第24話 いつもと同じのようで、いつもと違う
ナーチャンが辺境調停官補佐として赴任してから、二週間が経った。
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朝。
ユージが朝食を食べていると、控えめなノックの音が三回響いた。
「おはようございます、ユージさま」
「……はいはい、空いてるのでどうぞ」
「失礼します」
ナーチャンがそう言って入って来た。
派手ではないが、品のあるビジネススーツ。
背筋の伸びた、凛とした姿勢。
小脇には手帳型の書類ボード。
時間は、きっちりいつも通り。
「わざわざ毎朝迎えに来てもらわなくても、大丈夫だよ」
「仕事ですから」
「他に急ぎの仕事とかないの?」
「ユージさまの補佐が最優先タスクです」
「やれやれ…」
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さっそく、二人で村を回る。
まずは倉庫。
以前なら、誰かが声をかけてきて、
「これ見てくれ」「ちょっと聞いてくれ」と始まったものだ。
だが今日は違った。
作業効率が、目に見えて上がっていた。
ユージが感じた問題点が、見事に改善されている。
「……あ」
ユージが足を止めると、
倉庫の中にいた男たちが、一瞬だけ動きを止めた。
「おはようございます!何かありましたか?」
そう聞かれる。
「いや、別に」
ユージが首を振ると、
男たちはほっとしたように作業に戻った。
(……聞きに来ないな。というか、これなら指摘は必要ない)
以前なら、配置がどうだの、在庫がどうだの、
雑談交じりに話を振られたはずだ。
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次は畑。
水路の様子は良好。
作業も手慣れている。
「調停官さま、おはようございます」
挨拶は丁寧。
だが、そこで終わりだ。
誰も、畝の端に呼び止めない。
誰も、「これでいいか?」とは聞いてこない。
(……水の流れが良くなっている。
俺が指摘したところだけでなく、全体的にスムーズになっている。
全部、自分たちで考えたのか?)
それ自体は、悪くない。
むしろ、望ましい。
だが、間違いなく以前とは違う。
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さらに歩く。
子どもたちが、木剣を振っていた。
以前なら、
「ユージさん見てー!」
「これどう?」
と、わらわら集まってきた。
だが今日は、
ちらり、とこちらを見て、
すぐに練習に戻る。
(……遠慮されてる?)
いや、違う。
遠慮というより――
俺のアドバイスをしっかり守って、地道に反復練習をしている。
皆真剣に、一心不乱に木刀を振るっている。
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「……」
ユージは、歩きながら小さく息を吐いた。
問題はない。
むしろ、村は非常にうまく回っている。
それは、小さな変化だった。
だがしかし、確実な変化だった。
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「次、どこに行きますか?」
隣を歩くナーチャンが言った。
「……いや、今日はもういいだろう」
「帰るとするか」
「はい」
ナーチャンは、何も言わなかった。
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夜。
焚火の前。
ユージは持ってきた瓶を軽く振ってから、言った。
「子供らが採ってきた山ぶどうを潰して漬けこんだ酒だ。
まあ、高級酒って訳じゃないが、半月ほどで飲める
あんたもいっぱいどうだ?」
そう言って、杯を差し出す。
「いただきます」
ナーチャンは一瞬だけ香りを確かめ、静かに口をつけた。
「……酸味が先に来ますね。甘さは、ほとんどありません」
少し間を置いて、もう一口。
「ですが、雑ではない。喉を過ぎると、ちゃんと酒です」
ユージも飲む。
舌の横がきゅっと締まり、すぐにほどける。
「強くはないな。でも、焚火の前だと、ちょうどいい」
腹の奥が、じんわりと温まった。
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ぱちり、と薪が弾ける。
焚火の音だけが続く。
風が、火を揺らす。
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「なあ」
ユージが、ぽつりと言った。
「なんか、村の人たち、変じゃなかったか?」
ナーチャンは、杯を持ったまま頷いた。
「よそよそしいっていうか……距離がある」
「以前は、もっと雑だった」
「なんでもすぐに聞きに来たし、すぐに頼って来ていた」
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ナーチャンは、静かに答えた。
「それは、あなたという存在が大きくなり過ぎたためだと思いますよ」
「……は?」
「同時に」
言葉を重ねる。
「あなたの意向を敏感に感じ取り、
あなたに頼らず、自ら考えるようになってきた」
「つまり?」
「自立しようとしている。
彼らの変化は、その裏返しです」
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焚火の向こうから、声がした。
「その通りでございますな」
村長だった。
「調停官殿に頼れば楽です。
ですが、それではいけないと、皆が思い始めた」
「自分たちで決め、自分たちで責任を取る」
「ありがたいことです」
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「……」
ユージは、困ったように頭を掻いた。
「俺は、そんなつもりじゃなかったんだけどな」
「ええ」
ナーチャンは頷く。
「だからこそ、です」
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その夜。
簡素な風呂。
これも、ユージが「風呂が欲しい、こんなやつ」と言ったら、村人が作ってくれたものだ。
湯に浸かりながら、ユージは一人考えていた。
(自立、か)
(だったら――)
湯気の向こうで、焚火の音が遠くに聞こえる。
(……そろそろ、村を出る頃合いかもな)
そう思った、その瞬間だった。
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「ユージさま」
戸が開く音。
「お背中、お流しします」
バスタオルに身を包んだナーチャンが、桶を持っていそいそと入ってきた。
「――は?」
次の瞬間。
「うわっ!?」
盛大に足を滑らせ、
ひっくり返り、
湯の中で意識が遠のいた。
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「……あらあら」
ナーチャンは、湯気の向こうで小さく首を傾げる。
「ふふ……うぶなんですね」
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こうして。
村の夜は、静かに更けていった。
村は、自分の足で立ち始め、
男は、次の場所を考え始めた。
だが――
それを許すかどうかは、
まだ誰にも分からない。
焚火の余熱だけが、
夜の空気に、いつまでも残っていた。




