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碧眼の花と緋の刃  作者: 伊太利ひなぎく
第1章

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第23話 前編《動き出す影①》


2日後の朝、遠征訓練に出発してから10日目。

ソニアたち7人は、宿の外で車に荷物を積み込んでいた。


「ソニア、あんたの荷物もこっちに載せなよ」


そう言ってアンナはソニアに手を差し出す。


「うん、ありがとう」


ソニアは片腕でぬいぐるみを抱えつつ、もう片方の手でアンナに荷物を手渡した。

その様子にギルベルトは苦笑いする。


「その熊、やっぱデケぇよなぁ……トランクに入るか?」

「押し込めば、何とかなるんじゃないです?」


そう言いながら、トランクとぬいぐるみを交互に見るラルフ。

彼の言葉にソニアの表情が一瞬曇った。

そんな彼女に、そばにいたユリウスが声をかける。


「ソニア、どうした?」

「えっと……」


ソニアは両腕でギュッとぬいぐるみを抱きしめて言い淀む。

そのすぐ近くでもう1台の車に荷物を積み込んでいたヴェルナーは、ソニアの様子を眺めつつ口を開いた。


「アンナちゃんの言った通りだな。ソニアちゃんとぬいぐるみの相性って──」

「はいはい。そのくらいにしておかないと、クロイツァー大尉に叱られますよ」


シュテファンは華麗にヴェルナーの軽口をかわし、そのまま荷物を積み込んでいく。

ソニアはちらりと車のトランクに目をやってから、ユリウスを見上げた。


「大尉……この子、本当にトランクに入れないとダメですか?」

「は?」

「だって、せっかくいただいた贈り物なのに……荷物みたいに扱うのはちょっと」


ユリウスは、ソニアの言葉に思わず眉をひそめながらも、ふと呆れたように笑ってしまう。


「お前な……それなら、どうやってその熊を持ち帰るつもりだ?」

「膝に乗せる、でしょうか?」


そう言うソニアに、ユリウスは頭を掻きつつやれやれとため息をついた。


挿絵(By みてみん)


「……わかった。それなら、後部座席の荷物をトランクにまとめ直すか」


その言葉にソニアの表情がパッと明るくなる。

それを見たアンナはフッと笑うと、無言で荷物を積み替え始めるのだった。



7人が荷物を積み終えた頃、宿からエリーザベトが顔を覗かせる。


「皆さん、もうご出発ですか?」

「あっ、クラウゼ先生」


ソニアはそう言うと、ぬいぐるみを抱えたままペコリと頭を下げた。


「色々と本当にありがとうございました」

「気にしないで。ソニアちゃんもすっかり元気になって……これで一安心ね」


エリーザベトはそこまで言うと、ユリウスに向き直る。


「こちらは、大尉にお渡ししておきますね」


差し出された小さな封筒と、抱えるほど大きなバスケットに、ユリウスは首を傾げた。


(何だ?)


