第199話 静かな異変
「……暑い」
ユージは。
机に突っ伏していた。
「暑すぎる……」
温泉旅行から帰って。
数日。
ユージア国では。
連日の猛暑が続いていた。
「温泉地は涼しかったのになあ」
ユージは。
額の汗を拭った。
「戻ってきたら、これかよ……」
隣では。
ナーチャンが。
いつもと変わらぬ涼しい顔で。
書類仕事をしている。
「お前、よく平気だな」
そう言われて。
ナーチャンが顔を上げた。
「アイドルは、汗なんかかかないので」
「…………」
「ただ」
ナーチャンは。
何事もなかったように続けた。
「確かに、このところ暑いですね」
「お前、アイドルだったの?」
「…………」
「噂の塩対応アイドルとか?」
ベシッ!
「い、痛い……」
ユージは。
叩かれた頭を押さえた。
「アイドルが人を叩くなよ……」
「気のせいです」
「叩いたじゃん!」
「気のせいです」
「強引過ぎだろ!」
ナーチャンは。
すでに何事もなかったかのように。
書類へ視線を戻している。
「しかし」
ユージは。
再び机に突っ伏した。
「これじゃ、一日中サウナに入ってるようなもんじゃねえか」
思い出す。
温泉宿のサウナで。
タケシトと。
意味のない我慢比べをしたことを。
「…………」
「なんで金払って、あんなことしてたんだろ」
「今さらですか?」
「今さらです」
ユージは。
部屋の隅で。
何やら図面を眺めているリシュンを見た。
「おい、リシュン」
「なんだ?」
「プール作ってくれよ!」
「リーダー」
リシュンは。
呆れた顔で答えた。
「俺は土建屋じゃねえぞ!」
「似たようなもんだろ?」
「全然違う!」
「いいじゃん」
「でっかい穴掘って、水入れればいいだけだろ?」
「そんな簡単なもんじゃねえ!」
「そこをなんとか」
「自分で穴掘れ!」
「暑いから嫌だ!」
「俺だって暑いわ!」
「二人とも」
ナーチャンが。
静かに口を挟んだ。
「遊んでいる場合ではありません」
「遊んでないよ」
「プールは重要だよ」
「リーダー」
「なんだよ」
「諦めろ」
「ちぇっ」
ユージは。
再び机に突っ伏した。
だが。
暑い。
とにかく。
暑い。
そして。
考えてみれば。
最近。
おかしいのは。
暑さだけではなかった。
「そういやさ」
ユージは。
窓の外を眺めた。
「最近、雨も変じゃない?」
「はい」
ナーチャンが答える。
「雨の降らない日が長く続いたかと思えば」
「突然、大量に降ることがあります」
「だよなあ」
少し前にも。
空が突然。
真っ黒になった。
そして。
まるで。
空の底が抜けたような雨が降った。
「そもそも」
ユージは。
首を傾げた。
「ここって、荒地だったんだよな?」
「そうですね」
「雨が少ないから」
「苦労して山から水引いたんだよな?」
「はい」
「それが今じゃ集中豪雨って」
ユージは。
両手を広げた。
「どういうことよ?」
誰に聞いているのか。
本人にも。
分からない。
「それだけではありません」
ナーチャンが言った。
「ん?」
「河川の水位が上がっています」
「川?」
「はい」
ユージは。
少し考えた。
「ああ」
「それ、例の集中豪雨のせいじゃないのか?」
「いえ」
ナーチャンは。
首を横に振った。
「一過性のものではないのです」
そして。
机の上の書類を一枚。
ユージの前へ置いた。
「雨が降っていない時でも」
「以前より高い水位が続いています」
「つまり」
「基本的な水位そのものが、上昇しているのです」
「…………」
ユージは。
身体を起こした。
「なんで?」
「分かりません」
ナーチャンは。
淡々と答えた。
「ただ」
「山から流れ込んでくる水量が」
「以前より増えているようです」
「山から?」
「昔」
リシュンが。
図面から顔を上げた。
「魔王軍の魔導砲で開いた水路だよ」
「ああ」
ユージも。
思い出した。
かつて。
何もなかった荒地に。
初めて。
水が流れ込んだ時のことを。
山脈から流れ出した。
雪解け水。
その水が。
土地を潤し。
畑を作り。
人を呼び。
やがて。
この国を作った。
「そこから来る水が」
リシュンは続けた。
「増えてるんだ」
「へえ」
ユージは。
窓の向こう。
遠くに見える山々を眺めた。
「暑いから」
「雪解け水が増えてんのかな?」
「可能性はあるな」
「だったら」
ユージは。
少し安心したように笑った。
「水不足の心配はなさそうだな」
「そうとも言えません」
ナーチャンが。
すぐに否定した。
「なんで?」
「基本的な水位が高くなったことで」
「集中豪雨が発生すると」
「河川が短時間で危険な水位に達するようになっています」
「すでに」
「各地で河川の決壊による被害が多数出ています」
「マジで?」
「はい」
ナーチャンは。
別の書類を取り出した。
「現在」
「堤防の強化を急いでいます」
ユージは。
書類を受け取った。
そこには。
河川の決壊による。
農地や家屋への被害が。
いくつも記されていた。
「堤防の方は?」
ユージが聞く。
「もう始めてる」
リシュンが答えた。
「ただ」
「全部を一度に強化するのは無理だぞ」
「そりゃそうだよな」
ユージは。
もう一度。
窓の外を見た。
雨が降らなかった。
だから。
水を引いた。
水が来た。
土地が潤った。
作物が育った。
人が集まった。
そして。
国ができた。
それなのに。
今度は。
水が多すぎるという。
「なんだかなあ……」
ユージは。
頭を掻いた。
「少なきゃ困るし」
「多くても困るのかよ」
誰も。
答えなかった。
窓の外では。
強い日差しが。
街を照らしていた。




