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23 旧石器時代のオタク

 その日はすこぶる天気が良かった。


 こんな日は布団でも干して、最高の睡眠を確保したいものだがそうは行かぬ。


「お兄ちゃん遅かっ……た……ね……」


 居間に降りると栞がテレビを見ており、今日も黒井家は平和そのもの。

 そんな栞を見れば、口を開けたままこちらを凝視していた。


「拙者、関ヶ原へと馳せ参じるでござる!」


 チェック柄のシャツを纏い、ジーパンのベルトはしっかりと締める。余った隙間にシャツをインして頭にはバンダナを、そして太縁のメガネを装着。


 シャツのボタンはしっかり留めてはいるが、いざ前を開けばプリントされたアニメの女の子が鎖帷子(くさりかたびら)のごとくウィンクしている。後ろに下がるリュックは小学生の頃に愛用していたものであり、韋駄天(いだてん)を顕現させるためのスポーツシューズを履いた俺は勢いよく玄関の扉を開けた。


「いざ鎌倉!」


 俺は、そのまま家を出る。

 扉の向こうでは「お兄ちゃんがおかしくなった~!」などと、わめきたてる妹の声がした。


 徹夜で詰め込んだオタクの知識。

 完全装備の出で立ちで新浪の家へと向かう。


 その道中、歩いている時もバスに乗っている時もめちゃめちゃ誰かに見られてるような気がした。

 

 だが、キョロキョロと辺りを見回しても俺を見ている者は誰一人としていない。

 それどころか、とある母親が幼い娘に「見ちゃダメ」と言いつけてるまである。


 なんなんだ……この視線は。


 不思議に思いながらも降りたのは新浪家の近くのバス停。


 そういえば、昼にこの辺りを訪れるのは初めてだな。


 そんな事を考えながら到着した彼女の家。

 躊躇なく押したインターホン。


 スマホで確認すれば約束の時間ぴったり。

 

 扉の向こうで誰かの足音がして、ガチャリと開かれた先には支度のできた新浪がいた。



「行くでござるよ」


「……」

 

 

 バタン。開かれた扉は即座に閉められ、次の瞬間ガチャンと鍵をかける音がした。


 そして、スマホが鳴る。


 見れば、新浪から通話がかかってきていた。


『くっ、黒井くん! いま、うちの前に不審者がいるからこないで!』


 不審者だと!?