そう思いつつまずは封筒を受け取り、中身を取り出す。


「これは……」


封筒に入っていたのは、熊のぬいぐるみを抱えたソニアを中心に、7人全員が写った1枚の写真だった。

ソニアの誕生日翌日に、「記念に是非」と宿の前でエリーザベトに撮ってもらったものだ。

じっと写真を眺めるユリウスに、エリーザベトは申し訳なさそうに声をかけた。


「すみません、流石に1日では1枚しか現像できなかったもので……執務室にでも飾っていただければ」

「……恩に着る」


ユリウスは封筒をポケットにしまうと、バスケットに目を向ける。

そんな彼の様子に、エリーザベトは少し遠慮がちに口を開いた。


「昼食です。訓練期間中、栄養バランスがかなり崩れていたようですので。差し出がましいかとは思ったのですが……」

「わざわざすまないな」


そう言ってバスケットを受け取るユリウスのそばに、アンナが興味津々に歩み寄る。

彼女はバスケットにかけられた布をそっとめくり、目を輝かせた。


「わぁっ、どれも美味しそう!先生って、料理も上手なんですね……ホントに尊敬します」


アンナはそこまで言うと、エリーザベトにペコリと頭を下げる。


「この2日間、ありがとうございました。先生のおかげで、色々勉強になりました!」

「うふふ、お役に立てて何よりだわ。2年目からは、実習が入ってますます忙しくなるだろうけど……今回の経験は、必ずアンナちゃんの強みになるはずよ」

「立派な看護師になれるように、頑張りますね!」

「あなたなら、きっとなれるわ」


ニコニコと笑ってそう言いのけるエリーザベト。

アンナは心がじんわりと温かくなるのを感じた。


(先生にそう言ってもらえると、ホントに実現できる気がしちゃうんだよね)


彼女からの言葉を心の中で反芻しながら、アンナは9月からの新学期に向けて気持ちを新たにする。

その横でユリウスは時計を確認しつつ口を開いた。


「そろそろ出発した方が良さそうだな」


そう告げるユリウスに、エリーザベトは再度声をかける。


「休暇明けに一度中央司令本部に顔を出す日がありますので、その際に念のため、ソニアちゃんの再診をさせていただきますね」

「ああ、わかった。先生には世話になったな」

「いえ……皆さん、道中お気をつけて」


そう言って一礼するエリーザベトに、ユリウスたちも揃って答礼する。

そのまま車に乗り込むと、2台の車はゆっくりと走り始めた。

後部座席のソニアは後ろの窓からエリーザベトをじっと見つめてから、ぬいぐるみを抱えて前に向き直る。

ギルベルトはそんな彼女の様子を助手席から眺め、思わず小さく吹き出す。


「くくっ……デカい熊のおかげで、後ろは随分と狭そうだな」

「あはは、ホントですよね。元々大尉もソニアも大きいのに、更に熊って」


運転先で笑うアンナの言葉に、ソニアは隣のユリウスを少し見上げ、申し訳なさそうに口を開く。


「すみません、狭いですよね……」

「気にするな。落とさないように、しっかり抱いていろ」

「はい」


そう答えると、微笑みながら大事そうにぬいぐるみを両腕で抱きしめるソニア。

そんな彼女の様子を、ユリウスはじっと見つめた。


(まるで子供だな。ぬいぐるみ如きでこんなに嬉しそうに……)


その時、ふと思い出したようにアンナがソニアに声をかける。


「ねぇソニア。結局、その子に名前付けるの?」

「うーん……まだ考え中、かな」


その言葉に、ギルベルトが少し眉を上げながら考え込む。


「名前ねぇ……なら、『ベアヲ』とかどうよ?」


ギルベルトの案に、アンナは「えぇ?」と声を上げた。


「それなら『クマーリオ』の方が可愛くないですか?」

「いや、クマーリオって……大尉はどう思うよ?」

「は?俺か?」


突然話を振られたユリウスは、腕を組んで真剣な表情を浮かべる。


「……くま助」


ユリウスが真顔で口にしたその名に、一瞬、車内の空気が固まる。

その直後、ギルベルトの笑い声が上がった。


「ははは!大尉にしちゃ、随分と可愛い名前考えたじゃねぇか!」

「た、確かに……あんまり大尉っぽくないかも」


クスクスと笑うギルベルトとアンナに、ユリウスは小さくため息をつく。

ちらりとソニアに視線を向けると、彼女はじっとユリウスを見上げていた。

ユリウスは少し気まずそうに頰を掻く。


「……あくまでも一案だ。ソニアが決めれば──」

「くま助にします」

「は?」


唖然とするユリウスに、ソニアは躊躇いがちに口を開く。


「可愛い名前だと思ったので……ダメでしょうか?」


ソニアは少し高い位置でぬいぐるみを抱きしめ、目だけを覗かせてユリウスをじっと見つめる。

そんな彼女の仕草に、ほんの一瞬ユリウスは言葉を失う。

が、すぐにハッと我に返って口を開いた。


「……ソニアの好きにすればいいだろう?」

「じゃあ、この子は今から『くま助』です」


そう言うソニアを微笑ましく思いつつ眺めるユリウス。

そんな彼を余所に、ソニアは熊のぬいぐるみ──くま助を嬉しそうにじっと見つめる。

そんな彼女の様子にギルベルトとアンナは一瞬顔を見合わせ、顔を綻ばせた。


(よろしくね、くま助)


