65 有能な敵、無能な味方
ここは我々の知らない世界
我々がたどり着こうとあがいても、たどりつける事の無い異次元。
異次元世界や異世界と呼ばれるその世界のとある大都市、ソビエト社会主義共和国連邦の首都モスクワにあるクレムリンと呼ばれる宮殿がある。
帝政ロシア時代の文化を今に伝える、豪華な歴史的建造物であるクレムリン宮殿なのだが、その宮殿の奥深くで今、静かなる異変が始まった。
既にユーラシア大陸の高緯度地域は厳しい冬に突入しており、モスクワでも防寒服で身を固めた市民たちが、真っ白い息をもうもうと吐き出しながら街を行き交う中、クレムリン宮殿にあるソビエト共産党の中央委員会書記の執務室……つまりソビエト連邦の実権を握る最高指導者、キリール・ドロシェンコ書記長が面会している者の運命が劇的に変わろうとしているのだ。
執務机を前にして、ジャムをたっぷりと入れたロシアンティーの湯気で鼻腔を潤しているドロシェンコ書記長。彼の前に立つ中央委員会軍事部のビチャーチン部長は額に冷や汗を垂らしながら顔面蒼白の様子。
どうやら、ビチャーチン部長は書記長直々に呼び出されてこの場に立っているようだ。
「あれから三週間ほど経過したのだが、方針は決まったかね? 」
優雅なティータイムを楽しんでいたのだが、ビチャーチンに詰め寄る表情は固く、そして視線は鋭い。
「ど、同志書記長。申し上げにくいのですが、今現在も各方面の調整が終わっておりません」
「調整が終わっていない? 何か中央の方針に異を唱える者たちがいると言うのかね? 」
「い、いえいえ! そう言う訳ではないのですが……」
「ビチャーチン部長、私はあやふやな言葉でその場を誤魔化す人間が嫌いなのは知っているはずだ。君は今ほど“申し上げにくい”と言った。私に何か隠し事をしていると宣言したのと同じだよ」
この言葉にビチャーチンは震え上がる。
いくら法律と言うものが存在する法治国家だとしても、独裁者と法律を天秤にかければ独裁者が勝つ。法律とは名ばかりの化粧であって、その本質には独裁者による恐怖政治が裾野まで広がっている。
つまり独裁者に嫌われたらアウト、独裁者の機嫌を損ねればアウト、、、たった一人の独裁者のために、何百万、何千万と言う民が刀剣の上で死ぬまで踊らされるのである。
何故急に呼び出されたのかーー ビチャーチンには痛いほどの心当たりがあるのだ。
第二次世界大戦後、日本列島は東西に分けられ分割統治が始まった。
静岡から新潟県糸魚川市をまたぐ中央構造線を境界として、西日本側はアメリカなどの連合軍が統治する日本共和国が誕生し、東日本はソビエト連邦が統治するソビエト連邦日本自治州が誕生した。
そして時代は変わり、ソビエト連邦が侵攻を開始して日本共和国の歴史も潰えた。
日本共和国最後の巡空艦神州が、新たに誕生するリバティ・ギアのポータルと亡命者たちを乗せて多次元世界の辺境の地に旅立ったのだが、その行き先はまさに手付かずの希少鉱物が眠るフロンティア。リバティ・ギアのポータルもさることながら豊富な資源に目の色を変えたソ連は異世界日本に飛び付いて、そして失敗した。
第一次派遣、日本自治州の巡空艦を先行させて、ウラジオストク艦隊とリバティ・ギア・アレスを投入するも、アレスが破壊されて撤退。
第二次派遣、リバティ・ギア・ヘラとレニングラード管区軍とスペツナズを投入するも、ヘラは撃破され、派遣軍は帰る足を失い投降した。
本来ならばヘラは、敵地などの不利な条件下で洋裁の働きを示し、半年後に送る派遣軍の橋頭堡として異世界の日本海に投入された。
そして本格的な侵攻部隊が編成を始めて、巡空艦艦隊は次元境界跳躍のエネルギー充填を開始していたのだが、ヘラは投入後数日で撃破されてしまった。
もちろん、ヘラが撃破された事で計画は頓挫。六ヶ月後の本格侵攻は中止となったのだが、独裁者はそれを許さなかったのである。
ドロシェンコ書記長は思想をもって軍事戦略を策定する、共産党中央委員会軍事部の責任者に、新たなる作戦の立案と編成計画を命じていたのである。
ーーそれが遅々として進まず報告すらも上がって来ないので、ドロシェンコは業を煮やしてビチャーチンを呼び付けたのである。
「部長、確認としておさらいしておくが宜しいかね? 」
「は、はい! 」
「我がソビエトは自由主義陣営に対して敗北を絶対に認めない。それが我々の侵攻であってもね」
「はい、承知しております」
「そして我々X・Z軸世界にあるナチスドイツと長きに渡り闘い続け、資源の枯渇が危惧されている」
「おっしゃる通りにございます」
「我々に負けは無い、そして資源が欲しい。この単純な二点の理由をもって、第三次派遣の計画は立てられないのかね? 」
当局も第三次派遣を是として、作戦立案しているのですが……と、あくまでも歯切れの悪いビチャーチン部長。
だがドロシェンコは部長がしどろもどろになる理由に想像がつくのか、はっきり喋ろとは激発しない。ニヤリと口元に笑みを浮かべながら、部長に同情するような親近感を含ませて言質を得ようとする。
「うむ、分かる分かる。君の立場も分からんではないよ。ナチスドイツと睨み合っている異世界ヨーロッパ戦線から、共産軍のリバティ・ギア五体を引き抜く事は出来ない」
