第17話 後編《寄り添う温度②》
しばらくして米を食べ終えたソニアが小さく一息つくと、ユリウスはサッと手を差し出す。
その手を見つめながらソニアは首を傾げた。
「えっと……?」
「俺が片付けておくから、お前はもう少し横になっていろ」
その言葉にソニアはフルフルと首を横に振る。
「片付けくらいできます!これ以上、クロイツァー大尉の手を煩わせるわけには──」
「大人しく寝ていろ。無理をしたら熱がぶり返すだろうが……」
呆れ気味にそう言うユリウスに、ソニアは渋々食器を渡して横になる。
黙々と後片付けをするユリウスを、しばらくそのままじっと見つめた。
(……やっぱり、私も手伝おう)
そう判断したソニアが身体を起こすと、ユリウスに声をかけられる。
「お前な、横になれと言っただろう」
「大丈夫です。お手伝いします」
そう言ってゆっくりと立ちあがろうとすると、忘れていた右足首の痛みが蘇る。
「痛っ……」
ソニアはそう小さく声を出して動きを止めた。
その様子に、ユリウスは瞬時に眉をひそめる。
「……」
無言で立ち上がると、ソニアの方へと素早く歩み寄るユリウス。
彼女のそばにしゃがみ込むと、鋭い視線を向けた。
「……靴を脱げ」
ソニアはその言葉に目を泳がせる。
「えっ?だ、大丈夫です。急に動いたから、ちょっと違和感が──」
「脱げ、ソニア」
ユリウスは彼女の言葉を遮って、少し強めの口調でそう告げる。
(ど、どうしよう……脱いだら、怪我のことが──)
そう内心狼狽えるソニアを余所に、ユリウスは彼女の右足にそっと触れる。
その瞬間、ほんの一瞬ソニアは痛みに顔を歪めた。
(全く、こいつは……)
ため息をつきながら、問答無用でソニアの靴を脱がせるユリウス。
彼女の右足首は明らかに腫れており、再び深く肩で息をついた。
「どこで怪我をした?熊に襲われた時か?」
「えっと、その……」
ユリウスはそう言い淀むソニアをじっと見つめる。
その視線を受けて気まずく思うソニアは、俯きがちに口を開いた。
「ここを見つける直前に、斜面で……」
「は……?斜面?」
「はい……あの時は雨が降り始めて、とにかく急がなきゃって焦ってて。でも、滑り落ちた時に右足をちょっと──」
「すぐに診せろ」
説明しようとするソニアを遮って、ユリウスは素早く彼女の靴下を取り去る。
足首には腫れと共に青黒い内出血が見られ、ユリウスは患部をじっくりと観察し始める。
(腫れが酷い……まさか、折れてはいないだろうな)
そう考えながら、足首周辺の数箇所を軽く圧迫していく。
その様子をソニアは少し気まずそうに眺め、そんな彼女にユリウスは声をかけた。
「ソニア、痛むか?」
「いえ、今触れられたところは大丈夫です」
「ここまでは、自力で歩いてきたんだな?」
「はい、そうですけど……」
ソニアの返答に、ユリウスは険しい表情を僅かに和らげた。
(となると、捻挫の可能性が高いか)
そう判断したユリウス。
干されていた包帯に手を伸ばすと、それをソニアの右足首に丁寧に巻き始める。
「全く……この足で歩き回った上に、処置もせず放置していたとはな。後遺症でも残ったら、どうするつもりだったんだ?」
真剣な表情でそう叱責するユリウスに、ソニアはシュンと俯いてしまう。
「すみません……」
「怪我をしたなら、早くそうと言えば良かっただろう?」
「その……心配をおかけしたくなくて。それに、ここからの出発のこともありましたし、大尉の足を引っ張るのも嫌で……」
徐々に声を小さくしながら言い訳するソニア。
ユリウスはため息をつきつつ手を伸ばし、ポンと軽く彼女の頭にその手を乗せる。
ソニアが少し驚いたようにおずおずと顔を上げると、彼女の碧い瞳をまっすぐに見つめるユリウスと目が合った。
「大尉……?」
「俺の足くらい、いくらでも引っ張ってくれて構わない」
「えっ?」
ユリウスの言葉に少し戸惑いつつ、ソニアも彼の緋い眼を見つめ返す。
ユリウスは彼女から僅かに視線を逸らすと、少し考え込んでから言葉を選びつつ口を開く。
「……俺は、常に後ろを見ていられる立場じゃないからな」
そこまで言うと、ユリウスは再びソニアと目を合わせてニッと笑った。
「お前が足を引っ張ってくれれば、俺はちゃんと気付いて振り返る。そうすれば、お前を置いていかずに済むだろう?」
その言葉に、ソニアは一瞬目を丸くした後、思わずクスクスと笑ってしまう。
「ふふっ……物理的に足を引っ張れってことですか?」
「今までも散々言ってきたが、そのくらいに俺を頼れということだ」
