第40話 少女たちの旅路、その終着点
本日は2話(?)更新となります。
こっちが第1章最終話です。
身体の感覚がない。
視界はあやふや。真っ暗闇と言うわけではないが、眼前の景色どころか色そのものを知覚することができない。
水の中に浮かんでいるような、不思議な感覚。思考は曖昧で、それこそ今にも溶けてなくなりそうな……
――あれ、アタシいったいどうしたんだっけ?
記憶の糸を手繰ろうとして、失敗した。
頭の中が霞がかっていて、何ひとつ思い出せない。
そう、自分の名前すら……
名状しがたい恐怖に精神を支配されそうになったその時、上方から白い光が降り注いだ。
唐突な変化に吸い寄せられるように、あるいは縋るようにソラへ手を伸ばし、そして――
★
うっすらと目蓋を開けると、天井に設置された蛍光灯の光が目に痛かった。
「……知らない天井だわ」
気だるげにそれだけ口にして、蒼い瞳を左右に揺らす。
清浄な天井に静謐な室内。ピッピッと規則的な電子音がリズムを刻んでいる。
枕元に立っているポールから点滴の管が伸びて――自分の腕に突き刺さっていた。
理沙は、このシチュエーションには見覚えがあった。
「病院?」
自分の口から零れた単語を耳で拾って納得する。
そう、この光景は病院だ。自分は病室のベッドに寝かされている。
そこまで理解して、違和感に眉をしかめる。
『病院』というさほど珍しくもない単語が……何故か落ち着かない。
――病院ですって?
おかしい。
自分はなぜこんなところにいるのだろう?
生まれてこの方15年、大病を患ったことも、大きなケガを負ったこともない。
そもそも自分は闇が支配するダンジョンにいたはず。つい先ほどまで特盛のモンスターと戦っていた……はずだ。
地球アップグレードなる現象によって生み出されたフィールドは、とてもエキセントリックな世界で、自分たちはとてもエキサイティングな日々を送っていて……
だと言うのに、今の自分はやけに現代的なベッドに横たわっている。
今の理沙の視界にはファンタジーを構成する要素なんてひとつもない。
これは……つまり……
「あれ……夢?」
夢。
その単語が実にしっくりくる。
天変地異。
空に響く謎の声。
いきなりダンジョンに放り込まれて。
巨大なオークに追いかけられて。
しゃべる黒猫に助けられて。
ゴブリンと戦って。
自分以外にもダンジョンに放り込まれた人間を救助して。
ふたりと一匹でパーティを組んで探索して。
自衛隊と一緒にモンスターの大軍を撃破して。
その全てに現実味がなく、まるで長い長い夢を見ていたような感覚。
「夢……あれは、夢だったの?」
言葉を重ねれば重ねるほど、脳裏に浮かぶビジョンが色褪せていく。
足元がグラついて崩れ落ちるような焦燥に駆られ、上体を起こそうとして――全身に激痛が走った。
『激痛が走った』などという表現が……つーか、これはヤバい。めちゃヤバかった!
「あぎゃ―――――――――!!!!!!」
年頃の乙女として色々と問題のある絶叫と共に悶絶。
ベッドの上を転がりまわり、点滴の針が外れて大参事。
白いシーツが朱に染まってスプラッタ感が増した。混乱が加速する。
そんな有様だったから、トントンとノックされたドアの音に気付かなかった。
「更級さん、目が覚めたの……って更級さ―――ん!?」
びっくり仰天した看護師に取り押さえられた理沙は、余りの痛みに失神してしまっていた。
★
再び目を覚ました時、理沙の枕元にはふたつの人影があった。
片方は白衣を纏った、いかにも医者でございと言った男性。
もう一方は先ほど理沙の身体を押さえつけた看護師。
「目が覚めたかね?」
医者が眼鏡をくいっと持ち上げつつ尋ねてきた。
既に一度目を覚ましていたのだが……理沙は先ほどの件をスルーすることに決めた。
少女的にあの醜態はなかったことにしたかったからだ。
――テイク2、アクション!
