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あれは、いったい何なのだ。
ヴァリアスは自分の思考回路が正常に働くなったかもしれない、とここ三日間位ずっと悩み続けていた。
突然やってきた新しい使用人。己相手にまともに仕えようとは考えてはいないだろうと当たりをつけていた。それが、ヴァリアスにとっての正当な回答だからだ。今までは。
きっと、一日で持たない。もしくは、適当に屋敷のどこかで暇をつぶして、何日かすれば消えているに違いない。
いつもの型通り、ヴァリアス自身には何事も無く、周りには甚大な被害を及ぼして、使用人という名の存在は自分の知らぬ間に消えていくものだとばかり思っていた。
だのに、どういうことだ?
ヴァリアスは何度目かも面倒くさくなって数えることをやめた自問自答を繰り返す。
なぜ、あの使用人は私に近づこうとする?
なぜ、あの使用人は私の不吉な呪いを責めない?
なぜ、なぜ……働き始めたその日に納屋が壊れたときに、言った。『この屋敷で働けるのが幸運』……と。
「ふ……」
ヴァリアスの嘆声が、半夜も過ぎた静寂の中に零れ落ちた。
書斎の窓辺にたたずみ、額を冷え切った窓に添え、その冷たさを堪能して頭を冷やそうと努力してみても今回の使用人が何を考えているのか、ヴァリアスには見当もつかない。
屋敷の主である彼は、二年前から住み、いい加減見慣れたはずの闇に覆われた庭に迷うような視線を向けてもう一度ほそい息を吐いた。
他人のことなど、どんなに考えても分からないもの。
この世に生を受けた瞬間に決まってしまった、自分の運命の意味も。
なんど思考しても、これといった明確な答えはいまだに導き出せない。
組んでいた腕をはずし、窓から額を離す。右手をそっと、自分の目線へと持ってくる。
革の手袋をした右手。
いっそのこと夜の闇と同化して見えなくなればいい。
埒も無いことをちらりと考えてから、ことさらゆっくりと、手袋をはずしていく。勿体付けているわけではなく、できることなら、視界に入らなければという願いを込めながら、自分の目線より少し上に持っていき、雲に翳って霞んだ月の光が差し込む窓辺にかざした。
ヴァリアスの右手の甲には、銀の鈍い光が形をもって奔っていた。植物の鬼灯を簡略化したような形が三つ、それぞれ一辺が重なり合うような図柄。その周りには蔓のような文様が囲っている。その蔓は腕に向かって巻きつくように伸びていた。
この紋様を消す方法が無いか。一度ならず考えたことがある。
――どうあっても消すことのできない鎖だが……
自らを皮肉るように鼻で笑い、ヴァリアスは遠い日を思い出すように、視線を空中でさ迷わせた。
ヴァリアスが周りにいる人間達が自分を警戒していると気がついたのは、物心ついてすぐの頃だった。
最初、なぜ皆怖い顔をして自分の一挙一動を注視しているのだろう、と不思議に思っていた。その不思議も、人の言葉に耳を澄ませていれば、簡単に分かった。本来、十五歳前後にならなければ浮かんでこないはずの『紋章』と言う、フェリアス国民に与えられた祝いの魔法。時折、生まれてすぐに浮かび上がる子供がいるが、その子供の祝いの魔法は誰よりも強力だといわれている。
ヴァリアスもその一人だった。そして、過去に二例かしかいない、呪いの魔法を与えられた子供でもある。
『紋章』はフェリアス国を建国したとされている、半神半人の初代王が崩御する際、国民が天災などの国難にあっても僅かでも一類の希望がありますようにと、父である神に祈り、発動させた。フェリアスの国民でなおかつ、その土地に住んでいるものであれば与えられる守護。けれども、ヴァリアスが与えられた『紋章』は二つ。それもめったに無いことだったが、その二つは「呪」と「絶対防御」という祝いの守護。
呪いと祝福を生まれたときに授かって生まれてきたのだ。
「呪」は力が強すぎた。そのせいで、自分自身を含めて、自分の周りの人間に、命が危うくなるほどの呪いが常に発動し、かけられている状態だ。それでも、自分だけが無事なのはもう一つの『紋章』である「絶対防御」が「呪」をさえぎっているため。だから、自らだけが無事でいられ、周りの人間に被害が出る。それに気がついたのは、八人目の重傷者が出て、ヴァリアスの周りに誰も近づかないようになった五歳頃のときだったか。
(己に向けられる視線が、化け物を見ているようだと、言いえて妙なことを言われた時は、あまりに納得できて、笑い出した覚えがあるな……)
