第一話 夢三つ
練馬区立梅ヶ丘小学校六年一組の教室で、輝樹は窓際の後ろから二番目の席に今の体格のまま座り、小さな机の下へ脚を押し込んだまま、教壇の佐伯課長が出席を取る声を聞いていた。
「河瀬ー。河瀬いないのかー」
間延びした課長の声。
ふと窓の外を見ると、夜の海が広がり、波の黒い面にアザラシが両手に腕輪をはめてこんにちはしているのが見える。
その一方で、教室の蛍光灯は何事もないようにこうこうと白く点いていた。
なんだこれ。
夢じゃないか。
左手に、コップがあった。
目が覚めた。
甲州街道を、初台の方からクソでかい金属のような玉が転がってきて、車も街路樹も看板も巻き込みながら大きくなり、輝樹は新宿駅の方へ歩道を逃げ走っていた。
あの交差点はJR新宿駅南口だ!あそこへ行けば助かる!
妙な確信と、しかして振り返る余裕はなく、前へ出すはずの左手だけが妙に重く、腕を振るたびに手首が引かれた。
左手が振りづらかった。
見ると、祖母にもらった白い持ち手付きのコップを握っていた。コップには黒いくまが印刷され、持ち手の上部と飲み口の一部が欠けていた。
つまり。
左手に、コップがあった。
なんで俺、こんなもの持ってる?
……夢か。
目が覚めた。
M大学経済学部の四年生で、経済原論の講義を取っているはずなのに、教室へ向かう途中で、輝樹は自分がその授業に一度も出ていないことを思い出した。
二学期が始まってからもう一ヶ月が経っていて、卒業まで四十単位足りず、今から全部出ても間に合うのか計算しようとして、何から数えればいいのかも分からなくなった。
他の授業にも一度も出ていなかった。
出席の足りない科目がいくつあるのか、単位を落としたら卒業が何年延びるのか、卒業式にも出られず、内定だけが先に消えるのか、考えるほど先の予定が全部ずれていった。
卒業できなかったら就職はどうなる。内定先に何て言えばいい。
家に帰って親に話すより先に会社へ連絡するべきなのか、採用を取り消されたら来年もう一度就職活動をするのか、その前に大学へ何を頼めるのか、いや、そもそも入社できないなら何をどう説明すればいいのかと考えたところで、輝樹の思考が止まった。
会社?
俺、M大を卒業して、もう五年働いてるだろ。
左手に、コップがあった。
また。
目が覚めた。




