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9-3

 ふかふかのパンに新鮮な野菜のサラダ。玉葱と根菜のスープ。少しだけ贅沢に分厚く切ったベーコンに乗っかったプルンとした半熟卵。

 今思い出すだけでも、どれも美味しかった。特にベーコンなんてここ暫く食べていなかったので、塩っけと熟成された肉の味がたまらなかった。


 我が家の家計のためにと加工されたものや高い肉類はあんまり買っていなかったせいで、肉に飢えている事が判った。自分でもそうなのだから、下の兄妹たちにはひもじい思いをさせているのではないかと思い至ったシドは、自分ひとりだけ良い物を食べたのは気が引けるので、今日は久しぶりにベーコンでも買って帰ろうかと考えていた。


 掃除もひと段落し、調理場で帰り支度をしながら、シドは今日の昼食を思い出して幸せな気分になりながらも、吐いたため息は心なしか重かった。

 結局、昼は広い調理場で一人寂しく食べた。リエッタは昼時にもかかわらず姿は見えず。さすがに使用人が食べて屋敷の主が食べないのは心苦しくなって、書斎に行きノックをして昼食が出来たことを知らせてみたが、中からの返事は無かった。


 扉の前に置いておくのも、埃がはいりそうなので諦めて引き返したのだが、シドはこの状態はどうなのだろう、と昼食を食べながら思った。


 確かに、自分は掃除係りが主な仕事だが、ヴァリアスの世話も一応まかされていたはず。しかし、この七日間ヴァリアスは一度も用事をいいつけてこない。


(これでいいのだろうか?)


 屋敷で働き始めてからほぼ毎日、一度はこの疑問で首を傾げている気がする。はっきり言わせてもらえば、こんな大きな屋敷で一人ボッチ状態。いい加減寂しくて泣いてやろうか、とぐれた気持ちになってきた。


 一人で静かな屋敷の中、もくもくと掃除をしているが、この屋敷にはお化け屋敷と言えるような品々や現象が多々起こるようなところだ。淋しいわ怖いわでトラウマがずきずき刺激される。シドの『不幸』の始まりにもなった大鷲誘拐事件では一晩ほど森の中で一人ぼっちだった。うっすらと、その時の恐怖を覚えているシドはどうも一人でいることが苦手だった。


「ぐれてやるー」

 やるせなくなって、棒読みの台詞が口から零れた。もう一度ため息を吐いて、シドはいつも持ってきている肩掛けの鞄を肩にかけた。

 掃除は一人でするには限界があり、ちっとも進んでいないように感じる。実際今日は二階の廊下の半分くらいが、それなりに綺麗になった程度だ。

 先輩メイドのはずのリエッタは朝に言葉を交わしただけで、それ以降見ていない。先輩なのだから、シドの掃除の進み具合を監督するのも仕事の一つのような気もしないではないのだが、先輩は結構自由な人のようだ。


「……あ、ちょっと自信喪失しそう」

 シシリー家の主夫をしている自分なら、屋敷の掃除くらい出来る。と考えていたが、実際にはどうだ。見たことも無い掃除道具や掃除の仕方。メイドに聞いて何とかできている自分に対して、役立たずに思えてきてしまった。


(神経は図太いほうだとおもっていたんだけどなぁ)


 そう、ある日、商店街のくじ引きで三等の商品券を当てた最高の幸運の帰りにどういうわけか明日の市場の肉屋に並ぶはずだった鶏を積んだ馬車が道にできた溝にはまって抜けなくなってしまい、ガッタンという反動で檻の扉が開いて一斉に大脱走。お決まりのようにシドを襲って商品券もシドもズタボロになった時だって「またか……」で項垂れてもすぐに復活したことがあるのに。 


