第156話 帝国の少年 ジン 後編
酒場。
遊び人は杯を傾けながら笑った。
「それで?」
「その小僧は、今度は何をやらかした?」
商人は豪快に笑う。
「やらかしたって言うより、俺たちの常識をひっくり返しやがったんだ。」
◇
数日前。
港では、いつものように商人たちが忙しく働いていた。
船から荷を下ろし、市場へ運び、店先に並べ、客へ売る。
その全てを、一人の商人がこなしている。
その様子を眺めていたジンが、不思議そうに首を傾げた。
「なあ。」
「何でみんな、一人で全部やってるんだ?」
商人たちは怪訝そうな顔をする。
「何言ってんだ、坊主。」
「商人だからに決まってるだろ。」
「船も動かす。」
「荷物も運ぶ。」
「店でも売る。」
「全部できなきゃ商売にならねぇ。」
ジンは少し考えると、ぽんと手を叩いた。
「だから人手不足なんじゃん。」
「……は?」
「船を動かすのが得意な人は、船だけ動かす。」
「力自慢は荷物だけ運ぶ。」
「商売上手な人は店番だけする。」
「全部得意な人を探すのは難しいけど、一つだけ得意な人を集めるのは、わりと簡単だろ?」
商人たちは顔を見合わせる。
「でもよ。」
「儲けはどうする?」
「みんなで分ければいいじゃん。」
ジンは笑って答えた。
「一人で全部やって一しか稼げないなら。」
「三人で分業すれば四になるぜ。」
「一人分、余計に儲かるんだから、みんな得だろ?」
港が静まり返る。
誰もそんな発想をしたことがなかった。
「おっと。」
「そろそろ戻らないと、また教官に怒られるや。」
ジンは荷物を肩に担ぐ。
「じゃあな!」
そう言って足早に去っていった。
残された商人たちは、しばらく呆然としていた。
やがて一人が口を開く。
「……しかし、なんだな。」
「あの小僧の言ってることにも一理ある。」
「ちょっと仲間内で相談してみるか。」
「ああ。」
「試すだけなら損はねぇ。」
◇
酒場。
商人は杯を飲み干した。
「実際に試してみたらよ。」
「坊主の言う通りだった。」
「荷物は早く片付く。」
「魚は新鮮なうちに売れる。」
「売り上げも伸びた。」
「港のみんなが儲かるようになった。」
遊び人は静かに笑う。
「なるほどな……。」
「面白ぇ小僧だ。」
教官も苦笑する。
「訓練さえ真面目なら、申し分ないんですがね。」
遊び人は立ち上がった。
「今日は面白い話が聞けた。」
「酒も旨かった。」
「じゃあな。」
そう言って夜の港へ消えていく。
教官と商人は顔を見合わせた。
「変わった人だったな。」
◇
数日後。
皇帝執務室。
一通の書簡が届けられた。
「ユージア国より、人材育成事業への協力要請です。」
家臣が頭を下げる。
「各国より、将来有望な若者を一名ずつ派遣していただきたいとのことです。」
ペーターは書簡を読み終えると、静かに笑った。
「面白ぇ。」
家臣が続ける。
「我が国からも、優秀な訓練生を選抜いたします。」
その瞬間。
ペーターの脳裏に、一人の少年の姿が浮かんだ。
見慣れない漁具を売る姿。
孤児院へ魚を運ぶ姿。
港の商人たちへ分業を説く姿。
そして。
どれも心の底から楽しそうに笑っていた。
ペーターは、にやりと笑う。
「おい。」
「訓練生で、いつもサボって金儲けしてるジンって奴がいただろ?」
家臣は首を傾げる。
「……ジン、ですか?」
「存じません。」
「教官を呼べ。」
◇
しばらくして、教官が皇帝私室へ案内された。
「失礼いたします。」
扉を開けた瞬間、教官は固まる。
「……え?」
机の向こうに座っていたのは。
数日前、酒場で酒を酌み交わした、あの遊び人だった。
「ま……まさか……。」
教官の顔から血の気が引いていく。
「へ、陛下!」
「その節は、大変失礼いたしました!」
ペーターは声を上げて笑った。
「はっはっは!」
「そんなことはいいのだ。」
「酒も旨かったしな。」
教官は恐る恐る顔を上げる。
ペーターは笑みを収めた。
「それより。」
「其方が話していた、ジンという少年のことだ。」
「ジン……ですか?」
「ああ。」
「あいつをユージア国へ送れ。」
教官は目を見開く。
「し、しかし陛下!」
「あいつは訓練をサボってばかりの問題児で……。」
ペーターは首を横に振る。
「問題児?」
「違うな。」
「あいつは、軍人に向いていないだけだ。」
一拍置いて続ける。
「優秀な兵士なら、この国にも山ほどいる。」
「だが。」
「国を豊かにできる人間は、そうはいねぇ。」
教官は息を呑む。
ペーターは静かに微笑んだ。
「俺は皇帝だ。」
「人を見る目だけはあるつもりだ。」
「商売をしながら、新しい漁具を作る。」
「新しい仕組みまで考え出す。」
「利益を孤児院へ還元する。」
「そんな小僧を、この国だけに閉じ込めておくのは惜しい。」
「ユージなら。」
「あいつの才能を、もっと大きく育ててくれる。」
教官は深く頭を下げた。
「……承知いたしました。」
こうして。
帝国一の問題児は。
皇帝自らの推薦を受け、ユージア国へ旅立つことになったのである。




