25 未完成な告白
運命や偶然なんてものは、きっと俺たちが思うよりもずっと単純なのかもしれない。
だからこそ、考えてしまう人間はそいつらに足下をすくわれる。
奇跡なんて簡単に起こるはずがないと、堅実に生きれば生きるほど、考えた結果は裏目に出てしまう。
それはもう……笑ってしまうほどに。
◆
ライブが終わって施設を出たとき、俺と新浪は仲良さげに歩く敏伸さんと倉沢さんを目にした。
上手くいったのかはわからない。
だが、彼は彼女の新たな一面を知り、彼女は彼に歩み寄ることができたはずだ。
それは当初の予定通り偶然に見せかけた必然で、きっと違和感はなかっただろう。
成功。そういえるのかもしれない。
「……帰ろっか」
寂しげに言った新浪に俺は無言で頷く。
辺りは既に暗く、夜風が吹き始めていた。
遠くの高層ビルに設置された航空障害灯が、静かに点滅をしながら存在を主張している。
ライブの熱気はすっかり冷めていて、まるで別世界に紛れこんでしまったかのよう。
それでも人々は当たり前のように行き交い、俺たちもその当たり前に紛れ込む。
「これで良かったんだよね」
帰りの電車の中で新浪が呟いた。
答えていいのか迷ったが、「あぁ」と返しておく。なんとなく……あの二人のことだけを言ったわけじゃない気がした。
その後は、ただ無言のままに揺られていて、車窓に反射する新浪の表情はじっと何かを考えているようだった。
なぜ、こんなにも重苦しいのかを俺は理解していた。
理解しているからこそ、自発的に喋ろうとは思えなかった。
たぶんそれは新浪も同じで、俺たちは気づいてしまったからこそ無言を貫き通す。
明確な理由はまだわからない。
だが、俺と新浪は明らかに周りから浮いていた。
それは最初から承知していたはずなのに……俺と新浪さえもがすれ違っていて、そのことに疎外感を覚えてしまったのだ。
だから、俺は聞くべきなのだろう。
新浪に「今日は何のつもりでライブにきていたのか?」と。
無論、俺は依頼を成功させるためだった。
敏伸さんと倉沢さんを引き合わせるため。ただ、それだけのために様々な準備をしてきた。
だが、新浪は違ったのだろう。
そして、新浪自身もそのことに気がついていなかったんだと思う。
だから、彼女は途中で気づいてしまい元気をなくしたのだ。
その答えを、今の新浪はおそらく持っている。
今日何のつもりでライブに来ていたのかを、彼女は自覚しているはずだ。
俺はそれを聞き出せず、新浪は言い出さない。
聞いてしまえば簡単なのに……言ってしまえば終わることなのに……俺たちは敢えてそれをしない。
何故だろうか。
それすら俺は考えないようにした。
考えれば、推理してしまうから。
そして考えつくその答えは、恐ろしく傲慢な妄想だとわかっているから。
新浪がしてきた"まるでデートのような格好"。
彼女が俺に求めた"ただライブを楽しむだけの態度"。
それらを繋げると、ひどく男足る痛々しい勘違いができあがってしまう。
それを答えとしてしまったら、俺は新浪を今までのようには見れなくなる。
だから……聞けなかった。
それとは違うはずの答えを聞きたいのに、自分からは喋れずにいた。
そうして過ごした電車の中、行きとは逆の順路で乗ったバス。
俺は、既に無言を決め込んでいて別れの挨拶だけはしっかりしようと心に決めていた。
それで今日は終わり。
そう……決めたはずだったのに。
「次は、ありのままの黒井くんがいいな」
新浪家までの道の最中、彼女はそう言った。
次は。
「依頼とか関係なく、普通の黒井くんがいい」
それはどういう意味で言っているのだろうか。
いや、どんな意味にしたってそれは俺自身に向けられた前向きな発言であることに変わりない。
「そんなこと言ってると勘違いするぞ」
「勘違い?」
「あぁ、男は単純だからな? そんな思わせ振りを言われるとすぐにその気になる」
「それ、勘違いじゃないよ」
「……え」
驚いて足を止めてしまった。
そんな俺を見て、新浪はふふんと笑い小走りで追い抜いていく。
そして、数メートル先でひらり。
「ねぇ? これって運命だと思わない?」
夜に融けたワンピースが舞う。
「私の家庭を滅茶苦茶にした終わらせ屋が、私の前に現れた。私はその終わらせ屋にした復讐をしようと思ったのに……彼はどうしようもなく善人だった」
ワルツ……というダンスを見たことあるわけじゃないが、なんとなく、それに近いような気がした。