ユリウスはソニアの頭をくしゃくしゃと撫でながら続ける。
「ソニアが自分で何とかしたがるタチなのは、俺も十分過ぎるほど理解している。だが、俺たち軍人は基本的に単独で動くわけじゃないからな。自分にできないことは、できる奴に頼れば良い」
「でも、ただでさえ、私にはできることが少ないのに……」
悔しさと申し訳なさが混じったような表情で俯くソニア。
ユリウスはそんな彼女にやれやれと声をかけた。
「当然だろう。お前が優秀なのは確かだが……それでも、まだ軍大学の学生なんだ。俺とヴェルナーは士官養成過程をクリアしているし、他の3人だって同等の訓練はこなしてきている。ソニアと差があって然るべきだからな」
その言葉にソニアはハッと気付いたように顔を上げる。
それを確認したユリウスはそのまま話を続けた。
「それに、お前がついて来られないなら、俺がソニアに合わせれば良いだけのことだと思わないか?」
それを聞いたソニアは、一瞬目を見開いてから素早く俯く。
そんな彼女にユリウスは慌てて声をかけた。
「お、おい……ソニア?」
そう言いながらソニアの顔をそっと覗き込んだユリウスは、ピタリと動きを止める。
「……ぐすっ」
両目に涙をいっぱいに溜め込んでいたソニア。
涙がこぼれそうになり、必死にこらえていたが、ついに声を詰まらせてしまった。
内心やや焦りつつも、ユリウスは無言で彼女の涙を拭う。
ソニアは申し訳なさそうに口を開く。
「すみません……何だか、情けなかったり嬉しかったり、自分でもよくわからなくて……」
そう言うソニアの様子を伺うユリウス。
無言で彼女の背を軽くポンポンと叩きながら、かける言葉を探す。
「とりあえず、自分の気持ちに素直になれば良いんじゃないか?お前は普段から『自分はこうあるべきだ』と気を張りすぎだからな」
「素直に……」
ポツリとそう呟くと同時に、ソニアの目からポロポロと涙がこぼれ落ち始める。
グスグスと静かに泣く彼女の隣で、ユリウスは無言でソニアの頭を撫でる。
そんな彼の瞳は、温かさで満ちていた。
(大尉が隣にいてくれると、無理に背伸びしなくても良いんだって思える……何でだろう?)
頭の片隅でそんなことを一瞬考えつつ、ソニアは気の済むまで泣いた。
しばらくして泣き止んだソニアに、ユリウスは声をかける。
「気は済んだか?」
「はい……すみません、弱くなってしまって」
「色々あって、ソニアも混乱していたんだろう。体もまだ本調子じゃないしな」
ユリウスはそう言いつつソニアの額に手を当てる。
熱はすっかり平熱に戻ったようで、ホッと胸を撫で下ろした。
(とはいえ──)
そう考えながら、ソニアの足に目を向けるユリウス。
(この足では、少なくとも今日明日はここで過ごすべきだろうな。残りの食料のことを考えると、近場で何かしら調達した方が良いか)
そう判断して立ち上がろうとする彼を、ソニアは不安気な表情で見上げた。
「大尉?」
「食えそうなものを探してくる。ソニアはここで待っていろ」
「……」
無言で俯いてしまうソニアの隣に、ユリウスはしゃがみ込む。
「ソニア、どうした?」
「えっと……」
言い淀む彼女に、ユリウスは深くため息をつく。
「……言いたいことがあるなら、きちんと言え。自慢じゃないが、俺は察するのは苦手な方なんだ」
やれやれとそう言うユリウスを見上げて、ソニアは意を決して口を開いた。
「その……1人でここに残るのは、ちょっと怖いです。私もついて行って良いですか?」
「は……?」
ユリウスは一瞬呆気に取られたような表情を浮かべる。
「その足でついて来るつもりか?」
「ダメでしょうか……?」
そう言うソニアにやれやれと軽く呆れながらも、ユリウスの胸の奥には久しぶりに温かな喜びがじんわりと広がった。
ようやく素直に気持ちを伝えてくれたソニアに、ユリウスは思わずホッとしたように微笑む。
「全く、お前は無茶ばかりだな……それなら、食料調達は明日にするぞ。今日はレーションで我慢しろ」
「はーい……」
ソニアは苦笑いしつつ(明日はもっとマシなものが食べられると良いな)と呑気に考えるのだった。
その後、暇を持て余すソニアは、荷物の整理をするユリウスにおずおずと声をかける。
「大尉、あの……」
「ん?どうした?」
「昨日、入り口にかけていた魔術、お時間あれば教えていただけませんか?」
その言葉に、ユリウスは少し驚いて目を丸くした。
(まあ、そのくらいなら身体にも影響はないか……)
そう判断して首を縦に振る。
「わかった」
ユリウスは手を止めて立ち上がると、ソニアのすぐ隣に腰を下ろす。
