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32話 蚊帳の外

 依頼した内容について彩芽さんから連絡があったのは、実に二週間ほど経ったあとのことだった。


「――黒井、今回の件からは手を引きなさい」


 そして、いつものようにのらりくらりと入った事務所で言われた無情な言葉。


「手を引けってどういうことですか?」


 彩芽さんの言っていることがわからず怪訝な視線をむけるが、彼女の表情は変わらず。


「君ならわかるはずた。私たちが依頼を断念する理由を」

「つまり、“終わらせてはいけない”ということですか?」


 おそるおそる口にした回答。それに彩芽さんは深く頷く。


 終わらせ屋は、何でもかんでも言われるがまま人間関係を終わらせていいわけじゃない。終わらせることでしか助けられない人たちのために終わらせるからこそ職業として名乗れる。


 それは終わらせ屋としての言葉なのか、彩芽さんとしての言葉なのか知らないが、とかく、俺は彼女にそう教えられた。


 つまり、今回のことは終わらせてはいけないメリットがあるということ。


「理由を聞いても……?」

「もちろん、これは君からの依頼だからね?」


 彩芽さんはふっと表情を緩めて優しくそう言った。


「君が探してる女性だが、依頼した探偵事務所のほうから連絡があってね。いま住んでいる場所はわかった」


 言いながら大きめの茶封筒を俺に見せてくる彩芽さん。その中に結果が入っているのだろう。


「それと、その女性には私から会いに行った」

「え?」


 いや、それに関しては何もおかしなことはない。寺田さんに俺が会いに行ったのは、元々彩芽さんの仕事を俺が手伝いに行っただけだったから。


 俺が驚いたのは、日々正体不明のご多忙に奔走する彩芽さんが! 高校生である俺にすら高校生としてあるまじき仕事を押し付けてくる彼女が! 自分からわざわざ動いたという点。


「君は……なにやら失礼なことを考えていないか?」


「気持ちが顔に出ていましたか? 俺はどうやら嘘を吐けない少年みたいですね……。そんな嘘も吐けない純粋無垢な少年に対して、これまで危ない仕事を幾度も押し付けていたんだからため息の一つもでますよ、はぁ」


 わざとらしくため息を吐くと、彩芽さんは呆れた顔で俺を見た。


「私は、君ならやり遂げられると信じた仕事しか君にはさせていない。……毎回そんなふうに思っていたのか」


 彼女の視線が鋭くなったのを感じた俺は、報復が行われないうちにさっさと話題を進めてしまうことにする。


「つ、つまり、その女性との接触は俺には過分だったってことですか?」


「もしも最悪の憶測通りなら、彼女は頼まれて浮気相手を演じたことになる。そんなことを、嘘も吐けない純粋無垢な高校生の少年なんかに喋るはずがないだろう?」


 それから彩芽さんは「まあ、彼女が一目惚れするほどの絶世の美男子だったならペラペラ喋ってくれる可能性はあるが……」と言ったあと、俺を品定めするように見てから鼻で嘲笑(わら)った。


 どうやら、報復は行われたらしい……。だから、この人は結婚できないんだろうなぁ。もったいない。


「話はわかりました。それで、彩芽さんは聞き出せたんですか?」

「ああ。やはり憶測通りだったよ。残念ながらね」


 そんな問いに対し、淡々と返された答えには驚くしかなかった。


「ほんとですか……?」

「そう言っただろう。それとも、もっと分かりやすく言ったほうがいいかね?」


 呆然とする俺に彩芽さんは続ける。


「当時、彼女は金に困っていたらしい。そんな時ある男から話を持ちかけられたそうだ。「金を払うから寺田という男と不倫をしてほしい」と」


 それは……とっくに予想していたことだった。そして、だからこそ俺は彩芽さんに依頼をした。


 しかし、それが真実だったと目の前で肯定されると、信じられないと自分の心が訴えかけてくる。


「どうした? やはり、純粋無垢な少年には聞かせるべきでない事だったかね? そんなこと、この仕事を通じて嫌ほど見てきただろう?」


 なおも彩芽さんは淡々と続ける。そして、どこか俺を咎めているようでもあった。


 たしかにそんな汚い闇を俺はこれまでいくつも見てきた。というか、終わらせ屋にくる人たちはそんな利己的な人間のほうが圧倒的に多かった。


 それでも、俺は願ったのかもしれない。


 新浪の今ある家庭が、そんな闇によって作り出されたものではありませんように、と。

 彼女の不幸が悪意ある意図によって作られたものではありませんように、と。


 そうでなけば許せないから。


「……じゃあ、逆じゃないんですか?」


 喉から出てきた声は思ったより冷めていた。


 彩芽さんは何も言わず、俺の言葉を待っている。


 だから、俺は観念をして、浅く深呼吸をしてからその言葉を放ってやったのだ。


「手を引くんじゃなく、むしろ、悪者は倒さなければいけないんじゃないんですか……?」


 怒りで声が震えていた。それでもなんとか言い終えると、再び深呼吸をして彩芽さんを見つめる。


 彼女は黙っていた。事務所内には重苦しい沈黙が続いた。


 そして、永遠にも思える時間のあと、ようやく口を開いた彩芽さんの言葉は、とても軽い一言。


「――それはね、君がまだ高校生だからだよ」


そして、これこそがこの作品を2年も放置していた理由になります。

申し訳ありませんでした。

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