普段の新浪からは想像できない。
というより、ガードレールに体当たりした彼女とは思えない。
「善人……ね」
皮肉を込めて吐き出した。
まるで、唾でも吐くかのように。
「今日さ……わかったんだ。私は終わらせ屋について知りたかったわけじゃないってことに」
風が止む。
いや、最初から吹いてなどなかった。
「でも、それはそうなの。最初に見せてもらった依頼、あれでだいたいのことは分かったから……」
彼女の言葉はどこか足りない気がした。まるで一人で喋り、勝手に完結させようとしているように見えた。
「だから、私が今回知りたかったのは黒井くん、あなただった」
細い指が俺に向けられた。
その姿は堂々としている。
俺は、それにどう応えたらいいのか分からない。
彼女が何を求めているのかを、知りたくない。
「今日はこのまま別れようと思ったの。でも、やっぱり言わなきゃって思った」
何を言うのだろうか。
それを聞きたくないと思う反面、期待する鼓動の音が聞こえる。
「まだ未完成なんだけどね?」
そんな前置きをしてから――。
「私、黒井くんが好きかもしれない」
告白をされた。
……ただ。
「かもしれない?」
「うん。今はまだ良いなって思ってる段階。言ったでしょ? まだ未完成って」
「未完成なら言うなよ……」
「ごめんね? でも、ここで言っておかないと黒井くんを擁護できないかもと思って」
「俺を擁護……?」
「うん。また、あの人に何か言われたら、ちゃんと答えられない気がして……。だから、私が勇気を持てるよう、ここで言いたかったの」
あの人とは、新しい父親のことだろう。
そうか、そのことを気にして……。
家に帰るのに勇気がいるなんて、普通は考えられない。
だが、彼女にとってはきっと当たり前で、やはり当たり前のような口ぶりでそれは出てくる。
そんな当たり前に対抗するための勇気が欲しかった。
それだけなのだろう。
「安心していいよ。今ここで答えを聞きたいわけじゃないから」
そして、彼女は静かに語った。
「言ったよね。うちのママ、別れて数年と経たず再婚したって。そのせいなのかな? 私は誰かを簡単に好きになることをひどく嫌悪してるの」
「新浪……」
「私はそうならないって決めてた。誰も好きにならず、一人で生きていくって思ってた。でも、たぶん無理なんだよね」
言ってから、新浪はたははと笑う。
「だからせめて用心したいの。同じようになりたくないから警戒していたい。好きになったら一直線なんて私には怖い。だから……それもあって今ここで告白したの」
考えていたのはそういうことだったらしい。
ただ、その説明を聞いても彼女がここで告白した全てを理解することはできなかった。
勇気を出すために告白した……なんて矛盾しているように思えるし、好きになるのが怖いくせに告白はやけに堂々としていたようにも見える。
きっと新浪自身も分からないのだろう。だから、未完成と形容したのだ。
「新浪は、それを完成させたいと思うのか?」
「どうだろう。完成するのかな? ……わかんないや。でも、黒井くんの事はもっと知りたくなった」
それから彼女は笑って俺に小さく手を振った。
「またね、黒井くん」
「おう。またな」
それには手を上げて応えられた。
その日の夜、彩芽さんから連絡があった。
どうやら敏伸さんから連絡があったらしい。内容は明日確認する予定だが、おそらくは彼のコレクションについてだろう。
そうしていると、林道からLINE。
見れば、おかしな文字がそこにはある。
――あのさ、黒井に聞くのもおかしな話なんだけど新浪さん本当に援交してないよね……?
何を言ってるんだこいつは。
それに「してない」と返す。
既読のすぐ後に返事がきた。
――なんかクラスのグループLINEで変な写真回ってきてて、それで新浪さんがやっぱり援交してるって話になってたから。
クラスのグループLINE……? 俺そんなの入ってないんだけど。
いや、そんなことよりもだ。
――変な写真て?
――これ。
その数秒後、林道との通話には誰かが取ったのであろう写真が貼られた。
それは、新浪とオタクが一緒に歩いている写真だった。
――これ新浪さんの趣味じゃないよね?
――家族とも思えない。
――だから援交相手なんじゃないかって。
爆速で連投してくるLINE。
そして、その内容にため息。
俺は、少し悩んで……それから決心する。
林道とのLINEに簡潔に文字を打って送った。
――あぁ、これ俺だ。