ソニアは心の中でくま助にそう話しかけると、再び彼を強く抱きしめるのだった。



───────

────

──


出発から2時間ほど経った頃、ユリウスはちらりと隣のソニアに視線を向ける。

彼女はくま助を抱えながら、ウトウトと船を漕いでいた。


(2日休んだとはいえ……やはり、まだ本調子というわけにはいかないか)


そう考えながら、ユリウスは時計を確認すると運転席のアンナに声をかける。


「ベーゼ、後5kmほど走った休憩地点で止めてくれ。少し早いが、休憩がてら昼飯にするぞ」

「はーい!了解です」


そう答え、ちらりとバックミラーに目を向けるアンナ。

シュテファンたちの乗る車両が後ろをついて来ていることを確認すると、そのまま休憩地点に向けて車を走らせる。

アンナが車を停めると、その反動でソニアは目を覚ました。


「ん……」


ソニアは目元をこすりながら、ぼんやりとくま助を見つめ、少しだけ身体を起こす。

そんな寝ぼけ眼の彼女に、ユリウスは声をかけた。


「ソニア、降りるぞ」

「あ、はい……」


素早く降車するユリウスに倣い、ソニアも小さく欠伸をしながらくま助を連れて車を降りる。

じっとりと汗ばむような外の陽射しに、思わず手庇してしまう。


「山から降りると、流石に暑いよねぇ……」


アンナもパタパタと手で顔を仰ぎながら、恨めしそうに太陽を見上げている。

ソニアはキョロキョロと辺りを見回し、少し離れた所にそびえ立つ大きな木を指差した。


「あそこなら木陰になって、まだ涼しいんじゃないかしら?」

「あ、ホントだ」


アンナはそう言うと、くるりと車の方へと振り返る。


「皆さーん!あっちに良い感じの日陰がありますよー!」


そう声をかけてから、ソニアを連れていそいそと木陰へと急ぐ。

陰に入ったアンナは、大きな木を見上げながら口を開く。


「ちょっとはマシだね」

「そうね。風でも吹いていれば、もう少し涼しく感じるんだろうけど……」


その言葉に、アンナは思いついたようにハッと表情を変えた。

ソニアは何事かと首を傾げる。


「アンナ?」

「その手があるじゃん!」


アンナはそこまで言うと、サッと右手を構えた。


(……術式構築。風属性──)


