始まりの朝
我が家の東屋で、私達は無言で向き合っていた。
婚約者同士のお茶会。
私達は、半年後に式を挙げるのだ。
お茶会の、この時間は結婚式の打ち合わせ後の気休めに設けられたもの。
二人だけの、ちょっとした会話が出来る唯一の時間。
我が家に婿入りしてくる予定のハロルド様は、とても真面目で、未婚の淑女に手を出してくるような方ではない。
婚約者として適切な距離感を持った、素晴らしい紳士。
だからこそ、私はハロルド様が大好きなの、だけれども。
だけど、少しだけ。
そう、ほんの少しだけ背伸びをしたかった。
だから。
私が我儘を言ったのだ。
学園の卒業前の最終試験で私が秀の評価を取ったら、頬にキスしてって。
「結婚するまでは、適切な距離を」
そう仰っていたハロルド様も、今回の結果、そうものすごく頑張ったのだ、私は。動機が不純だと言われても構わない。
それだけ努力したのだから。
彼も、取れる、とは思っていなかったであろう私が秀の評価を取ったのを見て、
「……約束だから」
と、ばつが悪そうな顔で肩をすくめた。
その動きが余りにもぎこちなくて、緊張しているのは私だけじゃないみたいで嬉しくなる。
そんな私に、ハロルド様はちょっと困ったような顔をして視線を逸らす。
その仕草がとてもハロルド様らしくて、困らせているのが分かっていながらも、ついつい無茶をお願いしてしまう。
それもきっと私の我儘を受け止めてくれる、っていう安心感があるからなんだけど。
でもね、いつも試験では優の評価までしか取れなかった私も、頑張ったのだ。
すべてはハロルド様との、頬とはいえ!キスのために。
分かっている。あと半年だって。
それでも。
大好きなハロルド様との結婚前に、特別な思い出が欲しかったの。
二人だけの秘密、のようなものが。
小鳥の囀り、それさえも耳に入ってこない。
私達の瞳に映るのは、お互いだけ。
ハロルド様の真剣な、いつもと違った眼差し。
私は、ゆっくりと瞳を閉じた。
彼の吐息が、頬にかかった、気がした。
ところで、目が覚めた。
「え? なんで?」
目が覚めて第一声が、私自身の間抜けな声だった。
「え?」
ゆっくりと周囲を見回す。
ハロルド様も、いない。
東屋でもない。
私のベッドの上だった。
……。
頭をひねって考える。
え、まさか私、失神しちゃったの?
え、淑女にあるまじき失態。
どんな顔して次にハロルド様に会えばいいの?
そこで、ふと気がつく。
部屋の様子が違うことに。
今は、秋、のはずだ。
自分のベッドから見て、左手にある絵画が違う。
春の絵が飾ってあるのだ。
「え、あれ?」
うっすらと明るくなる窓際。
ふと見ると、自分の寝間着が違う。
これは、だって。
「え、今の、もしかして、夢……?」
まさか、嘘でしょう?
私ったら、なんてはしたない夢を。
羞恥で居たたまれない。
一人で良かった。
ベッドの上でのたうち回りたくなるのをぐっとこらえ、落ち着くために大きく息を吐いた。
……あんなに頑張ったのになぁ。
秀を取るために、勉強した時間を思い出してしまう。
……あと少しだったのになぁ。
いつもより強く香る、ハロルド様の香水の匂い。
あまりにも現実のようだったから。
そこまで考えて、頭を振った。
イヤイヤ、夢だから。
夢!
……。
私ったら。
頬に手を当てる。
でも。
あれが夢だなんて、思えない。
ハロルド様の吐息ですら、思い出せるのに。
そこまで考えて、小さくため息をついた。
自分の寝間着姿の現実が、否が応でもあれは夢だったと訴えかける。
小さくノックの音がした。
「お嬢様、起きられました?」
メイドの声にベルを鳴らすと、静かにドアが開いてメイドたちが入ってくる。
春の様子を見て、もう一度、ゆっくりと息を吐き出した。