腹を抱えて笑う、と言う行為がその時、その場面で適切だったかどうかは、今もってヴァリアスに指摘した人物には甚だ疑問視されているが、自分ではとてもすっきりした。だから、笑えたのだと思う。
昔を思い出しても、どうにかなるわけではないのに、何故、何度も思い返しては、自分の行動や周りの人間の行動に理由をつけたくなるのだろう。
ふと、遠くを見ていた視線が雲に隠れて細くなっていく月の光を目の端で捕らえた。ヴァリアスは軽く頭を振って過去から今に思考を戻し、忌々しげに右手の甲を睨みつけた。
「呪」の紋章の鬼灯のような形が、まるで己をあざ笑うかのように光っている気がしてくるからだ。そうしたところで、『紋章』が消えることも無いのに、睨みつけずにはいられない衝動に駆られるのは何度目か。
『紋章』が何なのか分かってからは、なるべく一人でいるようにしている。二年前、己にふさわしいほど朽ち果てそうな屋敷を父親に紹介されたときも、おとなしく入った。いっそのこと、この屋敷が「呪」で崩れて、「絶対防御」が発動しないで、自分自身を押しつぶしてくれたら、どんなに……と願ったことか。
「……思ったところで、この錘のような気持ちが晴れるわけでもなし」
つぶやき、右手を握りこぶしにし、額に当て、眉根を寄せ苦悩の表情で何かを耐えるかのように、しばらく微動だにしなかった。
風が窓をカタカタと鳴らす。庭に生えている葉の擦れる音が、ヴァリアスの耳を素通りする。
誰もいない、静寂の気配を少しの間、肌で感じていたヴァリアスは耐えていた何かが、喉の奥に引っ込んで入ったような気がした。
大きな吐息を一つ吐くと、頭の中をかき回していた答えの出ない疑問が落ち着いてくる気がした。
「……そういえば、何も食べていなかったな」
朝から使用人がいて、書斎から出られなかった。まあ、書斎からは隣の寝室に直接つながっている扉があるので、食以外に不自由はないが、さすがに、そろそろ何か腹に入れたい。
空腹を自覚すると、腹も現金なもので、何かよこせと抗議しだす。
ヴァリアスは肩を竦めて、窓の外の夜の闇を一瞥してから、書斎を出て行った。
廊下は不気味に静まり、生き物の気配は何一つ無い。なれた足取りで早足で歩き、玄関ホールの階段を下りて、食料がおいてある調理場へと向かう。
そういえば、使用人は自分がいた書斎近くを掃除していたな、と思い出したヴァリアスは調理場の手前で足を止めた。
自分の近くにいればいるほど、「呪」の魔法の効果が上がる。もしかしたら、使用人は明日は来れないかもしれない。
「……それで、いいではないか」
ポツリと零した言葉に、瞬間的にヴァリアスの心の中に戸惑いが広がった。
「…………一人でいいではないか。使用人など要らぬ」
いいながらも、ヴァリアスは自分の胸が苦しくなるのを感じて、右手で胸のあたりを掴んだ。
(今までだって、人とかかわらなかった。これからも、かかわらない。それだけのこと……)
なのに、あの使用人が自分の「呪」のせいで大怪我をする可能性があることが苦しい。
『今日のお昼、何か食べたいものはありませんか?』
使用人に言われた言葉がふと浮かんできた。
あんな当たり前のことを言われたのは、初めてだった。
しかも、昼間になったら扉もノックされた。もしかしたら、本当に昼食を持ってきたのかもしれない。立ち上がるのが億劫で無視をしていたら直ぐにいなくなったが。
あそこまで近づいたもので、次の日まで無事だったものは今まで誰一人としていない。だから、近いうちにきっとあれもいなくなるだろう。そう考えると、目じりがきゅっと伸縮する感じがした。
重く感じる足をゆっくりと動かす。目を伏せ湧き上がっては消えていく感情をどうすればいいかも分からないまま、ヴァリアスは調理場へ足を踏み入れた。
今までは、誰も使わなかったために寂しげにみえた場所だったのに、いつの間にか、調味料や食器などが綺麗に整頓され、どこから引っ張り出してきたのか、壁には果物かごとたくさんの果実が縫われた小さなタペストリーが飾られて、暖かさがにじみだしてた。
あの使用人のやることは、ヴァリアスを戸惑わせる。
生活観がありすぎて、落ち着かない。ヴァリアスは何か食べるものを探したら、すぐに書斎に戻ろうと首をめぐらせると、机の上に一枚の布がかけられていることに気がついた。
「……なんだ?」
近づくと、その布は下に何かがあるみたいで、でこぼこと膨らみを持っている。ヴァリアスは疑った表情のまま、その布をそっと手にとって捲る。
「あれは、いったい何なのだ」
使用人に対しての疑問がまた、湧き出してきた。
ヴァリアスの右手の甲が淡く光っていたが、彼は動揺していて気がつくことは無かった。