 俺は辺りを見回す。

 だが、人影らしきものはない。


「……どこにいるんだ」


『玄関の前! 今、警察呼ぶからその場から動かないで!』

「玄関の……前?」


 俺は自分が今いる場所を確認し、そして理解した。


『一旦切るから!』

「ちょっと待て。落ち着くでござる」

『落ち着けるはずない! 家の前に不審者がいるのよ!?』

「それは拙者でござる!」

『こんな気持ち悪い人、警察に連れていってもらわないと!』

「待つでござるよぉ! 拙者だと言ってるでござろう!」

『あなたでも関係ない! 私、こんな人と一緒にいたくない! だから、その場を絶対に動かないで! すぐに来るから!! 警察が!!!』


 こいつ……。


「お主、さては気づいてるでござるな?」

『そのござるをヤメロぉおお!』


 その時だった。


『なにを騒いでいるんだい?』


 それは、新浪の後ろから聞こえた声。

 途端、『あっ』という彼女の声がして、目の前の扉がガチャリと開いた。


「……何かようかな?」


 出てきたのは背が高く少し髪の色を染めた男性。

 柔和な表情を浮かべているが視線は鋭い。


「うちの娘に何かようかな?」


 再度放たれた言葉。そこには意図的な圧があり、「うちの娘」という所を強調していた。


「あの……違うの。その人は私の知り合いで」


 彼の後ろで新浪が弱々しい声を出す。


「知り合い?」


 そうしてもう一度俺を見てきた。

 その視線はまるで値踏みでもするかのよう。


「相応しくないな」


 そうして出された評価は拒絶の一刀。

 しかも、満面の笑みで言われてしまった。


「悪いが、帰ってもらっていいかな?」


 帰れと言われておとなしく帰るわけがない。


 俺はメガネをクイッとさせると挑むように彼を見返す。


「相応しいかどうかは、彼女が決めることでは?」


 その彼女、いまさっき警察呼ぼうとしたけど……。


「へぇ……」


 そしたら彼は面白そうな笑みを浮かべて。


「もしかしてあれかな? うちの娘が優しく接してあげたから、勘違いしちゃったのかな?」


 とても勘違いな発言をしてきた。


「ダメじゃないか晴香。こういう子には毅然とした態度をとらないと。彼らは日々、自分だけの世界に浸って過ごしてるから、優しくするとすぐに都合のいい解釈を起こすんだ」


 優しく諭すような声だった。


 だからこそ、俺はゾッとした。


「晴香、彼のためにも断ってやりなさい」


 それは脅迫にも思えたから。


「あの……その」


 彼に促されておずおずと前に出てくる新浪。

 その様子は明らかにおかしい。


「黒井くん、その……」


 まったく俺と目を合わせようともしない。


「だからなんだ」


 たぶんそれは、新浪に言ったわけじゃないのだろう。

 そして、新浪の後ろにいる彼に言ったわけでもない。


 きっと……自分自身に言ったのだ。


「新浪、支度は?」

「一応できてる……けど」

「なら、問題ないな」


 俺は、彼女の腕を掴んだ。


「あ……」


 そのまま新浪を引き寄せると、少し驚いた表情をする彼に向かう。


「俺が勝手に新浪を付き合わせてるんです。だから――」


 もう一度メガネをクイッ。



「娘さんは頂いていく!」



 ドン! そんな効果音が鳴りそうなセリフを放った。


「……」


 呆気にとられる彼の顔。

 俺はそれを見逃さず、即座に(きびす)を返した。


 そのまま新浪を引っ張ると家を離れる。

 彼は追いかけてこなかった。


「……ふぅ。なんとか誤魔化せたな」


 バンダナの上から額を拭う。ただ布が擦れるだけの音がした。


「あ……ありがとう」


 後ろを振り返れば、ぽけーとしていた新浪が我に返ってお礼を一言。


 そんな彼女に言いたいことはただ一つだけ。


「お前なんだその格好は。オタクを舐めてるのか」


「……え?」


「ワンピースなんか着てきてどういうつもりだ。いまから行くのは戦場だぞ?」


「……は?」


 新浪はふんわりとした紺色のワンピースを着ていた。

 膝上から伸びる足は細く、履いているサンダルはこれまたオサレ。

 片手にはバッグを持ち、首もとは下に着ているのであろう白いシャツの襟がアクセントになっている。


 まるで、デートにでも行くかのような格好だ。


「くっ、黒井くんよりは百倍マシでしょ!?」

「マシ……?」

「え、まさかその格好のヤバさ……気づいてないの?」

「どこかヤバいんだ。ちゃんとネットで調べたオタクファッションだが」

「いや……たぶん、もうそのオタクたち死んでるよ」


「なん……だと……」


「アキバにもいないと思う。残念だけど」


「そんなはず……そんなはずないでござる!」


「その口調も! ……いつの時代のオタクを調べたのよ」


「もしやバック・トゥ・ザ・フューチャー状態でござるか?」


「逆よ逆! 浦島太郎状態ッ! なに格好良いほうで例えようとしてるの……」


 新浪は冷静にツッコミを入れてから息を吐いた。


「でも……まぁ、格好よかった、かも。格好以外」


 格好以外、格好良いとは。


「あの人が新しいお父さんなんだな」

「……うん。普段はもっと優しいんだけどね? 会社を経営してる社長なの。いつも忙しそうだし、こんな時間にいるのは珍しい」

「……そうか」


 なんだろうな。社長と聞くと変に疑ってしまうのは。


 悪い癖だ。


 俺は浮かんだ想像を頭の隅においやる。


「とりあえず行こう。ライブ会場はわりと遠いからな」

「うん」


 俺は、新浪と一緒にバス停へ向かった。

 そこからは駅まで行って、約一時間ほどかかる。

 倉沢さんとは現地集合をしていた。


 それでもライブ開始時刻には余裕があるため、急ぐ必要はないだろう。

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