「えっと……アタシはいったい……」
か細くヒロインらしい口調で尋ねてみる。
一人称は『私』の方が良かったかもしれないなどと、かなりどうでもいいことを考えながら。
「調子はどうだい? どこか痛いところやおかしなところはないかな?」
「全身が……物凄く痛いです」
素直に答えた。スルー出来ない現実だった。
身体に関するアレコレで医者を相手に嘘をついても、ロクなことにならない。
このシチュエーションで適当なことを言ったところで、後で後悔するのは自分自身だ。
「ははぁ、それは仕方がないな。えっと……オークだっけ? どえらいモンスターを倒すために相当無茶をしたそうじゃないか」
――オーク。
目の前の生真面目そうな医者はナチュラルに『オーク』という単語を口にした。
それが樫の木を意味する『オーク』でなければ、あとはファンタジーゲームでおなじみの豚面の魔物ぐらいしか思いつくものがない。
と言うことは……
「アタシ……あれ、ダンジョン……夢じゃない?」
「夢じゃないよ。君たちは自衛隊に救出され……いや、正確に言うならば自衛隊を助けて地上に帰還したんだ」
ここは鷹森市の総合病院、その特別病棟だと医者は答えた。
鷹森市在住の理沙も名前ぐらいは聞き知っている。
実際に足を踏み入れたことはなかったけれど。
「何はともあれおめでとう。『更級 理沙』君、君たちは無事にダンジョンを脱出することができたんだ」
「無事に……脱出……」
ひとつひとつ単語を拾い上げていくと、まるで夢としか思えなかった頭の中の映像がどんどんとつながっていき、それが現実のものであったという実感が湧いてきた。
長い長い闘いの日々。その記憶が色鮮やかに蘇ってくる。口を閉ざした少女は、やがて長く長く息を吐いた。感無量だった。
「そっか、アタシたち脱出できたんだ」
理沙の脳裏に残されていた最後の記憶は、地下15階でオークの大部隊を撃退した後、自衛隊の女性――内藤二曹に背負われていたあたりまで。
『コスプレ:じゃがーのーと』のスキルを併用して大きな力を生み出した反動で、理沙はまともに動けなくなってしまったのだ。
あそこから地上まで、いったいどのようにして帰還したのだろう?
何事もなかったなら良いのだが……
「……瑞希、瑞希はどうしたの? ほかの自衛隊の人たちは!?」
再び身体を跳ね上げて、痛みに悶絶してベッドに逆戻り。
医師と看護師は、そんな理沙に柔らかい苦笑を向ける。
「理沙、目を覚ましたって!」
乱暴に開かれた扉。
涙目(自業自得)で見上げると、そこに立っていたのは共にダンジョンを踏破した相棒のひとり。
動きやすいようにポニーテールに纏められていた艶やかな黒髪は、自然な感じで背中に流されていて。
身につけているのは、剣を振るいやすいようにと地下で買い揃えた装備ではなく、年頃の少女らしい清楚な白のワンピース。
遠目に見てもわかるその生地の薄さに『そう言えばもうすぐ夏か』と場違いな想いに囚われる。
すらりと伸びた身体、首の上に鎮座する整った顔立ち。黒目勝ちの瞳を潤ませて、頬を朱く染めていて。
「瑞希、無事だったの?」
「それはこっちの台詞なんだから! 理沙がこんなことになるなら、私が戦えばよかった!」
勢い込んで突撃してきた瑞希はそのまま理沙の小さな身体を抱きしめて――理沙は絶叫と共に意識を失った。
★
「ごめんなさい」
三度目に理沙が目を覚ました時――枕元では瑞希が頭を垂れていた。
いつかもこんなことがあった気がする。
「いや、別に気にしないで」
「……怒ってない?」
「怒ってないから」
「本当に?」
瑞希が近い。吐息が頬をくすぐる。甘い香りがした。
病み上がりのせいか、頭がクラクラしてくる。
これは良くない。何が良くないのかはわからないが、とにかく良くない。
全身の痛みに耐えながら、理沙は軽く頷いた。
「よかった」
ようやく距離を開けてくれた瑞希に、なぜかホッとした。
――なんだったのかしら?
理沙は内心で疑問に思うも……とりあえず後回しにすることにした。そんなことよりも地上脱出の話が聞きたい。
蒼い瞳を三人に向けて話の先を促す。
理沙がボスっぽいオークを討ち果たしてから今まで何があったか、早く教えてほしかった。あまりに気が気でなさすぎる。
瑞希と医師は視線を交わし、互いに頷きあい――そして瑞希の口からこれまでの経緯が語られた。
オーク撃退後、程なくして意識を失った理沙を守る形で救助部隊は無事に地上への脱出に成功。
懸念されていたインプは、持ち込まれていた銃で片っ端から撃ち落としていったとのこと。現代文明の面目躍如であった。
ほかのモンスターは瑞希をはじめとする人間チームの敵ではなかった。オーク軍団を討伐してレベルアップした影響と思われる。
ダンジョンを抜け出してすぐ、理沙だけでなく瑞希もそのまま病院に放り込まれ、見たこともないような機械をふんだんに用いた様々な検査を受けることになった。
2か月以上もの間、ダンジョン深層という未知の世界に身を置いていた理沙たちが、地上の人間にとって有害な物質を身体に宿している可能性を考慮してのことだった。
