58 真衣香の受難
リトルナガサキ内にある犀潟宅に、居候が誕生した。
彼女の名はクラリッタ・アディントン、智也と同じ十六歳でイギリス系アメリカ人。
智也と同じくリバティ・ギアのポータルを左手の甲に宿す契約者ではあるものの、彼女が産まれたときから既に左手にあったと言う特異なケースの少女。
そして十六年間も機能を停止したままだったポータルが、今年になって突如動き出したと言う経緯を持って、彼女は智也の前に現れたのである。
二人の出会いは強烈だった
クラリッタから見れば、初めて会った瞬間にオーバーアクション気味にびっくりして自分でコケて、怪我の痛みに耐えられずゴロゴロと転がってのたうち回る智也は、慌ただしいコメディアンのように見えたらしい。
また智也から見れば、裸を見られてしまったとヒステリックになって智也を攻撃する事無く、輪をかけて更にさらけ出してしまうと言う、思春期の少年にとってはあまりにも刺激の強すぎる思い出を作ってくれた、甘美さを通り越した危険な毒のような存在だと認識していた。
とにかく服を着てくれと智也に勧められたクラリッタは、パニックも起こさずあっけらかんとしたまま、「そう言えば」と淡々と歩き出し新しい扉を開けて自分の部屋に消える。
何でそこに扉が付いてんだよおおお……と、くしゃくしゃの顔で呻く智也は、まるでギャンブルの勝負で絶望を垣間見てしまった、藤原竜也演じる映画のキャラクターのよう。
幸いにも左腕の傷が開く事は無かったが、混乱に次ぐ混乱に頭の整理が間に合わず、今にも泣き出しそうなその表情はとてもじゃないが情け無かった。
しばしの時が過ぎ、服を着て現れたクラリッタは改めて自己紹介する。
ーー自分もリバティ・ギアの契約者だが、ポータルが全く機能しないまま長い年月が過ぎた。だが三カ月ほど前に突如ポータルが動き出し、メッセージを発したのだと。
「ほんとびっくりしたのよ。もう私には無理なんじゃないかと思い始めていたから、もう舞い上がる勢いで喜んじゃって」
『クラリッタ・アディントンはリバティ・ギアの完全なる契約者となるを望むか? スフィダンテの系譜を紡ぐ新たな挑戦者となるを望むか? 望むのならばスフィダンテの心に触り当ポータルを完全起動させよ 』ーークラリッタの左手にあるポータルは、そう告げながら輝いたそうだ。
とりあえず麦茶を出してゆっくり話をする時間を作る智也。彼女の話を聞く限り、まだ起動していないその左手のポータルは、智也が駆るスフィダンテと密接な関係にあるようだ。
「しかし何だ? スフィダンテの心に触りって事は、スフィダンテのプレイヤー・ウィールに触れって事なのか? 」
「もう神州の艦長さんや空陸機動団の団長さんには挨拶は済ませてあるから、明日神州へ行きましょう。スフィダンテに触れたいの」
ーーいやまあ、それで何とかなるなら良いけど、スフィダンテのプレイヤー・ウィールって完全密閉状態だよな。触ろうと思って触れるものなのか?
