エッセイ 戦争
【戦争】
軍事学者クラウゼヴィッツ曰くの「政治の延長」。余りに有名な比喩表現ですがこれは「戦争論」中で論じられる大戦略という机上の理想空間でのみ実現する特殊解であり、一般則としては誤りです。即ち、関与する複数者による実力行使の相互作用が実現する結果としての社会的事象、並びに現象がその答えとなります。光が周波数により電磁波や紫外線といった変質を示す様に、現象として可視化されれば一般的な武力衝突、不可視状態では情報戦として社会に作用します。
【戦史概観】
蓄財の成果を外部から収奪する原始経済の従構造として発生し、やがて発達した国家が両者を従え、国際関係での戦勝、講和条件に於ける賠償金の獲得という外交、同時に経済活動の原動力として利用されます。ナポレオンの登場により国民戦争(総力戦)が出現しますがモデルは変わらず第一次世界大戦まで継承され、二次大戦で破綻します。国境線の引き直し程度で治まっていた事業が、核まで用いて敵対プレーヤーを破壊してしまっては戦勝による回収は不可能です。形態も20世紀後半からは地域紛争へと変容し軍隊の主任務は治安活動に、主戦力は特殊部隊とする低脅威度戦争に移行します。代わりに世界規模まで拡大した量的変化は経済活動に特需を与え、戦場を国外に限定する事に成功した米国は大成功を収め軍産複合体なる都市伝説を胚胎するに至ります。無論、戦争の副次的経済効果は当然にして純粋な経済活動に大きく劣り、イデオロギーに名を借りたヘゲモニーを戦う米ソ両雄は国力を吐き出し続けてまずソ連が倒れ、緩みきったドルがデフォルト(ニクソンショック)を経てプラザ合意に達し、これを尻目に経済へ特化した日本が台頭したのは歴史の必然です。冷戦の終息と東西両陣営による世界に対する不安化工作の後処理として、上述通りに現在も各地で継続する不正規、非対称戦の詳細については単なる時事ですのでここでは割愛しますが、地域的な民族主義の台頭と、宗教紛争は四千年近く繰り返される命題です。
【将来展望】
社会と戦争の関係については既に各項で語り尽くした感もありますが具象として一歩踏み込みます。兵器単価の高騰に代表される様に、現代の戦争は完全に大赤字です。山田正紀の傑作ポリティカル・フィクション「虚栄の都市」は軍隊の運用を指して、札束を焼いて沸かしたお湯でカップ麺を喰う、と実に的確にこれを直喩します。人命は更に暴騰し、兵士、士官の育成維持コストは10年単位で減価償却可能な耐用年数を持つ正面装備の比ではありません。技術が実現せしめる戦場の無人化圧力は現在進行形で、もはや必須にして逆行はあり得ません。前線と指揮中枢は実現可能範囲の最大限に於いて着実にその距離を拡大し続け、無限遠の投射能力を有する情報戦力は正に実戦と表裏一体となり前線、後方、銃後といった区分を無効化し全世界を標的とします。その将来像については既に、量的、質的な表層の差異も内戦という本質は違えないと要約する通りで、時々の戦争は作者が規定する社会構造に準ずるのみです。
【軍事行動】
国家意思の決定、戦略は不戦を包含しスイスはこれを二次大戦で完遂しました。軍隊、戦力の運用は作戦行動と総称され、戦場での勝敗は戦術の優劣で決します。常勝不敗とは比喩であり勝利にも戦力消耗は必須です。国力に劣る陣営が最終的には敗北しますので講和の機会は重要です。
最後に、小川一水「時砂の王」を紹介します。時間戦争を描いた恐らく唯一の作品です。敵対陣営は歴史改変では無く、過去の時間軸に向け戦力投射を行い、人類存在の可能性を時間軸上から抹殺して行きます。後手に回った人類はやはり過去に向け現在から増援を投入しますがその“現在”は着実に蝕まれ、過去を失い消滅していくのです。戦場は銀河宇宙から遂に古代地球の邪馬台国まで後退します。果たして人類は。