(隠密魔術は、普段から使い慣れているだろうから──)
そう考えながら、ユリウスはどこから説明すべきなのかを簡単に頭の中で整理する。
「構造自体は割と単純だ。お前、何か書くものを持っているか?」
「はい」
ソニアは頷くと、荷物からメモと鉛筆を取り出してユリウスに差し出した。
それを受け取ったユリウスは、1枚のメモの上にいくつか図を書き記す。
その様子を横からじっと覗き込むソニア。
「あ、なるほど。範囲指定の探知魔術に、攻撃用魔術の発動条件を組み込んで……それを隠密魔術でカバーするって感じなんですね」
「そういうことだ。相変わらずソニアは理解が早いな」
「大尉の書いてくださった図が、わかりやすいからですよ?」
ソニアはそう言うと、サッと穴の入り口に手をかざした。
(えっと……氷魔術を組み込みながら、探知魔術を配置して──)
説明された展開順を再確認しながら、ソニアは魔術を組み上げる。
それを一気に展開すると、隣のユリウスは少し目を丸くして口を開く。
「お前……全部一気に展開したのか?」
「えっ?」
そう首を傾げるソニア。
(そういえば、大尉は魔術を1つずつ展開していたような……)
ハッと昨晩のことを思い出し、素早く頭を下げた。
「すみません、手順を間違えました」
「いや……間違えてはいない。組み上げてから1度に展開する方が、明らかに手間が少ないからな」
ユリウスの説明に(それなら、どうして大尉は……?)と疑問に思うソニア。
そんな彼女の心情を察したのか、ユリウスは真剣な表情でソニアに向き直った。
「……魔力量の問題だ。俺は、あれを一気に展開できる魔力量を持ち合わせていない」
「そうなんですか?」
ソニアの言葉にユリウスはコクリと頷く。
「俺は……というよりは、大半の人間はと言うべきだろう。なるほどな、ソニアは魔力量も人より多いのか」
ユリウスはそう言うとまじまじとソニアを見つめる。
「となると、他の小技や応用系魔術なんかも、遠慮なく叩き込めそうだな」
「他にもあるんですか?」
「当然だろう。例えば……魔力の譲渡とかな」
その言葉にソニアは驚いて目を見開く。
「魔力って、他の人に渡せるんですか?」
「ああ。実際やってみせた方が早いか……ソニア、左手を寄越せ」
「あ、はい」
言われた通りにソニアがユリウスに左手を伸ばすと、その手に彼は自身の右手をそっと重ねた。
その瞬間、重なった部分から微量の魔力が流れ込んで来るのを感じる。
「何の魔術でも良い。そのまま展開させてみろ」
「は、はい……」
ユリウスの手の温かさに、妙にそわそわしてしまうソニア。
気を取り直して、試しに横穴の入り口の方に向けて軽く氷魔術を放つと、すぐに違和感に気付く。
(魔力を消費した感覚が、全くないわ)
そう思いながら魔術を展開したはずの右手を見つめた彼女は、目を丸くしたまま隣のユリウスを見上げた。
「本当に譲渡できるなんて……信じられません」
「譲渡の意思がないと使えない小技ではあるが……いざという時には役に立つだろうからな。お前も覚えておけ」
そう言ったユリウスは魔力譲渡の仕方を細かく説明し、ソニアも一言一句逃さずメモに残す。
「なるほど……大体のやり方は理解しました。でも、こんな技があるなんて初耳です」
「他の連中には絶対に言うなよ?メーゲンブルク中将にもだ」
念押しするようなユリウスの口調に、ソニアは若干の不安を覚える。
「えーっと……ひょっとして、違法なものだったりするんですか?」
「いや、そういうわけでもないんだが……出所がな」
気まずそうに頰を掻くユリウス。
ソニアはそんな彼の様子に首を傾げ、ユリウスは言葉を続ける。
「フリードリヒから教わった小技なんだ」
その言葉に一瞬(フリードリヒって?)と考え込むソニア。
が、すぐにヴェルナーの兄であることを思い出した。
「あっ……そういえば、ローデ警部とはご友人なんでしたよね」
「そうだ。警察ではポピュラーらしいが、軍では使われてない技だろう?あれこれ詮索されると面倒だからな……」
「確かにそうですね。でも、そんな小技を私に教えて良かったんですか?」
そう疑問に思うソニアの頭に、ユリウスはポンッと手を乗せる。
「当たり前だ。ソニアは俺の弟子だからな」
「……ありがとうございます」
「礼は必要ない。ついでだ、他の応用系魔術もいくつか教えてやる」
「はい、よろしくお願いします」
ソニアはそう答えてメモを取る体勢を整える。
ユリウスはそんな彼女の様子を微笑ましく思いつつ、あれこれと魔術の使い方を教え込むのだった。