納得出来たような出来ないような、微妙な表情で話を聞く智也。やがて腹の虫が盛大に鳴り始めたのか、クラリッタと一緒に夕飯を摂る事にしたのだがここでケチが付いた。備蓄していた食糧が残りわずかであるのに気付いたのだ。
「さすがにご飯パック一つにカップラ一個じゃ分け合う事も無理だ。しょうがない、買い出しに行って来るよ」
「待ってトモヤ、私も行く。あなたは怪我してるから荷物は私が持つし、街の様子も見てみたいの」
そう言う事ならとスーパーに買い物に出る二人。
ここが薬局、ここが中華料理屋さんだよと教えながら、並んで歩くクラリッタを横目にする。顔一つぶん背の高い彼女に引け目を感じながらも、その美しさについつい魅入ってしまう。
東欧などの草色がかった薄い金色ではなく、西欧のオランダやイギリスなどにいそうな濃い金髪が、彼女を格調高い品のあるレディに仕上げている。
緩やかなウェーブにまとめた金髪を支える細くて小さな顔としっかりとした目鼻立ちは、酢いも甘いも経験して来た淑女のそれと言うよりは儚げな少女の雰囲気を色濃く残し、それを飾る眼鏡が愛らしさを醸し出している。
この可愛いと綺麗を兼ね備えた少女が隣を歩いてくれるなら、世の男性ならばそれだけで舞い上がり自分を見失うであろう。だが、智也は心のどこかで何かが引っかかっているのか、素直に喜ぶ事も出来なければデレデレと顔を弛ます事もしなかった。
まだはっきりとはしていないが、彼女に対する圧倒的な違和感。それはクラリッタが、自身のポータルが動き出して喜んだと言っていた事。
何故ポータルが動き出すと嬉しいのか、神に託されたリバティ・ギアと契約する事が何故嬉しいのか、智也はそこに漠然とした恐怖を抱いていたのだ。
クラリッタにはクラリッタの事情がある。だが智也は彼女の生きて来た土壌を何も知らず、自分の経験を元にしながら判断せざるを得ないのが現状だ。
犀潟智也は、異世界ソ連軍がレアアース採掘基地を占領した際、そこに勤める父親を助けるためにスフィダンテと契約した。
また、採掘基地の地中深くに眠っていたスフィダンテは、智也が契約を拒むのであれば自壊モードを発動させ、半径三百キロ圏内を火の海にすると発した。
ーーこれが智也の契約の経緯だ。契約が嬉しかったなどとは欠片も思った事が無いし、その後に続いたのは荊の道である。彼女が言った「嬉しい」の言葉の底に闇を感じていたのである。
智也のその違和感は、あくまでもぼんやりとした感情であり、まだ明確な理屈や理論としては完成していない。いずれはそれがはっきりとした形で現れて、二人の間を切り裂くか、それとも結束を深めるかの二択に変わるのであろうが、とりあえず今は夕飯の買い出し。
リトルナガサキの軍属エリアで、上下スウェット姿で一人は金髪と言う……遠目に見ればヤンキーカップルのような二人が、スーパーに入って買い出しを始めた。
やっぱりアメリカの人はステーキ食べるの?
俺はご飯派でパン苦手なんだよね
私カレー大好き、日本に来てカレーにハマったの
お米も大好きだしトーフやナットウもヘルシーで好き
朝食はシリアルの方が軽くて良いなあ
それなりに仲良く会話を重ねながらカートを押す智也とクラリッタ。
夕飯時を過ぎる頃であり、買い物客もそれほど多くは無かったため、智也も他人の目を気にする事は無かったのだが、この時陳列棚の影から二人をじっと見つめる瞳があったのだ。
巡空艦神州のアイドルと呼ばれている、艦橋勤務の三人娘、マリィ・アップルトン、カーリー・エンフィールド、そしてプリシラ・パクストン・神谷に連れられて依田真衣香が来店していたのである。
(真衣香ちゃん、おでんパーティしようよ! )
三人から半ば無理矢理のお誘いを受けた真衣香は、渋々三人に連れられてスーパーへ。
やれ関東風だ関西風だの、やれ竹輪麩は必要なのかと騒ぎながら店内を回っていた時、真衣香はあのヤンキーカップルを見付けてしまったのだ。
「真衣香ちゃん、ロールキャベツ入れる? 」
「ねえねえ真衣香、がんもがあれば薩摩揚げいらない? 」
マリィやプリシラたちがそう問いかけるも、真衣香は肩をプルプと震わせながら無言のまま。棚の脇から遠くを見詰めて頭から蒸気を発しているではないか。
「どうしたの真衣香……ひいっ! 」
プリシラたちが小さな悲鳴を上げてしまったのも無理は無い。
“練り物だけじゃなくて果物も食べたい”と、食後用にリンゴを選んでいた真衣香が、そのリンゴを片手で掴んだままギリギリギリと完全に握りつぶしてしまったのだ。
可愛そうに、その日を境に真衣香には二つ名が付いてしまう。
命名『鉄の爪』……二代目フリッツ・フォン・エリックの誕生であった。