「各管区の司令官に要請を打診はしているのですが……」
「ふむ、要請を拒否されているのだろうね。当然、ウクライナやポーランドのワルシャワ条約機構軍と、彼らが有する北欧神三体も無理なのだろ? 」
「同志書記長のご推察通りにございます」
「ふむふむ、そして頼みの綱の中国人民解放軍とリバティ・ギア・盤古シリーズはインドとの全面戦争で、協力など元々望めない」
「……はい」
中国有するリバティ・ギア・盤古シリーズとは、中国神話における天地 開闢の創造神『盤古』が亡くなった後に、身体の部位が神々に昇華したと言う逸話を基本としたリバティ・ギアのシリーズ。青龍や白虎などの四神や盤古の五人の妻たちが産み落とした五帝龍王らもシリーズに入っている。
「同志ビチャーチン、君の思考はそこで停止しているのだろ? 」
「恐れながら。強権発動をもって計画も立てられるのですが、各管区軍の負担を考慮すると、戦線崩壊に陥らないかと……」
ふは、ふはははは! と、ドロシェンコは急に笑い出した。
ビチャーチンの真意が可笑しくて笑ったのには間違い無いのだが、その瞳はギラギラに輝いている。
ビチャーチンは命令を忠実に実行しようとするも、関係各所との調整に七転八倒して八方塞がりとなり、結果として本筋である命令遂行に支障をきたしているのである。
『誰の言葉が一番大切なのか』……それすら忘れて迷路にはまった犬を、あざけり笑う飼い主にも似ていた。
「同志ビチャーチン! 君は何かしら失念していないかね? 」
「し、失念……と申しますと? 」
「君が昨年の春に報告してくれた内容は実に興味深かったのだが、報告書を作成した君ですら、もう覚えていないと言うのかい? 」
椅子にゆったりと腰掛けながらも、凶悪なプレッシャーを放ち続けるドロシェンコ。ビチャーチンは蛇に睨まれたカエルのように茫然自失の状態だ。即ち、昨年自分がどのような報告書を上げたかすら、この場で思い出せなくなっていたのだ。
「君だよ君! 君が報告書を上げて来たんだよ! キューバの新たな後継者は、カストロ議長を超える好戦派だと」
「あっ、あっ! そう言えば」
「それに、現在キューバは中米各国の反政府ゲリラに援助するだけで、直接的な戦闘行為は行なっていないと言っていたじゃないか。つまりリバティ・ギアが余ってるんだろ? 」
「はい! 同志書記長のおっしゃる通りです。マヤ神話の神々、ククルカンなど四体のリバティ・ギアが温存されています」
「同志ビチャーチン、リバティ・ギアが温存されているなど、もったいないとは思わないのかね? 」
まるで放課後の職員室、赤点を取って呼び出された生徒が、こんこんと教師から説教を受けているような光景だ。
「キューバにはリバティ・ギアを出して貰う、我々の通常兵力と一緒に異世界日本へ行くのだ。そしてキューバにはその謝礼で経済援助を行う。良い話だとは思わないかい? 」
何と言う素晴らしいアイデアでしょうーーと ビチャーチンは自身の両手を握りながら必死になってうなづいている。
「それに、三度目の失敗は国として許されない。正攻法の作戦とは別に、策を練るべきだと私は思うのだが」
「策ですか、策と申しますと……」
もはやビチャーチンは単なる聞き手と化している。独裁者がアイデアをひねり出すのを、ただただ待っている木偶の坊だ。
「敵のリバティ・ギアがわずらわしい。契約者を排除出来るのなら、しておくべきだ」
「同志書記長、つまり暗殺チームを送ろうと? 」
「そうだね、先に1チームぐらい送り込んでも良いかも知れない」
「スペツナズに暗殺専門チームはありますが……移送手段がその……」
「確か日本自治州軍がポンコツ巡空艦を持っていたはずだ。あれなら敵にくれてやっても腹は痛まん。スペツナズを亡命者に紛れ込ませれば近付けるだろ」
いちいち感心するビチャーチンを尻目に、今言った内容を実現させてみよと命令するドロシェンコ書記長。目からウロコが落ちたかのように、喜び勇んで執務室から退出して行くビチャーチンに小さくため息を吐き出した。
「……有能な敵、無能な味方。世の中はなかなかどうして思い通りには行かないか」
執務机の引き出しをスラリと開ける。
中にはプッシュボタンも付いていない、表面がヌルリと輝く黒電話が。
ドロシェンコは受話器を取り上げて数秒、相手からの応答を待つ。
ーーああ、私だ。
回線が繋がったのか、ボソボソと話し始める。
ビチャーチンと会話をしていた時の明るさは消え失せ、冷酷さが滲み出る低い声で淡々と受話器の向こうに指示を出し始めた。
ーー中央委員会軍事部は総入れ替えだ、人選を始めたまえ。
ーーうん? 罪状など君の権限でいかようにもなるだろうが。西側の資本主義国家やナチスと通じたスパイ嫌疑あたりで上手くまとめたまえ。
ーー家族の処遇? 私がいちいち細かな決裁に煩わしい思いをしないために、君のポジションがあると思ったのだがね。まあ良いよ、家族は全員シベリアで。
クレムリンの深淵は灼熱のごとく赤く、それでいて冷酷なほどに冷たかった。
◆ スフィダンテ・マークⅡ その名は 編
終わり




