白い方向に曲げてから、ふて腐れながらカウンターに戻る。


シャロンに奢られた蜂蜜酒のグラスは、もうぬるくなっている。既にあの子も夜闇に紛れて、城に帰り着いただろう。


「ねえマスター!ヤンって何がしたいの?欲しいものはないの?」


あるなら全部自分が用意するのにと。やけになって聞けば、本人に聞けばよかっただろうよとマスターは実も蓋もないことを言う。


教えてくれるわけがないだろう。自分の話より、マスターの料理を取った子なんだから。


「さてな。少なくともお前に助けてほしいとは思ってないだろうよ。あの子は自分で稼げて、味方が作れる子だ。借りを作る相手も選べるさ」


「それ、別に全部僕でいいじゃないか……何でそれがウィンステンの坊やなんだよぉ!楽器ならテアドールじゃなくても教えられるぞ!」


「もう酔ってんならその酒、没収するぞ。帰って寝な」


「だめ!……あー、もういっそ僕じゃないと解決できない事態にならないかなぁ」


惜しむようにちびちびと蜂蜜酒を舐めて、とろけそうに笑って言う。


そういうところだぞ、と多分酒場の皆が思っている。

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