「……あら、まだ帰っていなかったの?」

 ひょっこりと調理場の裏口からリエッタが顔を覗かせた。

「あ、リエッタさん。どこにいたんですか? 昼飯作ろうとしたとき、探したんですよ。いなかったんで、自分の分だけしか作らなかったんですけど……」

「え? えーっと。仕事していたに決まっているじゃない」

 リエッタは少し慌てたように言いながら、シドの傍に近づいた。

「そうなんですか? ……あれ? そういえば、僕リエッタさんと昼食を一緒にとった覚えが無いんですけど、ちゃんと食べてます?」

 よくよく考えてみると、食材の減りがかなり少ないような気がして、リエッタも食べているのかシドは気になってきた。

「え? ええ。食べているわよ~」

 あからさまにリエッタは視線を外した。

「ほんとうですか~? まさかとは思いますけど、ダイエットとかで昼食を抜いていたりしてませんよね? だめですよ。過剰なダイエットは身体に毒なんですから」

 じとっと疑いの眼差しをリエッタに送ったシドに、当の彼女は一瞬虚を突かれたようなキョトっとした表情になり大きな瞳をぱちくりさせた。それから、ぽんと手を打った。

「そ、そうそう。ちょっと今ダイエットしていてね~。ほら、あれ? 昼間は果物を中心に食べているのよ。自分で持ってきたやつを。だから、パンとかは食べないのよ~」

「そうなんですか?」

 今度はシドがきょとんとした。女性と言えばダイエットとか美容とかに気をつけている。と考えたシドは結構当てずっぽうで言っただけだったのだがあたっていたことに驚いた。それに、リエッタはシドの目から見てダイエットが必要なほどふくよかには到底見えないのに意外だと思ったのだ。


「そうよ。……なあに、シドってばもしかして、私と一緒に食事をしたいの?」

 艶っぽい声で言われ、シドはかぁっと頬が熱くなるのが分かった。

「ち、違いますよ。いえ、その、違わないかもしれないのか、これ? じゃなくて、火を使って食事を作るんなら、一緒に作ったほうが薪代とかかからないかなって思っただけで。決して変な意味ではないですよ!」

 シドは顔を真っ赤にして、慌てて大仰な手振りと上ずった声で弁明した。

 あたふたしているシドは雰囲気が随分と子供らしくて可愛い。リエッタは微笑ましそうにくすくすと微笑を零し、口元を軽く手で覆った。

「ひどいですよ、リエッタさん!」

 年上の女性にからかわれて、恥ずかしいやら。シドは耳まで赤くして文句を言った。

「あはは! ごめーんシド君てば可愛いー」

 ついには、リエッタは腹部に両手を当てて、大笑いしだした。


 居た堪れなさを感じ、シドは一寸唇を尖らせて不満を表したが、すぐに子供っぽいと思い付き唇を元に戻した。

 喉の奥で消えない不満を小さく唸ってから、シドは口を開く。

「ちょっと心配していたのに……」

「あはは。すっかり言うのを忘れちゃっていたのよ。この通り、ごめんね」

 顔の前で手を合わせて、リエッタはすまなそうな表情で謝罪を口にする。大笑いした後だからか目元にうっすらと涙が溜まり、楚々としているがどこか可憐に見えて、シドの心臓がドキッと跳ねた気がした。

「ま、まあ、僕もちゃんと聞いておけばよかったんですけど、てっきり使用人は全員一緒に食べるものだと思いこんでいたので、こちらこそ、なんだかすみません」

「……うーん。本当なら、使用人は使用人専用のホールとかで一斉に食べたりするんだけど、ほら、ここはそういうの当てはまらないからねぇ」

 言外に、人が居なさ過ぎる、と文句を言いたいのだろうか。リエッタは苦笑して困ったように肩を軽くすくめた。


「そうなんですか。判りました。じゃあ、リエッタさんとはお昼は別で、作らなくていいんですね」

「そうね。それで、お願い。私がいなくても、好きに食べちゃって」

 シドは頷いて了承した。

「ところで、帰らなくていいの?」

 リエッタが不思議そうに聞いてくる。シドが、ふと視線を窓の外にやると、すでに夕暮れ時が近づいてきていた。屋敷での仕事の時間はもう終わっている。

 帰ろうか、と考えたシドだったが、夕暮れを見つめていたら一つ今朝から考えていたことが頭を過ぎった。


「そうだ。リエッタさん、ちょっと意見を聞きたいんですが……」

「なあに?」

「実は……」

 段々と言葉が小さくなり、二人は近づいて耳打ちするようにこっそりと言葉を続ける。

 リエッタはシドの話が進むにつれて、目をくりくりさせた後、にんまりといたずらっ子のような笑みを浮かべた。

「ふふふ。そうね、じゃあ……こんなのは、どうかしら?」

 シドの相談が終わった後、少し考える素振りをしてから、リエッタもシドに顔を近づけて小声になる。話が続くにつれ、シドとリエッタの口元には深い笑みが刻まれていった。

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