アンナがそう考えながら術式を組み始めたその時、それを遮るように後頭部をコツンと軽く小突かれる。


「へっ??」


驚いて振り返ると、そこには呆れたような表情のギルベルトが立っていた。


「あのな……学生は、外で勝手に魔術使うの禁止されてんだろ?何やってんだよ」

「あっ……そうでした。すみません、訓練中の癖でつい。風が吹いたら涼しいかなーと思って」


苦笑いするアンナに、シュテファンが声をかける。


「悪くない案ですね」


そう言った彼が素早く風魔術を展開させると、木陰に涼しいそよ風が吹き始めた。

そんなシュテファンにアンナはニコリと笑いかける。


「ありがとうございます、クリューガーさん」

「いえいえ。僕もせっかくなら涼しい方が良いですから」


そう話す2人の様子に、ギルベルトは呆れたような表情を浮かべる。


「ったくお前らは……まあ良いか。とりあえず昼飯にしようぜ」


ギルベルトの言葉に全員が木陰に座り込み始めた。

ソニアも木のそばに腰を下ろすと、サッと隣に大判のハンカチを敷いてその上にくま助を座らせる。

その様子にヴェルナーは小さく吹き出した。


「ソニアちゃん、その熊にも飯食わせる気か?」

「熊じゃありません、くま助です」


少しムッとした様子でそう言うソニアに、シュテファンはフッと笑う。


「可愛らしい名前を付けられたんですね。じゃあ、ソニアさんはくま助と分けて食べてください」


シュテファンは冗談めかしてそう言いながら、サンドイッチをソニアに差し出す。


「あ、ありがとうございます……」


それを受け取りつつ、ソニアはどうしようかと思い悩む。

しばらく考え込んだ後、申し訳程度に小さくサンドイッチを千切ると、くま助の座るハンカチの上に置いた。

その様子にアンナは思わず苦笑いする。


「ソニアったら、律儀に冗談に付き合わなくても良いのに……」

「でも、せっかくだし……」


そう言いながら、ソニアもサンドイッチを頬張った。


しばらく7人で他愛のない話をしながら食事を進めていると、ヴェルナーがふと口を開く。


「にしても……結局、ほとんど訓練にならなかったっすね」

「確かにそうだね。でも、上への報告って大丈夫なんです?」


ラルフがそう首を傾げると、ユリウスは小さく頷いた。


「流石に人喰い熊の襲撃ともなれば、訓練スケジュールの不履行でどうこう言われることはないだろう。むしろ、メーゲンブルク中将から今回の件で今後協力を求められる可能性もあるくらいだ」

「あのバッジか……」


ギルベルトの呟きに、ソニアはふと不安気な表情を浮かべる。

それに気付いたユリウスは、そっと彼女の頭に手を乗せた。


「あまり心配するな。俺たちも、これまで以上にシュヴァイガー大佐の動向には目を光らせるつもりだ。ソニアは士官養成課程に集中していれば良い」

「はい……」

「それに、少なくとも半期はヴェルナーが軍大学に潜り込める。大佐がソニアを狙う理由が判明するかもしれないからな」


その言葉に、ヴェルナーは思わず顔を引き攣らせる。


「いや、そんな潜入捜査みたいなノリで言われても……大佐の牽制で精一杯って可能性もありますし──」

「でもよ、今までで最大のチャンスではあるんだぜ?ま、ヴェルナーの実力が試されてるってわけだな」


ニッと笑ってそう言うギルベルトの言葉に、ヴェルナーは少し気まずそうに頭を掻いた。


「そういう言い方されると、やるっきゃないっすね。できる範囲で調べてみるっす」

「おうよ。頼んだぞ、研修官!」


ギルベルトはそう言いながら、ヴェルナーの背中をバンバンと叩く。

そんな2人の様子にシュテファンが釘を刺す。


「でも、あんまり下手に動き回ると危ないですからね?その辺り、気を付けてくださいよ」

「わかってるって!」

「本当ですか……?」


怪訝な表情を浮かべるシュテファンの横で、ラルフはサンドイッチ片手にふと地面をじっと見つめる。


(俺も、色々動かないといけなくなるかもなぁ。とりあえず、戻ったら大佐に諸々の報告はしておくか……)


そう考えつつ、ちらりとソニアに目を向ける。

礼を言いながらユリウスから飲み物を受け取る彼女を見て、ラルフはちくりと胸が痛んだ。


(俺は、あの子を犠牲にしてまで──)


そんな彼にギルベルトが声をかける。


「ラルフ、大丈夫か?」

「えっ?ああ……はい、大丈夫です。来月からは、色々と忙しくなりそうだなぁと思ったので」

「ふーん……?ま、そうだな」


ギルベルトはそう言うと一瞬何かを考え込み、すぐに何事もなかったかのようにサンドイッチに口を付けた。



───────

────

──


休憩を終えて、再び車での移動を始めて1時間弱経った頃、休憩後に運転を交代し、ハンドルを握っていたユリウスは後部座席のソニアとアンナに声をかけた。


「見えてきたぞ」


ユリウスの声に、2人は反射的に背筋を伸ばす。

フロントガラス越し、遠くに中央司令本部の屋根が浮かび上がっていた。


ここからまた日常が始まる。

けれどそれは、きっと以前と同じ日常ではない。


それぞれが、それぞれの覚悟を胸に。

2台の車はまっすぐに中央司令本部へと向かっていくのだった。

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