瑞希は病原菌扱いされたことに不満を覚えているようだけど、理沙としてはその対応が誤っていないことは認めざるを得ない。どうせ意識がないときの話だし。
バイオハザードの類は、ちょっとした油断から始まってあっという間に世界中に広がる。パニック系サバイバルホラーのお約束だ。警戒度マックスで当たるのは正しい。
結果は――特に異状なし。
比較的状態が安定していた瑞希は数日で退院。
理沙は意識が回復しないまま個室に移され、丸一週間ほど眠り続けていたと言う。
「もう目を覚まさないんじゃないかって心配したんだから」
「それはその……ゴメン」
「別にいい。怒ってないし」
「……本当に?」
さっきとは逆のやり取りに、ふたりしてプッと噴き出した。
平和な世界に戻ってきたことを実感する。
「更級君のご両親には、君が目を覚ましたことは連絡済みだ」
もうすぐここにやってくるだろう。
話の切れ目を窺っていた医師が、割り込んでくるなりそんなことを言いだした。
思わず医師に疑念の視線を投げかける。言葉も口を突いて出てしまった。
「パパとママが? 今、日本にいるの?」
理沙の記憶の中にいる両親は、毎日のように世界を飛び回るとても忙しい人たちだった。
夏と冬、年に2回の聖地巡礼を除けば、3人が一堂に会することは極稀。それが更級家の当たり前。
そういう家庭で育ってきただけあって、両親がすぐにやってくると言われてもピンと来ない。
「君がダンジョンに消えてからもうすぐ3か月が経過しようとしている。おふたりとも、その間ずっと日本にいて君のことを案じ続けていたよ」
その言葉に理沙は己が耳を疑った。
俄かには信じがたい。
「だって……ふたりとも仕事が」
なおも言い募る15歳の娘に、白衣の医師はため息ひとつ。
「仕事と娘とどっちが大事かと問われれば?」
「……アタシ?」
理沙の言葉に、医師は眼鏡の位置を直しながら頷いた。
「何度かお会いしたけれど……心の底から娘の安否を心配していた。仕事なんて手に付かなかったんじゃないかな」
「ほんと?」
「そんなに疑うのなら、直接話を聞けばいい」
多分に呆れを含んだ言葉と同時に個室のドアが開かれた。
部屋の外に立っていたのは――すらりとした人影ふたつ。
スーツ姿の男性と、煌めく金髪が眩しい女性。
どちらの顔も、理沙はよく見知っていた。
震える唇から、掠れた声が零れる。
「パパ……ママ……」
「理沙、理沙ッ!」
両親はゆっくりと歩み寄ってくる。
その顔を見るのは3か月ぶり――ではなく半年ぶり。最後に会ったのは昨年末。
理沙の記憶の中のふたりと比べると、顔立ちはそのままだけれど、どちらもよれよれで、憔悴していて……
でも、その顔に浮かんでいるのは満面の喜び。その眦に浮かんで、頬を伝って流れ落ちるのは透明な輝き。
少女の視界も涙でぼやけ、言葉にできない感情が胸の奥から喉をせり上がって――溢れかえる。
「理沙……よかった……無事に帰ってきてくれて、本当によかった」
「理沙……理沙……私たちの理沙……理沙ッ!」
「パパ……ママ……ただいま。アタシ、アタシ……」
『ただいま』と口にした瞬間、理沙の中に張り詰めていた糸が切れた。
平和な世界で何ひとつ不自由なく暮らしてきた少女は、世界が変わったあの日からずっと陽光射さぬ地下迷宮で戦い続けてきた。
幾度となく己が命をチップに代えて、生と死の狭間で博打を繰り返してきた。
頼れる仲間がいても、支えてくれる妖精がいても、理沙は心のどこかで常に不安を抱えていた。
叫び出したくなるほどの恐怖や絶望するほどの悲嘆を、なけなしの勇気で塗りつぶすことによってバランスを取ってきた。
仲間たちとの友情の日々もまた、大いなる助けになってくれた。でも……綱渡りのような日々だった。
毎日、精一杯強がった。今までに触れてきた沢山の漫画やアニメ、ゲームの主人公を真似て振る舞ってきた。そうでもしないと、とても己を保てない。
バラバラに砕け散りそうだった理沙の心を繋ぎ留めてきた糸が――緊張の糸がぷつんと切れる音が胸の内から耳朶を打ち、黄金の少女の理性を決壊させた。
「パパ、ママッ!」
それ以上は言葉が続かなかった。
更級家の3人は身を寄せ合い、抱きしめあった。互いの存在を確かめ合う様に。
そして――誰に憚ることなく大きな声を上げて再会に咽び泣いた。
4月1日から唐突に始まった長い長い少女たちの旅。その結末は……誰もが認めるハッピーエンドで幕を下ろした。
これにて第1章完結となります。
お楽しみいただけましたならば幸いです。
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応援、どうかよろしくお願いいたします。マジで!
目に見える形で応援いただけると、ほんと大きな力になりますので!
書き慣れないクレクレは置いといて……
これよりしばらく書き貯め期間に入ります。詳細は活動報告に記載する予定です。
第2章は暫くお待たせ……したくないなぁ。鋭意執筆中!
とにかく、これからも頑張ります!




